所有事業者:ジェイアールバス関東
仕様・用途:高速路線仕様(高速「いわき」号に充当)
登録番号:水戸22 あ 1164
社番:644-6971号車
配置:水戸営業所高萩支所
初年度登録:1986年
シャシー製造:三菱自動車工業
搭載機関:三菱8DC9T6型
車体架装:三菱自工名古屋
車両型式:P-MU525TA(T)
車名:三菱ふそうエアロクィーン・W
撮影日:1990年4月7日(土曜日)
撮影場所:東京駅八重洲口
お陰様(?)で、自画自賛コーナー「今日の1台」も1200回目を迎えることが出来ました。
当初は過去に撮った旧い車を取り上げるのがメインでしたが、いつしか最近の車も撮るようになり、それが撮りバス復活のきっかけになったわけですが、あらためてライブラリーを見ると、旧い車はまともに撮れているのが少なく、なかなかお見せ出来るものが限られてしまうのが判りまして、ウェイトが最近撮ったものに傾くようになりました。まぁ、それでも「これは大丈夫だろう」とか、「これはイケるんちゃう?」とかを探して新しく撮った車に混じってたまに旧い車を取り上げるスタイルに変わっていきました。
で、節目の回では私の大好きな三菱ふそうのMU系を取り上げるのがお約束になっているのですが、ストックも少なくなりました。場合によっては別の記事で取り上げた個体を再掲という形でお届けしたりもしましたが、今回は久しぶりのエアロクィーン・Wになります。
35年前に撮ったこのAQW、つい最近まで何も意識していませんでした。多分ね、常磐高速バス「いわき号」のJR車を撮ったことがなかったので、「一応、撮っとこうか」と撮ったと思うんですね。それから三十数年経ち、あらためてこの画像を見た時衝撃が走りました。「えっ!? ウソでしょっ!?」みたいな感じで。そのきっかけになったのが社番(JR称号)。調べたらとんでもない車であることが判りました。おそらくですけど、国鉄バス時代に導入したJRバスにおけるAQWの初号車だと思われます。
1963年に名神高速道路が、1968年に東名高速道路が開通すると、その利便性や高速性を高く評価した国鉄自動車局や民間のバス事業者は高速道路を使った路線バスの運行を模索するようになり、特に1969年の東名高速道路全線開通では新幹線のフォロワーという立場で、国鉄自動車局では本格的な高速路線バス専用車両の開発に着手します。ただ、国鉄単独では開発がムズかったため、運輸省や鉄道技術研究所、鉄道労働科学研究所、そして国内のバスメーカー4社と共同で開発をし、メーカーは試作車を製造してプレゼン、採用を決める段取りになりましたが、その条件が当時の技術としては想像を絶する無茶振りでした。
国鉄がメーカーに科した条件は抜粋ですけど下記の通りになります。
① 30万キロオーバーホール無し。
② エンジンは無過給で350PS以上。
③ 最高速度は140km/h。
④ 巡航速度は100km/h。
⑤ ギア3速で80km/hまで加速させる。
⑥ 少ないギアチェンジで速やかに高速道路のバス停留所から本線に合流させる。
etc・・
この条件を満たしたのを「国鉄専用型式(JRS)」として、他の事業者は導入が出来ない(させない)システムを構築しました。
一方で、条件があまりにも厳しすぎるが故に、日野といすゞは途中で「やってられない」と撤退し、残った日産ディーゼルと三菱ふそうが1980年代の半ばまで国鉄に納入し続けました。この間、日デとふそうは幾度も「標準車両の導入を」と懇願しますが、国鉄は首を縦に振りませんでした。専用型式は通常のバス製造ラインとは別工程になるため、コストもかかるし、人件費も嵩む、しかも国鉄側からは開発費用を肩代わりするということは無かったので、メーカーは踏んだり蹴ったりだったんですね。さらにはエンジンのパワーも無過給で300馬力以上絞り出すのは限界に達しつつあったので、過給器(ターボやスーパーチャージャー)の装着を認めるようにというのもメーカーは働きかけますが、国鉄は過給器を信頼していないためこれも却下。一時は2メーカーとも「止めちゃおうか」と思ったほどだったとか。
そんな国鉄ハイウェイバスですが、 “親元” の鉄道事業が膨大な赤字に悩まされており、経営状況は悪化する一方。政治を巻き込み、1980年に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が公布、その時は具体例は示されなかったものの、ゆくゆくは民営化する方向で準備をする法律になります。バス事業も煽りを受けることになりますが、ハイウェイバス車両については、初期から中期にかけて活躍した車両の刷新が求められていました。しかし、赤字のため、新車の導入もままならず、旧い車を騙し騙し使っているのが現状でした。ボディデザイン(富士重工R13型)も他の観光バスと並べると旧さが目立ってしまい、ここでようやく新車を導入を決定します。時に1984年のこと。この時日産ディーゼルは導入を見送りましたので、ふそう一本になりますが、あんなに頑なに拒否していたターボの採用を認め、エアロバスで実績があった8DC9型エンジンにターボを取り付け、ボディも富士重工の最新タイプである15型R3ボディを架装したMS735を導入しました。このMS735が国鉄専用型式で製造された最後のモデルになります。
民営化を翌年に控えた1986年、民営化以降の事業を鑑みて国鉄専用型式で製造することを止め、次の新車からはメーカー標準仕様となりました。時代の流れに乗る形で国鉄バスは初めてスーパーハイデッカーの採用に踏み切り、東名用にはエアロクィーン・W(MU525)を、名神用には日産ディーゼルスペースウィング(DA67)を導入しました。
1986年式エアロクィーン・Wは当時の東京自動車営業所と大阪自動車営業所に4台ずつ、計8台を配備させ、最初は夜行高速路線バス「ドリーム号」に充当していました。称号的には東京が644-6971~6974で、大阪が644-6975~6978でした。ですから、画像の6971はまさに初号車と言えるのではないでしょうか。
なお、「ドリーム号」専用というわけではなくて、間合いで昼行便にも使用されたりしていました。
1987年4月以降は6971~6974がJR東日本に、6975~6978がJR西日本に継承され、その翌年にバス事業が分社化されてJR東日本配備車はJRバス関東とJRバス東北に、JR西日本配備車は西日本JRバスと中国JRバスにそれぞれ移行しています(注)。また、1987年からはJR東海にもAQWは導入され、1988年の分社化以降はJR東海バスの持ち物になっています。
AQWの導入は1987年までで、1988年からは後輪一軸のエアロクィーン・M(MS729)が本命となりました。
また、東名ハイウェイバス昼行便に充当される旧型車置き換えも民営化以降は加速し、名古屋の三菱自工大江工場で製造された標準ボディのエアロバス(MS725)が導入されるようになりますが、高速路線仕様ということで、エンジンはMS735と同じターボで武装しています(型番はMS735とはならず、MS725改で落ち着きました)。また、1989年からはJR東海バスの車両も置き換えが本格化し、こちらもエアロバスが導入されるのですが、エンジンがAQMと同じ8DC11を搭載しているので、型式もMS729となっています。
JRバス関東の1986年式AQWは、AQMの導入を機に常磐へ働き場所を変えて、東京と平(現、いわき)を結ぶ高速路線バス「いわき」号用にとして転用されました。東名という檜舞台での活躍は僅か2年弱というものでしたが、この活躍が後に二階建てバス「エアロキング」の導入への足がかりとなりました。
後々、社番(称号)がS654-86471に変更されているので、撮影時にその新番号だったら、初号車だとは気づかなかったでしょうね。
AQWになると熱くなってしまいますが、No.1201以降も目を通してやって下さい。
注)JR東日本バス→JRバス関東/JRバス東北の移行はあくまでもバス全体を
指します。
JR西日本バス→西日本JRバス/中国JRバスの場合も同様。
【参考文献・引用】
第43回企画展「JRバス」 (旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 刊)
BUSRAMA EXPRESS11「The King -エアロキングの四半世紀-」 (ぽると出版社 刊)
jugemブログ「つばめバスの記録集」
ウィキペディア(JRバス関東、同水戸支店、同いわき支店、国鉄再建法など)