30年目の1・17 | KENKEN'S 鉄虎(てっとら)日記

KENKEN'S 鉄虎(てっとら)日記

まいど!おおきに!! 野球も鉄道も阪神ファンのおっちゃんのブログやで!

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「もう30年かぁ・・・」
去年の暮れのニュースで知った

あの日の朝のことは鮮明に覚えてる
悪夢にうなされて
「うわーっ!!」
自分の大声で目が覚めた
その瞬間にそれまで
経験した事の無い大きな揺れ
とっさに布団を頭から被った

揺れが落ち着いてすぐに
テレビのスイッチをオンにしたが
地震速報が読まれているだけやった
自分の所は物が落ちたりしただけで
大きな被害は出なかった
そんな状態で何が何だか解らない
ただ、テレビのニュースを眺めてた

いつも通りに支度して会社へ向かった
地下鉄もダイヤは乱れてたけど動いてた
コンビニで昼飯を調達しようと寄ったら
商品棚には何も無かった
会社に着いてもテレビが無いから
状況が把握できない
ましてや、インターネットも無い
結局は昼前には退社して帰った

帰宅したら留守番電話にお袋から
「電話がつながらへんけど
 とりあえず、こっちは大丈夫やから」
とメッセージが残ってた

テレビ中継は目を覆いたくなる惨状
当時はまだ携帯電話が高価で普及してなくて
家の固定電話以外で連絡出来なかった
東京の知り合いから「大丈夫か?」
電話あったときは、半泣きで話した

お袋と妹は西宮の今津
他の親戚も被災地に住んでた
様子を見に行きたくても
鉄道は止まってるし
自動車免許どころか原チャリの免許も無い
何も出来ない自分が歯がゆくて・・・

日を追うごとに伝わってくる被災現場
避難所からのテレビ中継している
その後ろで、おっちゃんが
「そんなんしてるんやったら、
 食いもんもってこい!!」

それからどれだけ時間たったやろ?
阪神電車が甲子園まで運行再開した
仕事はいつも通りにして、残業終わって
梅田から甲子園まで乗った
駅から甲子園球場の方を見たら
阪神高速の高架が桁から外れて
ノコギリの刃のようになってる
その時点で涙が止まらへん
改札を出て、今津へ向かって歩く
街灯は点いてるけど
人も歩いてないし街に音が無いんよ
ホンマに全く何も音がしてないねん
自分のすすり泣く声だけが響いてる

今津駅前に到着したら
公衆電話で話を終えた
お袋と偶然に会えて
『良かった、良かった』って心で泣いた
当時、お袋は飲み屋をしていて
大きな被害は受けなかった
しかし、近所に住んでいた妹は
アパートが半壊したが
2階部屋で助かった
他の親戚も大きな被害は無かった

30年経っても心の傷は癒えない方は

たくさんいらっしゃると思います

そのお気持ちを考えると胸が痛みます


自分はこの間に還暦を越えました
その間にいろんな事りました
すばらしい出会いもあり
かなしい別れもありました
丁度一ヶ月後にはまた年を重ねます