阪和線撮影@長居 | DAIKON's Life

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Yahoo!ブログからの引っ越し組です。
だいこんが日々感じたことを、気の向くままに綴っています。

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 急遽大阪への出張が入った。
 業務の合間に近くの駅に入場してサクッと撮影…。
 持ち出した機材がコンパクトなサブ機だった理由もここにあるため、記事の最後に出張の詳細を綴りました。
 よろしければご覧ください(←長いよ!)。


 【写真1】
 250122 OLYMPUS E-PL10+M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm R 1/1000 F8.0 ISO400 AWB を編集及びリサイズ
 4177M/4577H、「関空快速・紀州路快速」。
 225系5000番代、HF404編成+HF4??編成。。
 初めてこの車両を記録できた。
 愛称併記の種別幕、カッコイイな(*´▽`*)


 【写真2】
 250122 OLYMPUS E-PL10+M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm R 1/1000 F8.0 ISO400 AWB を編集及びリサイズ
 1035M、「はるか35号」。
 271系、HA651編成「Hello Kitty HARUKA『Ougi』ラッピング」「『はるか』30周年記念ラッピング」+281系HA60?編成。
 ちょっと情報量が多い説明になってしまいましたね(汗)
 巷では賛否両論のラッピングらしいが。
 シンパと菱パンの編成が併合するのは、鉄道オタクとしては眼福である(*´▽`*)


 【写真3】
 250122 OLYMPUS E-PL10+M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm R 1/1000 F8.0 ISO400 AWB を編集及びリサイズ
 4179M/4579H、「関空快速・紀州路快速」。
 225系5100番代、HF442編成+223系HE4??編成。
 こちらは225系でも後から出てきた100番代。
 デザインの小変更に伴い表情が変わり、種別幕もフルカラーLED化されている。
 やはり愛称併記でギッチギチなのがカッコイイな(*´▽`*)


 【写真4】
 250122 OLYMPUS E-PL10+M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm R 1/1000 F8.0 ISO400 AWB を編集及びリサイズ
 1595H、普通。
 223系、HE403編成。
 可愛らしい前面のデザインが好きだったが、体質改善工事でだいぶ表情が変わったなぁ…(^^;
 目もとは重要ですね。


 【写真5】
 250122 OLYMPUS E-PL10+M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm R 1/1000 F8.0 ISO400 AWB を編集及びリサイズ
 67M、「くろしお17号」。
 287系、HC603編成。
 こちらもしっかり撮るのは初めてかな。
 今では関西圏の特急としてすっかり定着したであろう印象の車両だ。
 今度は283系も撮りたいな。



 今回大阪へ急遽行くことになった理由を報告いたします。

 この度、弊社の社長が82歳で逝去いたしまして…。
 本社が大阪なので、東京及び福岡営業所の従業員は全員出張して通夜と告別式、初七日の法要に参列することとなりました。

 社長が亡くなったのが19日(日)の未明。
 その日の朝に職場の人から電話が入りました。
 21日通夜、22日告別式ということをその電話で知らされ、日曜の夕方にふと思い立って東京営業所全員分の宿を独断で予約。
 翌日の出社でこの旨を知らせたところたいへん感謝され、結果的にファインプレーでした。

 21日から22日にかけての宿(天王寺)及び斎場(長居)への移動は、新幹線と御堂筋線。
 旅野郎かつ先週天王寺に行ったばかりということもあり、東京営業所全員の移動は自分が取り仕切ることに。
 新幹線に乗ると決まれば、車内で食べる駅弁は何にしようかな?と誰しも考えるようで…往復とも、乗車前には自然と全員が駅弁を売っている売店に立ち寄りました。



 …そもそも不幸があって大阪に行くのに、何でお前カメラ持ってるんだ?



というツッコミはご勘弁を(汗)
 生前の社長は当方の趣味を知っていましたし、その社長から付けられたあだ名が「汽車ポッポ」でしたから、まあ当事者も理解してくれるでしょう…。

 しかし、自分の趣味というものは上司の耳に入れておくものだと思いました。
 総務が通夜の記録(写真)を業者に頼むことを失念していたため、急遽専務に呼ばれて「通夜の写真を撮っておいてくれないか」と頼まれる事態に。
 荷物が嵩張ること、何より日没後の法事なのでカメラは要らないだろうと、ホテルにカメラを置いてきてしまったことは悔やまれました。
 それでもヘタクソなりに日頃鍛えてきた腕を駆使して、スマホでどうにか社長の最後の舞台を懸命に記録。
 「汽車ポッポ」らしい通夜の参列にはなったのではないでしょうか。

 そして告別式当日に、これらの鉄道写真を撮れたのですが…

 13時半まで執り行われる告別式のあとに社長が火葬され、その後16時半から初七日の法要があるので、従業員はそこまで参列するようにと知らされました。

 出棺を見送った後は近くの王将で社員数名と共にランチ。
 その後長い昼休みとなるため、その隙に長居で撮れればなぁ…と不謹慎なことを考えていました。

 とはいえ、一応こう見えても大人なので。
 慎重に上司にお伺いを立てて許可をいただければ幸い、許可をいただけなくても当然。
 そう心得ていたのですが…



 「だいこん、せっかく大阪まで来たのに(鉄道写真撮りに)行かないでええの?」



と、大阪本社の社員や上司たちから趣味活動の背中を押される始末(笑)
 我ながら、俺という奴はつくづく幸せだな、と思いました。

 思えば社長との付き合いは、かつて「トワイライトエクスプレス」に乗りたいと漏らしていた自分のために一肌脱いでくださり、そのお力添えのお陰で無事乗車に漕ぎ着けた過去もあります。

 自分の採用面接のためにわざわざ大阪から飛んできて、面接では「目を見ればわかる」と言葉を添えて採用してくれた社長。

 大阪での研修初日、挨拶に伺ったら「おう。よう来たな。」と仰って、あたたかく迎えてくださった社長。

 最近は「早く結婚しろ」「早く相手を見つけろ」としか言われておらず、ちょっと鬱陶しいと思っていた存在の社長(笑)

 揺るぎない松下幸之助イズムの信念に、浪速の商人根性ゴリゴリなオーナー企業の社長らしく、ときには些か豪傑すぎると感じることもありましたが(笑)、振り返ると従業員を預かっているという責任感は人一倍強かった社長だと感じることも多かったです。

 淋しい出来事がきっかけの出張となりましたが、多くの従業員と顔を合わせて暫しの歓談で打ち解ける、そんな機会を与えてくれたのが社長の最後の仕事なのかな…と思いました。
 あ、自分はこういう性格なので、本社の社員にはしっかり顔を売ってきました。
 ちょっと打ち解けすぎやしないか?と思うくらいには(笑)
 普段電話でしかやり取りしない仲間と顔を合わせる、実に良い機会でした。

 初七日の法要が終わってからは、大阪本社の従業員に見送られて急いで帰宅の途へ。
 新大阪でお清めのアルコールを購入して、新幹線の車内で献杯。
 こういう日は湿っぽくなりがちですが、法要の合間や法要後に明るく振る舞ってくださる大阪本社の仲間のお陰で、変な話ですが、楽しく過ごせる時間も多くありました。
 おまけにこの撮れ高、そして郵便局も2局訪問しています。

 社長が最後の社員へのもてなしとして、充実した時間を過ごす機会を作ってくれたのでしょう。

 最後までご覧いただき、有り難うございました。

 (250122訪問)