(その8からの続き)
-(磯原駅-大津港駅間歩行中)-
磯原海岸から二ツ岩を見ながら北上し、大津港にさしかかりました。
大津港から100メートルほど陸側を走る県道へ。
右は漁業関係の施設、左は民家と思われますが、どちらも真新しい建物です。
ちょっと違和感を感じるのですが、この違和感の正体は…
そう、
大津市街地は東日本大震災の津波に襲われていたのです。
地震そのものにより港湾施設が破損し、その後5メートルの津波に襲われたそうです。
写真の建物も大きな被害を受け、その後再建されたようです。
そのまま進むと周囲は住宅地に変わりましたが、
新しい建物が目立ちました。
そして、不自然な更地があちこちに。
何かしかの建物があったことを物語る階段も残されています。
あの日まではもっと多くの建物が建ち並んでいたようです。
10年以上の時を経て復興は進みつつありますが、
大災害の痕跡はいまだに残っています。
中心市街地を抜けると、道は少しずつ登り始めました。
右手には大津港一帯が見渡せました。
十数年前に牙をむいた海ですが、今は穏やかに佇んでいました。
さらに先へ進みます。
このあたりの民家は津波の被害を受けなかった模様。
登り坂が落ち着くと、再び住宅地が現れました。
ここは震災以前から造成されていた住宅地ですが、
震災以後民家が増えたみたいですね。
ここからは道なりではなく、海沿いを歩きました。
登り坂の先にあったのが五浦(いづら)灯台。
足下まで行けるようですが、今回は行きませんでした。
さらに進むと五浦岬公園にさしかかりました。
この先に展望塔があるらしいので、そこまで行ってみましょう。
遊歩道を2~3分進むと、展望塔が見えてきました。
正式には展望慰霊塔というそう。
東日本大震災の後、2014年に設置されたそうです。
建物にあった鐘、そういう意味だったのか。
展望塔からは五浦海岸を一望できました。
中央下に見える小さな建物が六角堂です。
思想家・美術史家として知られる岡倉天心が建てたものでしたが、
東日本大震災の津波により建物は流失。
現在の六角堂は2012年に復原されたものです。
展望台の下からも五浦海岸を一望できました。
荒々しくも美しい海岸線ですね。
公園の入口まで戻り、海沿いの道をさらに北へ。
地形に沿って進むために、細かなアップダウンをこなすことに。
沿道には旅館が建ち並んでいました。
多分海側は切り立った崖。
その先にはこんな建物が。
こちらは茨城大学五浦美術研究所の入口。
この長屋門も100年以上の歴史を誇る国登録有形文化財とのこと。
六角堂へはここから入場することになりますが、時刻はもう18時。
入口は固く閉ざされていました。
(その10へ続く)
磯原駅先から大津港手前までのGPSログ(1/30,000)です。