1992年1月今津線-6

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皆さんこんばんは。 平井車庫付近から 今津線に移動 まずは宝塚南口駅。

 

当時の今津北線は 初詣ヘッドマークの大盤振る舞い。 2枚看板も撮り放題?

向かって右は、普通西宮北口行3072F。 左が普通宝塚行5203Fになります。多分再掲画像です。 以前も記事にしたいますが、この1992年前後は、宝塚駅付近の高架化工事が施行されていて 宝塚南口駅の先 武庫川鉄橋を渡ったところから宝塚駅まで仮線路を施設する余裕がなく やむなくこの区間で片側の線路を封鎖してそこに高架橋を設置する方法で高架化工事が施行されていました。 

 

1992年お正月は 下り線路を封鎖して工事が開始されて 5203Fのいる上り線路を使って 単線運転が実施されていました。

 

続いて仁川駅。

普通宝塚南口行 6011F。当時の今津北線では、須磨浦特急用6000系の6両編成車が必ず1編成運用についていました。

 

行き先表示幕。支線区あるあるの区間表記になっていて 4文字駅名が連記されていました。 単線運転開始時の半年ぐらいで見られた表記で 見にくいのと誤乗防止から 行き先の表記になり それも宝塚南口のみ青色地に白文字に変更されました。

 

普通宝塚行 6026F+6016F。

 

この編成は、神戸線用6000系の最終製造車で 当初は、後2輌の6026F側に 中間車2輌が組み込まれていて4輌編成 、宝塚よりの6016Fは2両編成で製造されました。

その後 編成の組み替えで 6026Fの中間車2両が 6016F側に組み替えられました。それが写真の編成になります。 こういう変更がなされるのなら 当初からこの組み合わせで製造されていれば、おそらく 6666の4ならびの中間車が製造されていたと思われます。

ちなみに6016Fの方は 再び2両編成になって 現在最後の神戸本線走行6000系として 日々10両編成通勤特急の先頭に立っています。

 

御覧頂きましてありがとうございました。