この仙崎支線は、元々昭和5年に仙崎港で水揚げされた魚介類の貨物輸送を目的とした貨物支線として開業したものでありまして、貨物列車の運行しか行っていなかった路線でもあります。
また、旅客営業は昭和8年からでありまして、以来現在まで列車が運行されております。またかつて戦後には、仙崎港が大陸からの引き揚げ港であった事もありまして、仙崎駅から全国各地への引き揚げ列車も運行されていた事さえもあったほどでもありました。
そんな仙崎支線は、主に美祢線にも直通運転しておりますキハ120形気動車をはじめとしまして・・・
(平成23年仙崎駅で撮影)


しかし、現在はこれら列車の運行はなく、キハ40形気動車1両編成による運行となっておりまして、この要因は美祢線や山陰線の大雨による寸断区間が見られている事が要因であると言ってもいいかとも思います。
さて、今回ご紹介しますのは、そんな仙崎支線の国鉄時代(昭和60年)と、現在とを運行本数や時刻を比較しまして皆様にご紹介してまいります。
まず、昭和60年時刻でありますが、当時は下り16本、上り17本も本数がありまして、このうち上り1本に関しましては何と仙崎駅を4時28分の列車があったほどでありました。これは、仙崎漁港で水揚げされた魚介類を行商するために運行されていたものでありまして、隣の長門市駅でも門司行きが4時台で接続してもいまして、下関方面へ行商に行かれる方にも優しかった事が伺えておりました。
しかし、それら「行商列車」と言われました4時台の始発列車は姿を消しまして、さらに現在の本数も以下画像でも表しておりますように上下合わせてわずか12本と、大きく本数を減らしている事も見ていてわかるのではないかと思います。
(仙崎駅時刻)
(長門市駅時刻)
確かに、この区間には路線バスも並行して運行されておりますので、この本数が減ってしまうのもわからなくはないでしょうか。また、かつてのような行商自体も見られなくなった今としてはこのような早朝の始発列車が存在していただけでも今となれば信じられないようにも感じてしまいます。
今回は、時刻表から仙崎支線の今昔に関しましてご紹介しましたが、やはり4時台の行商列車の存在は特に大きかったのではないかと思います。何と言いましても、かなり早い時間から動いていた訳でもありましたので、それだけ利用者も見られていた事には間違いなかったのではないかとは思いますので。しかし、現在は始発が6時台と2時間も遅くなっている事からも、残念ながらそう言った面影も見られなくなってしまっている事に関しましては仕方ない事ではないかとは思いますが、かつてはご紹介しましたように早くから運行されていた事、そしてこの支線の存在がある事を改めて認識していただければとも思っております。


尚、次回は仙崎→長門市間の乗車の模様もご紹介してまいります。