内宮の宇治橋の袂までやってきました。
内宮の正式名称は皇大神宮
御祭神は天照大御神(あまてらすのおおみかみ)、
太陽を司る神様で日本神話の八百万の神の中における最高神とされています。
高さ7.44mの大鳥居をくぐって五十鈴川に架かる宇治橋を渡ります、
去年の暮れに京都の宇治川に架かる宇治橋を訪れたばかりですがこちらも宇治橋、
降りた駅の名前も宇治山田でした。
これには諸説あるのですが京都の宇治と直接的な因果関係があるわけではなく、
宇治はうち=内を意味していて、
京都の宇治は三方を山に囲まれた「内にある地」から、
伊勢の宇治は「内宮のある内郷」が由来となっていて、
それぞれ周辺地域の状況からついた地名が一致したというだけのようです。
鳥羽という地名も京都と伊勢の双方にありますが宇治と同様に因果関係は無く、これもそれぞれ伊勢湾と淀川と港で栄えたことから「泊場」からきた地名だと言われています。
外宮は左側通行でしたが、こちらの内宮では反対の右側通行になっています。
橋と並行して並べられている杭は木除杭といって川が氾濫した際に流木などから橋脚を守るためのもの、
神苑と呼ばれる庭園を抜けていくと、
ここで日除橋、
外宮では最初のところにあった日除橋が内宮ではこの位置にあります。
手水舎まで来ました、外宮の手水舎は参道の左手にありましたが、こちらの内宮では右手、
これが最初の入口の橋の通行帯に関係しています。
手水舎の位置がそうなのは取水元であった外宮の勾玉池と内宮の五十鈴川の位置がそれぞれ左と右に位置しているため、
双方とも水の出どころの側を歩くということになっていることがわかります。
参道の中央は正中といって神様の通る道なので参拝の際には端を歩くのがお作法とされています、
つまり手水舎で身を清める前の穢れた体のまま中央を横切ることを避けるためこのような通行帯になっているのだと考えられます。
それで、
外宮は左、
内宮は右となっているということです。
少し行くと右手に石畳と川が見えてきます、
五十鈴川、この場所は御手洗場といって手水舎と同じお清めの場所です。
昔ここに来た時はけっこう手を延ばさないと水面に届かないイメージがあったのですが、この日は雨のおかげで水嵩が上がっていて届きやすかったような気がしました。
正宮に向かってさらに参道を進みます、
内宮の正宮まで来ました、
こちらもここから撮影禁止です。
正宮にお詣り、
外宮に続いて内宮でも授与所でお札とお守りをお受けし、
帰りは神楽殿の横に入って、
饗膳所、こちらで朱印をいただいて、
参集殿の前を抜けて、
神苑、ここで来た経路まで戻り、
宇治橋を渡って、
最初の大鳥居のところまで戻ってきました。