岡山エリアの115系。
JR路線上における最後の湘南色が、最後の旅路を迎えました。
D-26とD-27の2編成は、1976(昭和51)年3月に誕生し、新製配置は三鷹電車区で、かつて広島エリアにいたクハ115-608と同様に、中央本線の長距離普通電車などで活躍していました。
三鷹区時代は横須賀色をまとい″山スカ″の一員として国鉄時代を過ごしていましたが、分割民営化を目前に控えた1986(昭和61)年に岡山へ転属。



塗装も横須賀色から湘南色へ衣替えし、山陽本線・伯備線・赤穂線・宇野線・瀬戸大橋線などを走り続けてきました。
そして2025(令和7)年2月1日、ラストランを迎え徳山~下関間で 「115系300番台「湘南色』の最終営業運転に乗車できる特別ツアー」が 実施されました。
これは、本来は岡山→下関間を自走する廃車回送なのですが、80系電車から続いた伝統の湘南色がJR線では廃絶となることから、その工程の一部区間をラスト営業列車としたものです。
このツアーはJR西日本と日本旅行が共催していて、1泊2日の行程で、初日は115系300番台 湘南色の最終営業運転に乗車し、翌日は。



下関総合車両所下関支所で115 系300番台「湘南色」、115系3000番台「瀬戸内色」、 105系 「トリコロール色」が並ぶ特別な展示が行われます。
岡山駅を発車した湘南色6両編成は、福山→広島→岩国と走り抜けて、徳山へは17時55分頃に到着し、17時6分頃に出発すると下関駅には19時12分頃到着する予定でした。
しかし写真でも分かる通り、広島県も山口県も警報が出るほどの大雨で、広島県内の山陽線では倒竹も発生しており、約14分遅れでの運転となっていました。
駅の放送では途中駅を何分遅れて通過したとの案内だけ、親切に細かく教えてくれていましたが、混雑と混乱を回避するためのスタッフさんが。




遅れて入線するので着発になると広報されていたのですが、実際に徳山到着は17時1分だったため、少し余裕ができてかなり助かりました。
5分あれば、それなりに撮れるよなぁと•••••••,まぁ車号 = シリアルナンバーは6両全部撮るのはムリではありましたけど。
列車は下関方先頭部 = D-26には、昔懐かしい広島シティー電車のヘッドマークが付けられ、岡山方先頭部 = D-27には快速サンライナーのヘッドマークが付けられていました。
先端オデコの種別幕の部分には″快速″のラッピングが施され、1号車から最後尾まで号車札が挿されていました。



行先サボ受けには岡山~下関のサインボードが新規作成されており、列車名の「ありがとう115系湘南色」が描かれていました。
またネームドのサインボードもちゃんと作成されて挿されていて、廃車回送を貸切に仕立てた列車とは思えない 、素晴らしいイベント列車に仕立てられていました。
その様相はまるで、東北・上越新幹線が開業する前の、上野発着急行列車を彷彿させてくれます。
運転台 助手席側の窓ガラス、編成ナンバーの上にはそれぞれデザインが違う、惜別のイラストマークも貼られていて ── 「そっかぁ。これで最後なんだぁ」と、否応なしに感慨深くさせられてきます。

着発とはならず5分の停車時間があったものの、結果論となるのですけれど、徳山駅へ向かわずに広島駅で待っていたら。
回送状態ではあるものの、遅延は発生していなかったらしく、もっとゆっくりしっかりと余裕を持って、D-26 D-27 編成を撮れたのかも知れません。
が、広島~博多間で唯一 降りたことの無い、新幹線の徳山駅で降りられたのは、好かったかなぁと(笑)
あと、岡山~博多間だと新倉敷を新幹線だけでなく、在来線もなんですが降りたことが無いんですよねぇ。
早朝2時半出勤で、午前11時半に交代で上がったのですけど、2時間ぐらい仮眠を取って徳山へ向かったので、新幹線を利用したのですが。
帰りはちょうど良い時間で岩国行きが227系 RedWingだったので、ずっと山陽線で西広島まで帰りました。
と言うことで、今年は2月3日が春分の日となるので、節分は2月2日となりました。
毎年、派手柱•••••••,もとい 音柱 宇髄天元の節分を使い回すのですけど、今年は2日と言うことと巳年なので、蛇柱 伊黒小芭内で作ってみました。
鬼退治なので、鬼滅の刃だけでなく、転生したらスライムだった件の 鬼人 シオン、約束のネバーランドからノーマン・エマ・レイの3人、白蛇:縁起から白蛇さんのコラボです。