2月4日(火曜日) 晴れ時々曇り
昨日は「立春」。暦の上では春なんだけど、日本海側は「最強寒波」が押し寄せ、雪に慣れている日本海側の方々もビッ栗の大雪。あれが東京に降ったらもうパニックどころじゃないですね。まぁ、度を超しているとは言え、冬は寒いから冬。1月2月に気温30℃になっても困るし、また7月8月に氷点下も困る。しばらくは辛抱なのかもしれません。
ところで・・・
この中吊り広告は昨年まで東京メトロの車内で掲載されていたものなんですが、ゴジラと丸ノ内線のコラボ。一瞬、「何でこの組み合わせ?」と頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされましたが、2024年現在で双方生誕70年なんですって。そういえば、丸ノ内線の最初の開業区間である池袋-御茶ノ水間が開業したのが1954年1月20日、映画「ゴジラ」が封切られたのが同年11月3日ということで、東京メトロと東宝が「盛大にやりましょか」と大々的にプレゼンしてました。
それは良いんだけど・・・
これ何よ?
全く意味不明の丸ノ内線。
確かにこれは丸ノ内線の車両ですけど、中野坂上-方南町間でしか見ることが出来なかったし、つまり「丸ノ内線本線」の車両じゃないし、さらに厳密中の厳密に言えば丸ノ内線用の車両じゃないし、1993年までには全車が営業運転を終えて廃車の憂き目に遭っているし、何で方南町支線の2000形が?
「どうしても」って言うなら、それこそ1954年の丸ノ内線部分開業時の車両第一期生で、現在も地下鉄博物館に保存展示されている300形301号車を(ポスターに)掲げるべきでしょう。何を意図としているのかは知らんけど、そこが東京メトロの「詰めの甘さ」ね。
そういえば、丸ノ内線の方南町支線は代々、銀座線のお下がり車両を使っていましたが、1993年に丸ノ内線本線の車両と統一させるために2000形を “卒業” させ、今では本線支線の壁を取っ払って池袋発方南町行きという列車も設定されています。さらに1972年までは、「丸ノ内線」は池袋-御茶ノ水-大手町-霞ヶ関-新宿間を指し、新宿-荻窪間と中野坂上-方南町間は「荻窪線」という路線名でした。
「ゴジラ」の成功がなければ、ウルトラマンも登場しなかったでしょうね。