遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年も拙ブログを宜しくお願い申し上げます。
さて、私自身本年の乗り鉄はじめは、最北端から最東端への旅を敢行してきました。3月ダイヤ改正で廃駅となってしまう宗谷本線の抜海駅(私はまだ列車での訪問は果たしていなかった)、そして『日本最東端の駅』として知られた根室本線(花咲線)の東根室駅を訪問する旅の事を2025年初ブログとして紹介しようと思います。またまた長い記事となりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

























1月1日
本年の乗り鉄はいきなり元旦🎍からのスタートとなりました。
最寄り駅から学園都市線の524Mに乗って札幌駅へ。
2025年初乗車となった車両は、721系F-3103+F-3203編成(エアポート用)のuシート車サハ721-3203。初っ端からuシートとは幸先よいスタートです!
新製uシート車を含む4000番台車の廃車が始まっていますが、改造uシート車連結の3000番台は機器更新されたためまだ当分使用するつもりなのでしょうか。その際車内もリニューアルされ、従来の赤と青のシートから、以後の車両に合わせたブラウンの平織生地に張り替えられており、チケットホルダーがなくなりました。
『最北端から最東端の旅』をするにあたって、まずは稚内までの送り込みをしなければなりません。そのため7:30発の特急宗谷(下り)に乗るため7番線ホームに上がります。
ちょっと話題がズレますが、7:10、6番線には室蘭を5:25に出発したすずらん1号が到着。この後宗谷と同時発車して並走するすずらん2号となる車両で、785系NE-502編成でした。
早朝の列車という事もあるでしょうが、車内はガラガラ…。折返しのすずらん2号を待っている乗客もほとんどいませんでした。結局、すずらんの全車指定席化は大失敗だったにも関わらず、ソレを頑として変えようとしないJR北の施策には非っ常~に疑問を感じます。
7:15頃、下り宗谷となる車両が苗穂から回送で入線してきました。
この日は通常4両編成で、編成表は以下の通り。
稚内←①(G/指)キロハ261-203 ②(自)キハ260-203 ③(指)キハ260-101 ④(自)キハ261-101→札幌
私は先頭①号車の指定席をえきねっとで予め確保。
元旦から旅行をする人は少ないと思いきや、指定席の乗車率は4割程でした。車内では車掌による「あけましておめでとうございます。」から始まる案内放送が流れます。
出発を待つ下り宗谷号。
7:30、札幌駅を発車。同時発車するすずらん2号との並走バトルが繰り広げられますが、早い段階であっけなく抜き去られるも…結局平和駅(札幌貨物ターミナル駅)付近で追いついてバトルに決着を付けました!
野幌付近で見た初日の出。今年も良い一年でありますように🙏
「♪窓のぉ~向こう~は~石狩ぃ平野ぁ~行く手ぇ~を遮ぃ~るぅ~雪ばぁ~かぁ~りぃ~」
車窓には山川豊のデビュー曲『函館本線』の歌詞そのままの風景が広がります。この日は冬晴れではありましたが、先行列車の遅れのため当列車もその影響を受けます。
いきなり飛びますが、8分遅れの旭川からは宗谷本線に入り、塩狩峠を越えます。
やがて列車は天塩川沿いの区間を走行。
抜海駅などと同様に3月ダイヤ改正で廃駅となってしまう雄信内、南幌延の両駅を通過します。
幌延駅では稚内を10:28に出発した4326D(キハ54 502単行)と交換しますが、元旦にも関わらず激混み!車内を覗くと座席のほとんどが埋まっているように見えました。多くは18キッパーか北東パスの利用客でしょうか。
しかし晴れていたのも幌延あたりまで。残念ながら雲が多くなり、天候次第では見えるハズの利尻山(利尻富士)を眺める事は叶いませんでした…。
やがて…問題の抜海駅を通過。
当然ながら、車窓のハイライトである抜海の丘での利尻山は全く姿を現さず…。
冬場で眺められる事ができる人はかなりの強運でしょう!
そして南稚内を経て、終着駅を告げる車内放送が。結局遅れは10分にまで拡大…。
12:52頃、終着・稚内駅に到着。
いつもながら(?)お約束のショット!
駅コンコースには、折返し列車となる6064D旭川行サロベツ4号の改札を待つ長蛇の列が…。ほとんどは帰省客ではなく旅行客でしょうか。元旦早々ご苦労様!
稚内駅舎前の気温計は-2.7℃。思ったよりシバレてはいませんでした。
折返し列車のサロベツ4号は定刻の13:01から約3分程遅れて出発。駅ビル『キタカラ』の展望デッキから見送りました。
この日は稚内で1泊するため、『天北の湯 ドーミーイン稚内』に宿を確保していましたが、15時チェックインまではまだ早い…。その間稚内公園に行こうかとも思いましたが、-3℃前後とはいえ寒い中の外出も憚られるため、おとなしく駅待合室で時間を潰す事に。ついでに翌日から使う切符の購入もしてきました(切符の写真は後程紹介)。
15時近くなったので、宿にチェックイン。繁忙期ではありましたが、予約時点の料金¥7600にじゃらんポイントを併用して¥6000で泊まる事ができました。お部屋は最上階の9階で、稚内市街地側の眺めでした。
元旦という事で、駅前界隈は当然どこの飲食店もお休み。稚内駅ナカのセコマで買ったおにぎりとオカズで寂しい晩餐を…。まぁ想定の範囲内でしたが。
さて…稚内駅で購入した2日以降に使用する乗車券類がコレ。右下の『抜海→東根室』は経路上の関係か指定席券売機で購入できず、窓口氏にお手を煩わせる事となりました。他の切符の詳細は追々説明する事にしましょう…。
1月2日
この日から2日間、旅の本番となります。
10時前にホテルをチェックアウトし、稚内駅へ。
当初の計画では、「抜海から東根室ゆき」の乗車券を行使するために稚内駅前から抜海駅までタクシーで移動しようと思ったのでしたが、前日の4326Dの混雑振りを見て、途中駅からの乗車は座席の確保が保証できないという事で断念。そこで、稚内駅から10:28発の4326Dで抜海駅まで向かい、約1時間後に4325Dで稚内駅に再び戻り、そこから13:01発のサロベツ4号で南下する行程に変更させて頂きました。まぁタクシー代よりは稚内→旭川の特急料金のほうが安いですから…。
4326Dの車両(キハ54 504)は10:15頃(?)に入線。10:20頃に改札が開始され、並んでいた20数名程の乗客がドッと乗り込んでいきます。
キハ54 504はクロスシート部がR51簡リク集団見合い配置で、両端のロングシートが延長されたタイプ。座れない程の混雑ではありませんでしたが、どっちみち抜海駅までの短い旅なので、デッキに立つ事にしました。二重窓にも関わらず窓の曇りもひどく、景色も満足に眺められないというのもサロベツ4号に行程を変更した理由であります。
どっちみち稚内まで往復しますが、JR北のワンマン列車につき切符は容赦なく回収されてしまう(ワンマン列車でも記念に持ち帰られるJR九州を見習え!)ので片道乗車券を使用する事にしました。往復乗車券は3月(時期未定)に廃止されてしまうため、ソチラの券片を手元に残しておきたかったのです。
稚内駅から約17分、目的地である抜海駅に到着。ホームには数名の同業者が…。
抜海駅で降りたのは7名程の同業者たち…。まぁ廃止が近づくと同業者とのカチ合いは避けられませんね…(苦笑)。本当はまだ静かなウチに行きたかったのですが、結局先延ばしした挙げ句この時期になってしまいました。
この後、11:48発の稚内行まで約1時間、当駅に滞在します。
抜海駅は、去る9月24日以降交換設備を廃止し、同時に2番線ホームも使用停止となって棒線駅となりました。雪に埋もれたホームが哀しい…。かつて天北線に乗った時に見た、交換設備が廃止された樺岡や猿払も旧2番線ホームや信号柱が残されていたのを思い出す…。
風除室のある改札口側。年代モノの温度計は-1℃を指していました。
駅舎内の様子。旧窓口側には駅ノートが(過去分も含めて)置いてあり、チッキ台の上に置かれた『少年アシベ』のゴマちゃんのぬいぐるみがカワイイ😍
ベニヤ板で塞がれた切符売場窓口跡。運転上の無人駅になる前はドラマ『少女に何が起ったか』のロケ地にもなりましたが、それから40年…まさか廃駅になろうとは。
コチラは2021年にレンタカーを使って訪問した時の駅舎内。当時は交換設備があったので、除雪作業員詰所として使われていた事務室側から石油ストーブの煙突が待合室側に延びていましたが、現在は撤去されています。
本来ならば、この年のダイヤ改正で廃駅になる予定でしたが、稚内市が駅管理費を負担する事が決まって辛くも存続する事が決まったのでした。しかしそれから4年…現実は厳しかった…。
尚、この時訪問した時のブログはコチラを参照してください。
発車時刻表ですが、2番線ホームの廃止に伴ってホーム番号が白く塗り潰されているのがわかります。あまりにも本数が少なすぎるため、列車で来るにはハードルが高く、結局稚内から往復する形で訪問するのがベターなのです。
一旦駅の外に出て駅舎を撮影。クルマでの訪問者の姿も…。
ホーム側から見た駅舎。長年風雪に耐えてきたこの建物も、いずれ消える運命に…。
駅舎の柱に据え付けられていた縦書きホーロー製駅名標は盗難対策のためか、既に撤去されていました。
本来ならば冬期間除雪作業員が詰めていた駅事務室も閉鎖され、誰もいない状態…。
再び駅前側に出て駅舎を撮影。先程いたミニバン2台はもういなくなってました。
地元有志は駅舎の保存を望んでいるようですが…列車の来なくなった旧駅舎を維持するのはとても大変な事であり、実現は難しいかと…?
駅前風景。あるのは右側にある民家だけ…。
海沿いの抜海の集落から2㎞余り離れているようでは、利用客が見込めないのもわかります。周辺に『塩狩峠記念館』などがある塩狩駅(和寒町の管理にて維持)とは異なり、駅周辺に何もないようでは存続も難しいのでしょうね…。
寂しい気持ちになってしまいましたが、いつまでも感傷にふけっている場合ではありません。稚内へ戻る列車がやってきたので乗り込む事にします。
旭川からやってきた4325Dはキハ54 510。この列車からも数名の同業者が降りていきましたが…次の列車まで6時間近く!一体どう過ごすのだろうか??
ちょっと複雑な乗車券の使い方にはなりますが、稚内までは往復乗車券の「かえり」券片を使用、そしてサロベツ4号へは往復乗車券の「ゆき」券片と「抜海→東根室」を併用する事になります。
帰りの列車も、やはりデッキに立って前面展望を楽しみながらの移動となりました。
最徐行で終着・稚内駅に進入。
12:07、稚内駅に到着。
旭川からの始発列車という事もあり、なおかつ18きっぷや北東パスなどのフリーパス利用客が多いと思われ、結構な人数が降りていきました。
以下、稚内駅からのサロベツ4号以降の行程は次回に紹介させて頂きます。
つづく