私が高校生だったころの南東北一人旅の記録・・・の続きです。
南東北ワイド周遊券は、範囲がそれほど広くないため、夜行列車で夜を明かすには、時間が短いのですが、旅をした当時は、東北方面に数々の夜行列車が走っており、それなりに選べば、夜を過ごすことはできました。
私は、奥羽本線を福島から旧型客車の普通列車で北上し、22時ごろ(だったと思います)に山形駅へ到着しました。しばらく待って上野行の急行列車で、周遊券南限の郡山で下車する計画を立てていました。
記憶を辿ると、20系客車の座席車に乗ったことは憶えているので、急行「おが」だったのではと思います。
山形を0時すぎに発車し、郡山へは4時台に到着。その後、磐越西線で新潟を目指す予定でした。
ところが!
山形から乗車し、すぐに寝入ってしまい、目が覚めるとすでに列車は、郡山を出発してしばらく経ってしまったようでした。慌てて、時刻表から現在地を確認したところ、次の停車駅は、白河らしいです。
区間を飛び出してしまいましたので、白河駅で事情を話して区間外の急行券と乗車券を購入しようとして窓口にいくと、状況を理解してくれ、「誤乗」(誤って乗車してしまったと解釈)扱いにしてくれたのでした。
そのため、この区間は、すぐに戻る前提で、タダでのせてもらったことになります。
ある意味、おおらかな時代だったのでしょうね。
早朝で冷え込む白河駅から、455系普通列車で郡山へ向かううちに空が明るくなってきました。ここから、磐越西線で新潟へ向かいます。
郡山では、ほとんどなかった雪が列車が走るに従って、嵩を増し、会津若松では、しっかりとした積雪状態。
ここで方向転換をして、新潟へ向かいます。
これをスイッチバックと広義では言えるのでしょうが、別稿で綴った通り、山岳部で勾配の克服を目的とした駅ではないのでこれはただの方向転換と私は表現することにしました。
ちなみに今回の旅ではスイッチバック駅はまだまだこの時代は多数存在しており、前回の行程では磐越西線中山宿駅、奥羽本線の赤岩、板谷、峠、大沢駅と連続4駅、それと下記の東赤谷駅を通っています。
磐越西線の会津若松から新津までの区間は、郡山からの区間に比べて、一段とローカル色が強くなります。
ディーゼル機関車の牽く旧型客車に乗って、のんびりと雪の中を進み、次第に標高が下がるにつれて、雪も減り、みぞれっぽい湿った雪となり、お昼すぎに新潟に到着しました。
今の時代、ちょっと良い景色があると、絶景区間!と騒がれこの区間もその路線の一つに数えられていますが、絶景という言葉よりも、もっと日本らしい落ち着いた「いい景色」の区間という印象を持っています。
といっても、私は、この時以来、つまりJRになってから一度も乗っていませんし、夏の風景を知らないので、風景について語るのは、おこがましいともいえますね。
新潟で昼食にため、小休憩。
前回も記しましたが、当時の天気予報は大雑把で新潟県の天気は毎日「曇り時々雪」。
なので、関東に育った私は、新潟市内も毎日ドカ雪が降っていると思い込んでいました。
しかし、駅に降りてみると、積雪はあまりなく、道は融けた雪でぐちゃぐちゃ。どちらかというと、たまに関東で雪が降った時のような感じでした。
アメダスで検索すると、この日の12時の新潟は、気温は2.7℃。積雪13cm。
気温と湿度からかろうじて降るものは雪と推測できる程度で、私は、日本海側の雪の降り方について、こういったばらつきがあることを、旅をしながら学びました。
次は、新発田まで移動し、今はとっくに廃止となった赤谷線に乗車。
赤谷線は、キハ58系の普通列車で、山間部に分け入っていったところが終点の東赤谷。この駅は、終点がスイッチバックという珍しい構造の駅でした。
駅につくと、時々強く雪あられが降っていたので、ほとんど車外に出ず、すぐに折り返しました。
(次回へ続く)