ここは大阪駅。
昭和51年4月に撮られたこの画像、画像左のキハ58系急行は大阪駅に到着したところで、画像右の485系「白鳥」はこれから出発するところという構図です。
提供者様の説明によると、キハ58系急行は「丹波1号」だそうで、時刻表で調べると、豊岡駅を6時08分に発車した上り「丹波1号」は、大阪駅に10時09分にとうちゃこします。一方、「白鳥」は、大阪駅を10時20分に出発しますが(青森着は23時50分)、この11分間の邂逅ということになります。
この頃の福知山線のフラッグシップは特急「まつかぜ」ですが、急行は「丹波」と「だいせん」が設定されていました。列車名が示すように、「丹波」は大阪から丹波地方への輸送がメインで、「だいせん」は山陰の主要都市を連絡するのが使命になります。ただ、「だいせん」は3往復しか設定されておらず、しかも3往復のうち1往復は夜行便で残る1往復は臨時便なため、そういう意味でも福知山線における陰陽連絡の主役は「丹波」ということになります。いくら大衆化が進んだとはいえ、やはり特急は別格の価値があり、威厳を保っていたのは言うまでもありません。
「白鳥」ですが、やはり「白鳥」というと、「日本最長距離運転の電車特急」というイメージが今もなお根付いています。
瞬間、2往復運転もありましたが、基本的には1往復運転の期間が長く、日本海に沿って延々走り抜ける長距離特急は、485系が持つ特性を遺憾なく発揮した唯一無二の例と言えます。つまり、直流区間も走ります、交流50Hz区間も60Hz区間も走ります、という、481系も483系もマネ出来ないパフォーマンスを「白鳥」で具現化しています。
向日町運転所にも485系は配備されていましたが、この当時の「白鳥」は青森運転所が管轄。同所特有の連結器カバーがそれを物語っています。
この当時の青森運転所は「白鳥」の他に、「はつかり」や「やまびこ」、そして「いなほ」を管轄していましたが、4列車が共通運用かといえばそうではなくて、「白鳥」は独自のスジを持っていました。編成がね、他の3列車とは異なっていたためです。
この当時の青森運転所485系は、上野寄りの2号車にグリーン車が連結された12両編成を組成していたんですが、「白鳥」はそのグリーン車を2両連結した13両というスペシャルバージョン。気動車特急時代からグリーン車の需要が高かったため、昭和47年10月の電車化に際しても、グリーン車2両連結は継続されました。昭和53年10月の改正で「白鳥」編成が改められ、「はつかり」「やまびこ」「いなほ」と同一の編成になりました(12両編成に縮小され、グリーン車の連結位置が食堂車の次位に変更された)。
そして、「白鳥」の先頭車ですが、当時としてはレアな存在。
というのも、画像のクハ481はいわゆる1000番代ではありません。
青森運転所の485系先頭車は一部にイレギュラーはあったものの、基本的には正面貫通タイプの200番代で占められており、ボンネットタイプのクハ481は短期間で他区所へ異動し、また画像の300番代はかなりの少数派でした。
上野駅や東京駅も役者が揃ってたけど、昭和50年代の大阪駅もまた、役者揃いでしたね。
【画像提供】
い様
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表1978年8月号 (日本交通公社 刊)