前回の続き…
2024年4月13日~14日、1泊2日の日程で愛知県へ。
主に豊橋鉄道渥美線や名古屋市営地下鉄を乗り鉄・降り鉄しました。
今回は初日後半の内容です。
前回に引き続き豊橋鉄道渥美線の全駅訪問にチャレンジして、神戸駅訪問をもちまして全駅制覇しました。その後は終点の三河田原駅に立ち寄ってから豊橋駅へと戻り、名鉄電車で名古屋市内へと移動、過去に訪問したものの写真を取り損ねていた大曽根駅をリベンジ訪問して、栄で夕食を済ませてから名古屋駅前のホテルにて宿泊しました。
豊橋鉄道渥美線の乗り鉄・降り鉄には『渥美線1DAYフリーきっぷ(1,200円)』を利用しました。
今回の日程 2024年4月13日 (土) 【後半】
向ヶ丘1245(豊橋鉄道渥美線)1248大清水1303(普通)1306老津1321(普通)1326杉山1341(普通)1343やぐま台1348(普通)1400豊島1415(普通)1418神戸1433(普通)1435三河田原1502(上り普通)1537新豊橋/豊橋1545(名鉄名古屋本線・特急)1633金山1642(中央本線)1650大曽根1718(名古屋市営地下鉄名城線左回り)1728名古屋城1740(徒歩)1800久屋大通1827(桜通線)1832名古屋
【宿泊】
(1)向ヶ丘1245(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1248大清水 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
渥美線の車両は全て元東急7200系の1800系です。
編成ごとに異なる花のラッピング装飾が行われており、
現在は全編成が「渥美線カラフルトレイン」として運行されています(Wikipediaより)。
また、市街地から離れてこの辺りまで来ると、車内は空いていました。
次に下車した大清水駅は相対式ホーム2面2線の交換可能駅で、
南側に小さな駅舎を有しています。
有人駅(駅員時間配置駅)で、私の訪問時は駅員がいましたが、
翌5月に土休日の駅員配置時間が12:00までに短縮されてしまい、
土休日の同時刻(13時頃)は駅員無配置になりました。
駅前は一定規模の住宅地が広がっている一方、
月極駐車場やコインパーキングが多く見られました。
(2)大清水1303(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1306老津 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
この電車もガラガラでしたが、1両目と2両目はある程度乗車率が高かったです。
渥美半島の象徴の一つでもある広大な畑を眺めて次駅の老津駅で下車。無人駅です。
相対式ホーム2面2線で駅舎が無く、新豊橋方の構内踏切で両ホームが結ばれています。
駅前は「老津」だからか、昔からの住宅地が広がっています。
(3)老津1321(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1326杉山 1800系3連
1両目で着席 3割の席が埋まる乗車率 景色を眺めて移動
今回は桜のラッピング装飾が施された「桜号」に当たりました。次の杉山駅で下車しました。
この駅も相対式ホーム2面2線で、駅舎が無い無人駅ですが、
駅前に駄菓子屋があり、そこできっぷを販売しています。
駅周辺は東側の台地に集落があり、雑木林も混在しています。
西側は平地で、田園風景が広がっています。
(4)杉山1341(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1343やぐま台 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
道中は左側車窓の新興住宅地と右側車窓の田園地帯とのギャップを楽しみ、
次駅の「やぐま台駅」で下車しました。この駅も無人駅です。
単式ホーム1面1線の棒線駅で、駅舎がありません。
戦時中に休止された谷熊駅を1971年、ニュータウン開発に伴い
「やぐま台駅」と改称して営業再開しました。
復活時に造り直されたため、他の駅と比べて新しく見えます。
駅南側にニュータウンが広がっていて、駅裏の北側は工場と畑が混在しています。
尚、杉山駅までは豊橋市内でしたが、やぐま台から先は田原市内となります。
(5)やぐま台1348(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1400豊島 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
またローカルな車窓に戻り、2分で到着した豊島駅で下車しました。
この駅も単式ホーム1面1線の棒線駅で、駅舎が無い無人駅です。
駅前は農村集落が広がっています。
(6)豊島1415(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1418神戸 1800系3連
1両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
沿線には次第に住宅や商店も見られるようになってきて、
田原市の郊外を走るようになると神戸駅に到着、下車しました。
駅名の読みは「こうべ」ではなく「かんべ」です。
神戸市生まれの私にとっては驚きですが、
全国的には「こうべ」の方が珍しいのかもしれません。
相対式ホーム2面2線の無人駅で駅舎が無く、南側のみに出入口があります。
駅前は南側が住宅地で、駅裏の北側は県道沿いに工場や
ロードサイド店舗が建ち並んでいます。
(7)神戸1433(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1435三河田原 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ 車窓風景を眺めて移動
神戸駅下車をもちまして豊橋鉄道渥美線の全駅訪問を達成したのですが、
折角なので終着駅の三河田原駅を8年ぶりに訪問する事にしました。
ガラガラの電車に乗って2分、到着した三河田原駅は頭端式ホーム2面4線と大規模です。
終端部に円弧を描いた駅舎があり、田原市の交流スペースが併設されています。
駅前は田原市の中心市街地で、南側は区画整理されて新しく、北側は古い街並みが残っています。
また、駅前から西へ延びる道路は、戦前に黒川原駅まで延びていた線路の廃線跡です。
(8)三河田原1502(豊橋鉄道渥美線 三河田原行き)1537新豊橋 1800系3連
3両目で着席 ガラガラ→ほぼ満席に 景色を眺めて移動
今度こそ新豊橋駅へ戻ります。最後尾車両で座り、まったりと景色を眺めていました。
下車駅ごとに乗客が少しずつ増加し、新豊橋駅到着時点でほぼ満席になりました。
また、前2両は立客も多かったです。
往路で途中下車しながら5時間少々かかった道のりを、
復路はわずか(?)35分で全区間を走破しました。
降り鉄しながらですと、なぜか全線を乗り通しても乗車時間が長く感じなくなってしまいますw
この感覚は飯田線を降り鉄した際も感じました。
新豊橋駅下車後は豊橋駅へと移動しました。
(9)豊橋1545(名鉄名古屋本線 特急・名鉄岐阜行き)1633金山 2200系6連
最前車両(6号車一般車)1人掛けクロスシートに着席
6割の席が埋まる乗車率→満席に 車窓風景を眺めて移動
この日は余裕あるスケジュールを組んでいましたが、順調に降り鉄が進んだため、
豊橋駅に戻ってきたのは予定より1時間早かったです。
宿泊地は名古屋なのですが、時間に余裕ができたため、
夕方は前年に写真撮影を失敗したJR中央本線の大曽根駅を訪問する事にしました。
なので、東海道本線に乗って金山駅で乗り換えるのがベタなのですが、
私は朝に乗車した名鉄にもう一度乗りたくて、運賃負担が増えるのを承知で名鉄を選択。
先発の特急・名鉄岐阜行きに乗車しました。
『パノラマスーパー』こと1200系を期待しましたが、
入線していたのは『ミュースカイ』もどきの2200系でした。
特別車には乗車せず、一般車の空いていた転換クロスシート1人席に座りました。
相席にはならないので快適な座席です。
道中は車窓風景を眺め続けて、名鉄名古屋駅の少し手前、金山駅で下車しました。
豊橋発車時点では空席があったものの、金山到着時点で席が埋まっていました。
金山駅では結構な人が下車していて、既にサブターミナルとしての地位を確立しています。
(10)金山1642(中央本線 普通・高蔵寺行き)1650大曽根 315系8連
1両目で着席 満席 景色を眺めて移動
金山駅では乗換改札を通ってJR中央線ホームヘと移動し、普通・高蔵寺行きに乗車。
中央線名古屋口の一般列車は既にオールロングシートの315系に統一されていました。
名古屋市街を北東へ走り、3駅目の大曽根駅で下車しました。
大曽根駅は何度も訪問して、前年にはある程度撮影していたのですが、
駅記事作成において写真が欲しかった部分があったため、改めて訪問して撮影した次第です。
もう17時でしたが、4月だったのでまだまだ明るかったです。
(11)大曽根1718(名古屋市営地下鉄名城線 左回り電車)1728名古屋城
2000形6連 混雑状態 ドア部分で立席 何もできず移動
これにて当日のミッションはクリアしたので、
あとは栄(久屋大通)で夕食を済ませて名古屋駅前で宿泊する予定でした。
まずは、栄へ地下鉄名城線で行くか名鉄瀬戸線で行くか迷いましたが、地下鉄を選択しました。
しかし、これが間違いでしたw
電車がやって来ると、車内はすし詰め状態でした…。
なぜ、と一瞬思いましたが、多くの乗客の服装や格好を見て一発で理由が分かりました。
この日はバンテリンドーム(ナゴヤドーム)で中日ドラゴンズの試合があり、
ちょうど試合が終わった直後で、前駅のナゴヤドーム前矢田駅から
多くの観客が地下鉄に乗車していたのです。
また、大曽根始発列車は観客輸送のため全てナゴヤドーム前矢田駅始発に変更となっていました。
私は気が引けましたが、仕方ないので満員電車に乗車しました。
ドア部分から奥へは行けませんでした。
通勤電車と違い、我慢しづらい雰囲気でした。途中駅での下車客はほとんどいませんでした。
しばらく耐えましたが、ついに名古屋城駅で耐えかねて離脱(下車)してしまいましたww
あの満員の客はどこで下車したのでしょうか?(久屋大通?栄?金山?)
もう疲れてしまい、名古屋城駅を観察する余裕もありませんでしたw
名古屋城駅は9月に再訪問しました。
(12)名古屋城1740(徒歩)1800久屋大通
名古屋城駅からは名城線に再乗車する気にはなれず、
駅南側の出入口のみ観察してから、気分転換に次駅の久屋大通駅まで歩いて移動しました。
途中、お堀の跡を渡りましたが、お堀を走っていた
名鉄瀬戸線旧線の大津町駅跡を確認できました。
その後は100m道路として有名な久屋大通へと進み、
中央部の公園やセントラルパークを南下して久屋大通駅に到着しました。
その後はセントラルパーク地下街に入り、
名古屋訪問時によく立ち寄る「とんかつの藤」で名古屋めし・味噌カツを食べました。
食後は久屋大通駅の改札を通りました。
(13)久屋大通1827(名古屋市営地下鉄桜通線 太閤通行き)1832名古屋
6000形5連 5両目ドア脇で立席 軽く混雑 スマホを操作して移動
久屋大通駅からは地下鉄桜通線で名古屋駅へと移動しました。
立客も多かったですがドア脇は確保でき、スマホを操作できる余裕がありました。
名古屋駅で約9割の客と一緒に下車し、ガラガラの電車は太閤通へと去っていきました。
下車後は地上に出て、コンビニで買い出しをしてからホテルにチェックイン。
部屋ではスマホを操作しながらテレビを観て過ごし、
21時頃に入浴を済ませると再びスマホをいじっていましたが、
いつしか寝落ちしていました…。
翌日も乗り鉄・降り鉄を続けました。
(つづく)
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
(参考:Wikipedia)
テーマ:鉄道踏破の道(21~)