その16(№6280.)から続く

お待たせして申し訳ございません。今日残る2本の記事をアップして終了といたします。


今回は、北陸新幹線延伸開業に伴う新幹線接続特急の変遷を、①金沢開業前、②金沢開業時、③敦賀延伸開業時の3段階に分けて見ていき、併せて在来線特急「サンダーバード」「しらさぎ」の使命の変容についても言及していきます。

【長野-金沢間開業前】
このころは長野における新幹線接続特急というものはなく、僅かに臨時列車として一時期「信州」が長野-金沢間を走りましたが、定着するには至らなかったのか、定期化はおろか臨時列車としての定番化すらなされませんでした。やはり長野乗換えでは上越新幹線~「はくたか」ルートに所要時間で敵うものではなかったことと、長野~富山~金沢間固有の輸送需要がそもそもその程度しかなかったことが理由と思われます。

【長野-金沢間開業から敦賀開業まで】
平成27(2015)年の金沢開業時には、新幹線接続特急として以下の2系統が整備されました。

・ 能登かがり火(金沢-和倉温泉)
・ ダイナスター(金沢-福井)

言うまでもなく前者は和倉温泉アクセスをはじめとした能登方面への接続列車、後者は福井への接続列車です。ただし福井方面へは、日中には「サンダーバード」「しらさぎ」が接続をとっており、「ダイナスター」はその間隙を埋める形で設定されたため、運転時間帯及び本数共に限られたものとなり、編成も681・683系のモノクラス編成とされました。
このとき注目されたのは、「サンダーバード」「しらさぎ」がいずれも金沢-富山間をカットされ、新幹線「つるぎ」に接続する形態に変更されたこと。これは金沢以遠の北陸本線がJR西日本から経営を分離されたことが理由と思われますが(金沢-富山間をJR運営のまま存置すれば『サンダーバード』『しらさぎ』も富山発着を維持できたのだが、富山以遠のみの第三セクター鉄道の運営は富山県が嫌がったとされている)、従来の新幹線接続特急は、新幹線を幹とすれば枝葉(末端)の関係にありましたが、これは逆に末端部を新幹線が受け持つということであり、従来見られた新幹線接続特急とは反対に、新幹線が「在来線接続新幹線」になったということです。もっとも、このような形態は既に11年前の平成16(2004)年に九州新幹線で出現していますが、あちらは在来線と新幹線を事実上一体的に運営していましたので、この北陸新幹線の事例とは異なります。
したがって、北陸新幹線金沢開業以降、「サンダーバード」「しらさぎ」の両列車は、「新幹線接続特急であると同時に『在来線接続新幹線』を持つ列車である」という、二面的(関西圏又は中京圏対北陸という独自の需要も加えれば三面的)な顔を持つ列車となりました。
このような体制は、9年後の敦賀延伸開業まで続くことになります。

【敦賀開業後】
北陸新幹線敦賀開業後は、特急列車の体系が以下のように変更されました。

・ 「能登かがり火」は存置
・ 「ダイナスター」は廃止
・ 「サンダーバード」「しらさぎ」は敦賀-金沢間をカット、全席指定に変更

和倉温泉方面は新幹線の影響を受けませんので「能登かがり火」は存置された一方、北陸本線在来線の第三セクター化に伴い「ダイナスター」は廃止となりました。
そして大きく変わったのが北陸特急の二大巨頭「サンダーバード」「しらさぎ」の両列車。両者とも敦賀で「つるぎ」に接続する形態に変更され、敦賀駅には両列車の専用ホームが用意されました。開業前、一部では九州の新八代や武雄温泉のように同一ホームでの乗換えを期待する声もありましたが、それは実現しないままでした。これは、敦賀駅周辺の地形の関係で、そのような配線を構成するのが困難だったためと説明されています。
なお「サンダーバード」「しらさぎ」の両列車が接続するのは「つるぎ」であり、東京直通の「かがやき」「はくたか」との接続は考慮されていません。これは両列車からの乗り継ぎを「つるぎ」に集中させることで、在来線又は北陸新幹線のダイヤ乱れの影響を東京方面、特に東京-大宮間に波及させないという、ダイヤ作成上の工夫が反映されています。
このように、北陸新幹線敦賀延伸開業に伴って、「サンダーバード」「しらさぎ」の両列車は、完全な新幹線接続特急に変貌を遂げました。前者は九州新幹線全線開業前に運転されていた「リレーつばめ」又は現在の「リレーかもめ」のような列車に、そして後者は北陸新幹線だけではなく、東海道新幹線とも接続する列車と、両面から新幹線を受ける列車となりました。これも「リレーつばめ」や「リレーかもめ」と同じ性格を持つことになります。中でも「しらさぎ」のうち米原発着列車は、完全に新幹線の間に挟み込まれた列車となっています。米原発着「しらさぎ」は、走行距離が僅か43kmに過ぎない、超短距離特急になってしまいました。ことここに至っては、「『北陸特急劇場』の栄耀栄華も遠くなりにけり」と感慨に耽らざるを得ません。
これによって、大阪・名古屋方面から福井・金沢・富山全てに新幹線での乗換えが不可避となったばかりか(名古屋・岐阜対富山だと高山本線経由の『ひだ』で直通が可能だが、列車本数・輸送力とも限られている)、割を食ったのが和倉温泉。それまで、大阪・京都・名古屋といった大ターミナル駅で「和倉温泉行き」を連呼され、絶大な宣伝効果を得ていたものが全くなくなったのもそうですが、最大の不利益は敦賀と金沢で2度の乗換えが不可避となってしまったこと。愛好家ではない一般旅客が「乗換え」に非常な物理的・心理的ハードルの高さを感じるのは周知の事実で、これによる観光客の入れ込みの減少が懸念されています。このような観光客の入れ込みの減少(の可能性)に、地元の旅館組合や観光業界は危機感を強めており、在来線経由の直通特急列車の運転を模索する動きもあるようです。こんなのは国鉄時代のように、並行在来線を切り離さずにいれば、それほど大きな問題にはならなかったはず。まして東海道新幹線を作った島秀雄氏の当初構想では、新幹線開業で余裕ができた在来線を生かし、新幹線と在来線を一体的に生かすという考え方であったはず。そのような考え方が見られなくなってしまったのは残念なことです。これはJR発足後の整備新幹線建設の枠組みに起因するものであり、ひいては国の交通政策にかかわるものですから、困難な問題があることは事実なのですが。ここでは、問題点を指摘するにとどめます。

【将来は】
現在、敦賀-大阪間についてはルートすらも確定しておらず、果たしていつ開業するのか見通せない状態が続いていますので、敦賀での「サンダーバード」「しらさぎ」と新幹線「つるぎ」との接続体制は、今後かなり長く続くものと思われます。
この区間が管理人の存命中に開業することはないだろうと思います(汗)

次回は最終回。
新幹線接続特急の将来を見通してみようと思います。

その18(№6289.)に続く