NO.3168 一区間でも山陰線、仙崎~長門市「仙崎支線」乗車記録&国鉄型で運行、長門地区の現状 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、番外におきまして、かつて「仙崎支線」4時台の列車が運行されていた事に関しまして皆様にご紹介しておりました。


 山口県長門市の山陰線の支線でもあります、長門市~仙崎間の「仙崎支線」は、営業キロがわずか2.2キロしかなく、仙崎港が大陸からの引き揚げ港であった事もありまして、仙崎駅から全国各地への引き揚げ列車も運行されていた事さえもあったほどでもありまして、仙崎駅から関西・九州方面へそうした列車が運行されていた事もありました。

 

 その後は、以下画像にもありますように、仙崎地区の行商向けに、始発列車が4時台の列車(4時28分発厚狭行き)が存在してもいまして、さらに長門市駅からも下関行きの列車が4時台で存在してもいまして、昭和時代末期には運行本数も上下合わせて33本(下り16本、上り17本)も本数が存在しておりました。

 

 【見にくい方は画像をクリックしてご覧ください】

 (「仙崎支線」・美祢線時刻)

 

 (仙崎→長門市→厚狭間)

 

 (長門市→下関間)

 

 現在は、これからご紹介しますようにわずか12本(6往復)しか存在せず、大幅に減便に至っておりまして、かつての賑わいもなくなっていると言ってもいいかとも思います。

 

 

 さて、ここまで前回の内容をご紹介しましたが、今回は仙崎駅から長門市駅まで「仙崎支線」を利用しましたので、その模様を、そして前回までご紹介しました美祢線とともに、寸断区間もあります山陰線の現状も併せて皆様にご紹介してまいります。

 

 

 画像は、上の画像1とともに仙崎駅の駅舎であります。この仙崎駅の駅舎は、昭和34年に改築されました駅舎でありまして、当初は有人駅でもありましたが、後に無人化されております。

 

 仙崎駅構内です。駅の中には地元仙崎出身の童謡詩人でもありました金子みすゞの、この仙崎の特産物でもあります蒲鉾の板を使いましたモザイクアートの姿が見られております。これは地元の若者が中心となって取り組んでおります「プロジェクトM」の一環として設けられているものでありまして、遠くから見ますとより金子みすゞらしさが見られるのではないでしょうか。

 

 

 ちなみに、仙崎駅前の通りは「みすゞ通り」とも呼ばれておりまして、通りには金子みすゞ記念館もありますし、記念館向かいには上の画像のようなモザイクアート、そして通りの民家などにも金子みすゞの詩が見られておりまして、まさに「みすゞ通り」にふさわしい姿を見る事ができております。

 

 (金子みすゞ記念館)~その下は記念館前のモザイクアート

 

 (「みすゞ通り」)

 

 (通りの民家などで見られる金子みすゞの詩)

 

 (同)

 

 (同)

 

 

 再び仙崎駅構内に戻りますが、この構内には、金子みすゞに関します写真などが展示されておりまして、営業時間帯ならば自由に拝見する事もできております。それにしても、その下の画像にも見えます年譜に書いてありますが、26歳でこの世を去っていたそうですので、正直早かったんだなと思う所でもありましたでしょうか。

 

 

 また、かつては手荷物・小荷物扱い所も設けられておりましたし、画像にはありませんが売店も設けられていたそうでありまして、こうした所からも比較的大きな駅であった事をも伺わせております。やはり、この路線自体も山陰線にもなりますので、仙崎方面への観光客、先述の行商など、様々な方の利用が見られていた事もわかるのではないでしょうか。

 

 

 ここで、仙崎駅の時刻表であります。先述のように、かつては多く存在しておりました「仙崎支線」も、今や6往復12本と非常に少ない本数となっております。その要因としましては、並行して運行されております、サンデン交通グループ(サンデン交通・ブルーライン交通)や、防長交通(防長バス)の路線バスの存在がありまして、そうした所から「仙崎支線」も大きく減便に至っているようであります。

 

 

 無人の改札を出まして、ホームであります。ホームは画像のように片面ホームとなっておりまして、そこにベンチが複数置かれております。

 

 (長門市方)

 

 (この先行き止まりです)

 

 (駅名標)

 

 このホームには、観光列車「〇〇のはなし」の利用者向けのマップがありました。この列車自体、山陰線を経由しまして長門市駅へ向かう列車でもありますが、現在後述のように山陰線の一部区間が大雨被害で寸断されておりますので、「〇〇のはなし」自体も運休が続いております。

 

 (「〇〇のはなし」)

 

 

 さて、この後「仙崎支線」の列車に乗車する事になりますが、長門市駅からの列車がやってまいりました。

 

 その列車は、画像のようにキハ40形気動車でありまして、本来はキハ120形気動車が運行する所ではありますが、まさかの事に私自身正直驚きました。

 

 (キハ40 2005)

 

 実は、現在美祢線も寸断、そして山陰線も寸断区間が見られる関係で、下関総合車両所新山口支所所属のキハ120形気動車のほとんどが稼働しておらず、その所属先の下関総合車両所新山口支所に疎開しているそうであります。それにしても、銘板にもありますように昭和50年代製の気動車、しかも「日本国有鉄道」の銘板も残る、いわゆる「国鉄型の気動車」が優先的に使用されている姿は、定員等を考えますとこちらの方が適しているのかなとも思う所でもありましょうか・・・?

 

 

 さて、この後乗車しますが、行先は「人丸」となっておりまして、長門市駅より先の運用の行先を表示しておりました。正直、「長門市」を見たかっただけに、残念ではありましたが・・・。

 

 今回乗車キハ40 2005の車内です。シートモケットが変わっている以外はオリジナルの姿を見る事ができております。それにしても、こうした造りもまさに「国鉄」と言う所でしょうか。

 

 (茶色のボックスシート)

 

 (優先座席部分)

 

 

 さて、列車は仙崎駅を発ちまして長門市駅へと向かいます。この列車の乗車時間はわずか4分ほどと短いですが、それでも様々な車窓の姿を見る事ができておりました。

 

 (別の位置)

 

 

 列車は、早くも終点となります長門市駅へとやってまいりました。この段階では、既に山陰線益田方面の線路と交わっておりまして、以下画像の所に見えておりますのが引き上げ線、その下の画像にもありますように留置両数も減っております長門市駅構内の姿も見る事ができております。

 

 (長門市駅構内)~その下の画像は逆光で見にくい状態である事はご了承ください

 

 

 長門市駅2番ホームに到着しましたので、利用しましたキハ40 2005を収めました。ちょうど西日もありまして、線が入った状態となりました事はご了承いただきたい所であります。尚、この列車はこの後仙崎駅でもありました人丸行きとして、山陰線を運行する事になります。

 

 

 一方、向かいの3番ホームでは、こちらもキハ40形気動車によります1両編成(車番不明)の益田行きが発車しようとしておりました。本来ならばキハ47形気動車を交えての2両編成での運行となるようですが、やはり寸断区間の関係もあるようで1両編成での運行となっていたようであります。

 

 (行先)

 

 

 この後、留置線におります2両のキハ40形気動車との3ショットを収めました。ただ、益田行き列車の所が屋根もありまして黒くなってしまっている事に関しましてはご覧の皆様もご了承いただきたい所であります。

 

 

 さて、これまでも当ブログでもご紹介しましたように、美祢線は令和5年の大雨の影響で厚狭~長門市間の全線で運行を取りやめておりまして、全線で代行バス・代行タクシーが運行されておりますが、山陰線に関しましても同じく令和5年の大雨の影響で人丸駅~滝部駅間で運行を取りやめておりまして、現在上の画像にありましたように一部列車が長門市駅~人丸駅間で運行を再開しておりますが、長門市駅~滝部駅・小串駅間で代行バスも運行されておりまして、以下の時刻表を見ますとお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 (詳しくご覧になりたい方は画像をクリックしてご覧ください)

 

 (山陰線代行バス、防長交通、山口200か・645、日野PKG-RU1ESAA)

 

 (美祢線代行バス、船鉄バス、山口230あ20-09、日野PB-HR7JHAE)

 

 

 そう言った事もありまして、現在この長門地区ではキハ40形気動車1両編成がメインで運行されるに至っております。しかも、片運転台のキハ47形気動車が入っていない所からも、山陰線・美祢線の寸断区間がある影響が見られている事が伺わせておりますが、先述のようにJR化後に導入されましたキハ120形気動車ではなく、国鉄型のキハ40形気動車と言う所も使い勝手を思えば・・・と言う所でもありましょうか。

 

 (手前側、キハ40 2071、奥側、キハ40 2073)

 

 (キハ40 2071)

 

 (キハ40 2122)

 

 

 今回は、仙崎駅~長門市駅間の「仙崎支線」の乗車記録、山陰線長門地区の現状をご紹介しましたが、前回番外に関連する事ではありますが、「仙崎支線」の運行本数が大きく削減している事、早朝4時からは運行されていない事に関しましては、時代の流れもあるのではないかと思っております。また、これまでご紹介しました美祢線に加えまして、山陰線に関しましても大雨被害が見られた区間がありましたが、一年以上かかってはいるものの、こちらは復旧へ進んでいるのが現状でもあります。今後は、長門地区がまた元の姿に戻るまでには時間がかかる事にもなるとは思いますが、とにかくそうなる事をただただ願うばかりであります。