今年に入ってまだ1月も終わっていないが、元日には米原の駅弁屋の井筒屋の駅弁と飲食事業からの撤退宣言、21日には鉄道ジャーナルの休刊と鉄道界に昔から当たり前にあったものの終焉が明らかになりネット上でも騒然としている。
老舗の駅弁業者の駅弁や駅そばと、これまた老舗の鉄道雑誌が終わるという事で鉄道旅行文化や鉄道旅行文化の衰退を象徴するニュースという印象があるし、筆者も正直言って驚きを隠せない。
ただ、現代は老舗の地方百貨店の突然の破綻のように「突然死」してある日突然倒産→廃業という企業が多いことを考えると、井筒屋や鉄道ジャーナルのように期限を明示して自主的に身を引くことができるのはまだしも潔いし、有終の美すら感じられる幕引きができるといえよう。
ついでに言うと最近は鉄道路線も用意周到な幕引きで美しく終わる路線が少なくて、災害での「突然死」のなんと多いことか...、
井筒屋は筆者にとっては高校生時代に初めて鉄道旅行で食べた地元東海エリアの外の駅弁や駅そばでおなじみの店で愛着もひとしおだし、レシピや味つけ、盛り付けと全国の有名駅弁業者と比較して恥ずかしくない商品内容だと思うが、やはりコロナ禍では旅行需要が減り、ここは仕出し弁当も売っているが地元の冠婚葬祭需要も減っただろうし、更に能登半島地震で北陸への旅行も減り、そして北陸新幹線敦賀延伸で「しらさぎ」の客も減りついにとどめを刺されたのだろう。
ここはコロナ禍の真っただ中に米原駅からそば屋を撤退させてからは、駅前の本店工場にイートインを開いてそこで弁当やそばを食べられるようにしたりと意欲的な取り組みが目立ったから続ける気満々かなと思ったのに撤退は意外だが、むしろそれだけのことをやっても状況が好転しないという失望感を味わったことが撤退の引き金となったのだろうか。
鉄道ジャーナルは筆者も以前、
「子どもからお年寄りまで楽しめるバランスの取れた総合的な紙面づくりの鉄道ファン、よりコアな人向けに特定のテーマをマニアックに掘り下げる鉄道ピクトリアル、趣味に徹した鉄道ダイヤ情報やとれいん等よりもジャーナルは趣味誌としては中途半端だ。
鉄道ジャーナルはその名の通りジャーナリスティックな誌面が売りで、かつては批評性の高い記事が多くそれが固定ファン層をつかんでいた理由だが、そのジャーナリズムが中途半端というか、はっきり言って昔より読みごたえをなくしている。(中略)今は亡き竹島紀元さんや種村直樹さんが誌面で健在だったころに比べると、今の世代の書き手は明らかにスケールが小さく記事からピリッとしたスパイスや鋭い切れ味が感じられなくなったと思う。鉄道事業者のご機嫌を損ねないように忖度した感が増しているともいえる。」
と指摘したが、そうは言っても鉄道を業界誌ではなく趣味誌でありながら、しかもジャーナリズムやオピニオンに力を入れるという唯一無二の雑誌でなくなるというとやはり悲しいものだ。
ジャーナルは一般新聞記者出身の種村直樹さんが育てたこともあり、まるで新聞や週刊誌や一般のオピニオン誌の月刊誌にも相通ずるような社説のような批評が誌面の売りだったが、それがSNS世代の若者には社会問題と関連付けて論じるよりも趣味者視点の研究に徹した他誌とも違いなじめなくて新規読者がつかず、他誌よりも寿命が縮まったのだろう。「社説」「論説」みたいな記事やコラムなんか読みたくないんだというような。
ただ、この事は個人的には危惧している。今のSNSを通じたネット世論の「気分」は社会を正面から取り上げたオピニオンやジャーナリズムを斜めに構えて冷笑する空気に支配されていしまい、だから鉄道ジャーナルは見放されたのではないかと。
鉄道ジャーナルは号や記事の筆者によってもあたり外れがあってどれも手放しに誉められた内容とは限らないのはもちろんといえ、現代人は企業とか業界とかなにかを批判したりモノ申すことを邪なことととらえてアレルギー反応を起こすようになってしまっていて、鉄道ジャーナル的なものが途絶えたら今のユーチューバーとかインフルエンサーとかニュースサイトみたいなむき出しのコマーシャリズムしか残らなくなるという不安はある。