去年の秋は上越線に2回も出撃した。9月のC61 20と10月のD51 498。これは僕にしてはとても珍しいことである。平日に蒸機が旧型客車を牽引すること、機関車にヘッドマークが付かないことが決め手となった。現役時代を彷彿とさせる姿が見られるということで、重い腰を上げた次第である。
前回上越線で撮影したのはいつだったか調べてみたら、2011年7月にC61 20を撮影して以来である。13年ぶりに訪れた旧水上機関区を訪れて驚いた。クラは跡形もなく撤去され、芝生が植えられた敷地の片隅にはD51 745号機が保存展示されていた。また、従来3線あった機待線が1線になっていた。これでは重連運転ができないではないかと愕然とした。すごい割り切りようである。
近年は冬の運転もなくなってしまった。雪でターンテーブルが埋まってしまうと方向転換ができず、復路の運転に支障が生じるのが理由だと聞いた。雪国の鉄道マンが聞いたらビックリする言い分だ。否、水上も雪国ではないか。
僕が上越線で最後に重連運転の雪中走行を撮影したのは1995年1月だ。その年の春に海外赴任が予定されていて、仕事もラインからはずれて国会対応業務がなく、比較的自由に趣味のための時間が取れたという事情もあった。
1995年1月14日。この日はD51 498とC58 363の重連運転日。くどいほど天気予報を確かめ、さして雪は降らないと判断し、ノーマルタイヤのままチェーンを携行して自宅を出発した。往路は後閑の先の築堤下、今で言うところのベイシア裏に三脚をセットした。築堤には雪が積もっていていい感じ。しかし、あろうことか、そろそろ列車が来る頃になって雪が降り始め、あれよあれよという間に横殴りの吹雪状態になってしまった。そんな中をやってきてしまった重連、三脚に据えたペンタックス645はそのままに、咄嗟の判断で手持ちのニコンF4sを流し撮りに切り替えた。やけっぱちの気持ちの発露である。
消化不良のまま水上でD51とC58の並びを撮るべく北に進路をとった。降雪の中でチェーンを装着するのも煩わしいので、ノーマルタイヤのまま。どうせそのうち雪は止むだろうと思った。しかし、降り続く雪はたちまち道路を覆い尽くし、道路は渋滞してノロノロ運転。スリップして直進もままならない車もチラホラ。そのうち僕の車もスリップしだしたところで、北上を断念。Uターンして、復路は第二利根川橋梁を見下ろす斜面から後追いで撮影することにした。しかし、強風で蒸機が煙に隠れてしまうという散々な結果となった。
↓ベイシア裏の築堤をいくD51とC58の重連。咄嗟に流し撮りに切り替えた割には、うまい具合に流れた。(後閑〜上牧)
↓復路の重連。線路の向こうに同業者が見える。(岩本〜津久田)
1日おいて捲土重来の1月16日。前々日にも増して雪がひどい。このため、沼田駅前で車を停めタイヤチェーンを装着して、北上した。それでも車列は20〜30km/hのノロノロ運転を余儀なくされた。結局往路は諏訪峡手前の線路端から撮影することにした。三脚にはF4sに80-200mmを据え、50mm付のF3HPを手持ちとした。姿を現した列車はスノープローで雪を掻き飛ばしながら通過していった。
その後も雪は止むことなく降り続いていて、水上はどんなにか雪深いことかと思うとこのまま北上する気にはならなかった。ビビったのである。復路は沼田駅の先の第五利根川橋梁手前のカーブで撮ることにした。午後の斜光線を受けて通り過ぎる重連列車を後追いで撮影して、帰路についた。
冴えない二日間ではあったが、雪中の重連を撮れたことは今となってはかけがえのない思い出である。
↓良好な斜光線を浴びて帰路につく重連列車。煙がないのがつらいが、下り坂ゆえ致し方ない。(沼田〜岩本)