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週刊オールライター第115号 「縁と運」
前回の記事で、私はちらっと
「運と縁について思うことがある」
と述べました。私はこの大学生活4年間で
「縁を大切にすること」
の大切さを学びましたが、ここ最近になって
「運」
というものについて深く知ることができました。
今回は、「運」「縁」についてお話ししようと思います。
1. 「運」「縁」とは
この2語についてコトバンクで検索した結果、以下のような答えが出ました。
まず、「運」とは「幸、不幸などをもたらし、状況を動かしていく、人の力ではどうすることもできない作用や巡り合わせ」のことを指します(引用 精選版日本国語大辞典)。
一方で「縁」は、「物事のつながり・関わり合い」「(仏教用語で)ある結果を生じさせる要因」など、様々な意味を持つ言葉です。今回の記事では前者の意味で用います。
2.「縁」を学んだ出来事 NACK5 TOUCH THE DREAM
私が「縁」を学んだ出来事は、この配信で何度も話題にしている、FMラジオ局のNACK5様の開局35周年企画の一つ、TOUCH THE DREAMです。この企画で、鉄道ライターの栗原景さん、鉄道雑誌「鉄道ダイヤ情報」の大杉豊編集長と繋がることができました。また、NACK5と鉄道ダイヤ情報の間を繋いでくれたホリプロの南田裕介マネージャーとも、開局35周年イベントなどでお会いすることが出来ましたし、さらには大杉編集長に進路相談を持ちかけたことで、土屋武之さんや伊原薫さんともお会いすることが出来ました。
また、私の母はこの出来事があってから、「縁」という言葉の大切さを繰り返し私に説いてくれるようになりました。今考えても確かにその通りだと思うのですが、この経験がなかったら、テレビの向こう側の存在だった栗原さんや南田マネージャーと近い距離に立つことが出来なかったわけですし、栗原さんからニュースの見方、土屋さんからはメンタル面や舞台芸術のイロハを教わるという経験はまずあり得なかったでしょう。
TOUCH THE DREAMのあった2023年、私は「縁」を学びました。
3.「運」が大切な理由 くふうハヤテ・平尾柊翔外野手はなぜプロ野球選手になれたのか
実はこの答え、調べてみたらとても単純でした。世の中、どの成功者も成功した理由に必ず一つは「運」という要素があるからです。
わかりやすく説明するために、私の友人を例に説明します(というより、彼に置き換えて考えたら、答えを出すのが簡単でした)。2024年シーズンからプロ野球の二軍リーグ・ウエスタンリーグに参加している「くふうハヤテベンチャーズ静岡」。このチームに今シーズンから入団した背番号3・平尾柊翔外野手は、小学校の頃からの友人で、中学までの9年間に何回もクラスメイトになっています。そんな彼は中学卒業後、春日部共栄高校、八戸学院大学を経て、くふうハヤテベンチャーズ静岡に入っています。高校時代には春の選抜高校野球、大学時代には全日本大学野球選手権にも出場しています。ですが、実は高校・大学と2度もドラフト会議指名漏れを経験しています。そのような中で、昨年12月にくふうハヤテに入団できたことは、運に恵まれた部分もあるのではないかと思っています。
2024年シーズンからウエスタンリーグに参加したくふうハヤテベンチャーズ静岡と、イースタンリーグへ参加したオイシックス新潟アルビレックスBCは、二軍しか参加しておらず、NPBへ加盟していないので、ドラフト会議に参加はできないながら、NPB12球団に次ぐ実質「13番目」・「14番目」のプロ野球チームです。そのようなチームに入れる人もごく僅か。その中に平尾外野手がいるのです。大学野球リーグで2度のベストナインという「実力」はあってもドラフトで指名漏れするという面では「運」がなかったかもしれません。しかしながら、「捨てる神あれば拾う神あり」ではないですが、くふうハヤテに入団してプロ野球選手になれたということは、強運を通り越して豪運だと思います。
これを考えた時、運は人生の成功に大切な要素だと、学ぶことができました。
4. 今までの私はなぜ「運」を良く思っていなかったのか
ここまで、「運の大切さを学べた」と書いてきましたが、大学4年までの私は正直に言って「運」は良くないものとも思っていました。
では、なぜ私は「運」を良く思っていなかったのでしょうか。
その原因は、大学受験の失敗を引きずっていたからだと思っています。
私は、大学受験で勉強をしなかったので、第一・第三・第四志望の大学に落ち、第二志望の大学に補欠繰り上げで現役合格になっています。補欠繰り上げは、一発合格ではないので、運が必要な部分がある、という見方もできます。なので
「実力で合格を掴んでいない」
という失敗が生まれてしまったことを言い訳として、「運」というもの自体も
「実はあまり良くないものではないか」
と思ってしまったのだと思います。実際にはそんなことはないのですが。
5. 「運」に対する考え方が変わった理由 栗原景さんのデビュー秘話
ここで、前回の記事の話に戻ります。私が「運」というものに対しての考え方が変わった理由は、「恋する!たび鉄部」の懇親会に参加して、私の恩人である鉄道ライター・栗原景さんのデビュー秘話を聞いたからです。
5-1. 栗原景さんが鉄道ライターになるまで
栗原さんは、今は亡き作家・種村直樹氏に弟子入りしたのち、出版業界に身を置いていましたが、当初は鉄道を「趣味として楽しむもの」という位置付けで考えていたそうです。そんな中、私が生まれた2003年にいわゆる「第1次韓流ブーム」が到来。ペ・ヨンジュンさん主演の韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本で大ブームになったこの出来事が、実は栗原さんの執筆業デビューに大きく関わっていたのです。韓国留学の経験から韓国語も話せる栗原さんは、この当時に知り合いから
「『冬ソナ』のロケ地を紹介する記事を書いてほしい」
と頼まれたことがきっかけで、今でいう「聖地巡礼」を特集したその記事を書いた結果、あれよあれよと依頼が来たそうで、この時期に執筆業デビューしたと語っていました。これ以降、韓国にまつわる記事を多く手がけるようになったそうです。
そんな栗原さんが、鉄道ライターとして活動するようになったきっかけは、銚子電鉄のイベントに取材として参加したことがきっかけでした。栗原さんの鉄道好きを知っていた知り合いに頼まれて、漫画「鉄子の旅」と銚子電鉄とのコラボイベントの取材に訪れた栗原さんは、そこで運命の出会いを果たします。そのイベントで、「鉄子の旅」出演者であるトラベルライター・横見浩彦さんと初めて会ったのです。この横見さんとの出会いが栗原さんのその後の人生に大きく関わっています。なんと、横見さんが自身と繋がりのある人たちに栗原さんを紹介し、その結果、鉄道にまつわる仕事たくさん来るようになったのです。
今思えば、もしこの出来事がなかったら、私は「タモリ倶楽部」で栗原さんを知ることも、取材同行させてもらうこともなかったのでしょう。これも運。恐ろしいと思いました。
その話の中で、栗原さんは私も引き合いに出し、運の大切を説いていたのですが、
私はただ下を向きながら大きく頷くしかありませんでした。
むすびにかえて
今回は、「運」「縁」についてお話ししました。今後、何かの拍子で夢が実現に向かったり、思い描いていた夢とは違った形であるとはいえ結果的に鉄道に関わる仕事につくことになるなど、人生は「運」がきっかけでどこに転ぶかわかりません。NACK5様の企画で「人生何が起こるかわからない」という座右の銘ができた私。今後は、運を大切に生きていこうと思います。
それではまた。