仕事をやめて目の前の悩みが大幅に減ると、過去の出来事をよく思い出します。
小学校に入ったころなので1964年くらいと思いますが、山陽本線糸崎駅のホームで立売の天ぷらうどんを買ってもらったこと。
列車の窓を開けてうどんを頼むと、やかんでおつゆを注いで渡してくれました。
蒸気機関車が引張る列車が、ごっとんごっとんとゆっくり走る音をよく覚えています。
当時の糸崎駅は蒸気機関車の付け替えがあって、停車時間が長かったのですね。
(山陽本線糸崎駅:2016年)
(糸崎駅構内:昔はここに機関区がありました)
(急行あきのヘッドマーク)
1966年の夏にはじめて寝台車に乗り、東京に行きました。
蒸気機関車が東京まで行くと思っていたら、いつの間にか電気機関車に代っていてがっかり。
狭い三段寝台の中段で、興奮して浜松まで眠れませんでした。
帰りは新大阪まで新幹線に乗り、ビュッフェに行ったら金髪の女性がご飯を食べていたのも新鮮でした。
当時の国鉄は新幹線も蒸気機関車も走らせていたわけで、都市と地方の差が大きいのを子供心に感じました。
浪人生活を終え1977年78年と、時刻表を持って北海道や東北のローカル線を旅しました。
多くの赤字線が廃止されましたが、まだあちこちの駅に駅員さんがいて、kioskもありました。
待合室のストーブには大きなやかんがかかっていて、昼時になると作業服のおじさんがカップヌードルを買いに来たりして。
就職後、一気に自由時間が減って遠出できなくなりました。
既に乗った区間とか、乗った列車とか、あれこれ書き込みして、大事に持っていた時刻表は就職、転勤など引越しのたびに捨ててしまいました。
あの時乗った列車は、当時のダイヤは、と思っても復刻版をたどるだけなのが残念です。