1984年の写真~ゴハチ最終局面⑰最後の新撮車番 | ERWのブログ/ERWの鉄道ブログ

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Photo Diary by the Eternal Railroad Watcher

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1984年の6月、所属していた音楽団体は関西の某大学と合同の演奏会を行いました・・・大阪で。

演奏会自体は6月16日で、終演後ミナミで打ち上げ、それが終わると自主解散でした。

夜も更け、団員は知り合った地元の団員宅(下宿)に泊まりこんだり、ブルトレ(九州発上りブルトレには間に合う時刻だった)を予約してさっさと引き上げたり。

 

でもERWはどう夜を越すか考えておらず、頭の中は、「関西まで来たからには、竜華機に会いたい」気持ちで一杯。

 

この後出会える最初の機会は早暁4:58天王寺駅に到着する921レ。でも今からホテル手配して泊まるのは勿体無い・・・ということで、独り千日前の深夜映画館に入り時間を潰しました。

 

注:深夜映画って、いかがわしい映画?・・・いいえ。2本観た様ですが1本の題名は覚えてます・・・マット・ディロン主演の1982米映画「Tex」でした。殆ど眠っていたので筋は記憶していませんが。

 

で、いい時刻になったので映画館を出、眠い目を擦りながらステージ衣装ケースと楽譜類とカメラを携えディープな界隈を抜けて天王寺駅へと辿り着く。

 

(1984-06-17)

※天王寺駅・阪和線ホーム端から試しに撮ったショット。右の地平部が大阪環状線&関西本線

※右に光る構内時計は4時55分を指している。

 

EF58 66[竜]牽引 921レ (1984-06-17 天王寺)

※露光が限界的に低い中、ターゲットが到来!・・・また66号機でした。

 

EF58 66[竜] 921レ到着 (1984-06-17 天王寺)

※ERWは原形大窓機を3両しか撮っていないがこの66号機は遭遇頻度が高く、これで確か4回目か。

 

竜華機も未撮車番は殆どないので、新撮車番を得られる保証は無し。それでも若き日の執念で、これから阪和・紀勢線を辿ってゆきます。

6月17日日曜日、天王寺発6:12、和歌山着7:07。

そしたら、、、

 

EF58 42[竜] (1984-06-17 和歌山)

※ウォォォォーッ、ここで「未撮との遭遇」!この期に及んでの若番・42号機だ!!!一か八かの執念実る。

 

※この42号機がERW最後の現役ゴハチ新撮車番となったのでした。

※この時ERWは「EF58写真集」を作り終えていて、114車番で台紙は一杯。そこへ来てこの42号機が獲れたので、帰宅後(当時)横腹しか撮れていなかった89号機の写真を外して差し替えたのでした。

 

この42号機が牽引する124レに乗車。和歌山発7:30、紀伊田辺着9:41。

 

EF58 42[竜] 124レ (1984-06-17 紀伊田辺)

※この駅で交換する筈の121レの写真が残っていない。折からの荒天でどうやら遅れが発生しているらしい。

 

この日中に帰浜しなければならないので、悠長に各停を乗り続けることはできず、ここで特急「くろしお2号」を使用。

で、雨降りしきる某駅で遅れ121レと思われる普通列車と交換、その牽引機は・・・未撮影の170号機でした!(いつか交換するだろうとカメラを構えてはいましたが、やはり不意打ち対応は無理で、この170号機は現役時代撮影出来なかったゴハチの最高番となりました。)

 

この後、おまけで記録されていた写真は、、、

 

ワム80000[ハワム280341] (1984-06-17)

※これ。貨車の個車写真はそれなりに貴重なのだが、これでは撮影場所不明。

 

ワム80000[ハワム286443] (1984-06-17)

※同じ駅・同じ線路上の留置車か。積み下ろしホームの上屋が出て来たが、場所不明。

 

ワム80000[ハワム185567] (1984-06-17)

※その隣車か。雨がきついですね。

 

ワム80000[ハワム280090] (1984-06-17)

※さらにその隣か。特段興味の無い貨車をこれだけ撮っているということは、撮影地点の旅客ホームには屋根があったと思われるが。

 

ワム80000[ハワム181124] (1984-06-17)

※ここでヒントが出現。写真右上、ビルの屋上部にマルに「新」マークと「めはり寿し」「さんますし」の文字が。これは当時それらの弁当を売りにしていた有限会社「丸新」の本社と思われ、所在地は新宮市徐福2-1-30(現web情報)。2013年廃業により地図から消えたが、隣の2-1-31は現存する「ステーションホテル新宮」の所在地。一方この貨車の停まっている線路は当時あった新宮貨物駅(1986年廃止)の「裏3番線」と考えられ、新宮駅旅客第1ホームからこの方向に撮れば(ステーションホテルと同方向なので)丸新の建屋が入ってもおかしくはない・・・よって上記5枚は新宮駅での撮影であることが濃厚。

 

紀伊田辺から特急「くろしお」で一挙に終点新宮迄来たのかな。この後の記憶が無いが、特急「南紀」の接続が悪いので、旅程表を信じれば急行「はまゆう」で多気、普通列車で松阪、近鉄特急で名古屋へ出て新幹線「ひかり」(当時は新横浜通過)で東京経由帰浜したものと思われます。帰宅モードに入っていたERWは最早写真を撮ることは有りませんでした。

(到着は20:30頃か。翌日の月曜日は当然通学。)

※※