八潮からのウォーキング(都内篇) | ハンター湘南の旅ブログ

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話が前後しますが・・・

11日は国立競技場(高校サッカー準決勝)へ向けてウォーキング。

まずはそのレポからいきましょう。

 

起点は、

何となく青物横丁に降りて、

都立八潮高校からにした

 

「セーラー服と機関銃」の制服は奇跡的に健在だが、朝の京急ではほとんど見かけなくなった。

一時期は毎年東大合格者を出す名門だったが、令和以降は人気低迷で目に見えてどんどん生徒が減って、今や近隣からの自転車通学ばかりなのだろう。

 

 「八潮」昭和55年、品川区沖の埋め立て地に地名としては初登場。実は古い地名ではなかったのを最近知る。

それ以前からあった都立八潮高校の名前は、旧制時代の府立第八高女から「八」、東京湾に近いことから「潮」の字を組み合わせたもので、やはり昔からの字名とかではないのだった。

戦後すぐ、学校名として地図上初めて「八潮」の文字が登場

因みに都立八潮高校は東品川にあり、八潮に存在したことはない。

 

「八潮」の地名は、八潮高校卒業生の区のお役人が埋め立て地に命名して誕生したのだろうか?

 

 

さて、ウォーキングは、定時スタートのはずだった。

が、サッカーのチケットが間際のためコンビニで直接購入できず、慣れないクレジット購入をしたが、コンビニで紙発券が必要と分かり、急遽寄り道。

また、昼食時間を全く無視していたこともあり、松屋も経由、いきなり20分遅れでのスタートの波乱だった。

新年早々、やっちまったなあ~

 

とにかく歩くピッチを上げないと、国立のサッカーは待ってはくれない。

 

旧東海道を少し歩き、目黒川に沿って曲がる

 

 

リニア新幹線工事現場脇を通過。

1分たりとも在来線電車が来るのを待てませんでした。

 

大崎方面へは行かず、島津山の近くを抜け、白金台へ

思った以上の急坂

 

不意に、ブルネイ大使館脇を通過(写真は控えました)

興和38ビル(中学生当時そう習った)に入りそうな小さな国だが、産油国のせいか立派な独立建物だった。

都内大使館巡り(雑居ビルを除く)をやりたくなる

 

不意に物流博物館に出くわし、鉄道写真展の開催を知るが、また今度

 

また、近くに私鉄総連の建物も偶然発見

 

高輪台駅前を通過

ちょうど私立女子高の下校時間だったが、すぐそばに駅があるのに定期の高い都営地下鉄を敬遠し、品川や五反田へ直接歩く生徒が多かった。

 

外苑西通りへ入れば、後はだいたい道は判るから心強い

しかし、遅れは取り戻せていない

 

天現寺で、巨大な昭和の都営住宅の生存確認

 

懐かしの順心女子高校は、共学の超進学校、広尾学園に変わった、時代の流れは仕方ない。

 

広尾、西麻布と進み、

 

長ーい青山霊園脇(体力的にもメンタル的に厳しかった)を力行し、ようやく青山通りにぶつかった。

 

そして、少し歩いて、前方に国立競技場が見えてきた。

こういう苦難を伴う行き方だと、感激もひとしお!

 

2時間ちょっとの運動でした。

結局8分遅れでの到着で、後半戦の歓声がすでに聞こえていた。

以上、1月11日、サッカー観戦前の話でした。

 

 

むしろ、最近は、八潮と言えば埼玉県八潮市を連想する方が圧倒的に多いだろう。つくばエクスプレスの駅が設置された影響は絶大だ。

 

ちなみに、埼玉県の八潮市も合成地名である。

いわゆる昭和の大合併で「八幡・八條・潮止」3村が合併し、字を組み合わせて「八潮村」が誕生した。

村だけに人口が少なく、全国各地の過疎の農村地帯同様財政が厳しく、統合中学校の設置が主な理由と思われる。

その後都市化で人口が急増し、町を経て市になった。

中学校が増設され、第五中学校まで開校し、1994年には地名を採り入れた学校名に変更され、旧村名を冠する学校が3校復活した。

 

 

さて、明日こそ、その埼玉県のほうの八潮へ、TXに乗って行こう(もし、積雪ある場合は変更あり)

今度は八潮駅からのウォーキング2025、どこへ歩くかは、お楽しみに。