天下の号外屋翁のようになりたい<日本縦断紀行Classic 20日目-5 函館> | ゲイムマンの日本縦断紀行

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を公開中。

 函館・函館どつく前 ('03.5.11)

 


十字街から箱館ハイカラ號に乗り、終点・函館どつく前到着。
(ゲーム路銀 -\10,270-\220=-\10,490
外国人墓地へと向かう。

 

 


途中、立派な山門の前を通った。
1633年創建の、高龍寺というお寺のもので、この山門は明治44年(1911年)に建てられた。
本堂はそれより古く、明治33年(1900年)のもの。
箱館戦争のとき、このお寺で旧会津藩の傷病兵が斬殺されたそうで、境内に「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」と名づけられた慰霊碑があった。

 

 


そしてこちらが外国人墓地。
ひと口に「外国人」といっても、プロテスタント、中国人、ロシア人と分かれている。
写真はプロテスタントの墓地。海がよく見える。
ペリー艦隊の水兵2人が、ここに葬られたのが、墓地の作られた始まりだったとか。
ちなみにその水兵、1人は50歳、もう1人は19歳だったそうだ。

 

道の向かいには曹洞宗のお寺があり、遊女たちを供養した「有無両縁塔」や、明治・大正時代のホームレス・万平をまつった「万平塚」がある。
この万平という人は、他人から恵まれることをよしとせず、ゴミ箱をあさって、その家の人物評をつづったという、ユニークな人だったようだ。
今でも探偵の世界では、「ゴミを見るとその家がわかる」と言われるそうだが……。

 

さらにその先へ歩いていくと、驚くべきお墓に遭遇した。

 


「天下の号外屋翁」こと、信濃助治(しなの・すけじ)の墓。
真っ赤である。
周りのお墓から完全に浮いている。

 

この信濃助治という人、生前に「赤は赤心(いつわりのない心)を表す」からと、常に赤ずくめの格好をしていたそうだ。
日清戦争の頃、北海新聞の号外をまいて「天下の号外屋」と自称。
戦争終結後、名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行が多く、当時の人からみても「奇人」だったらしい。
こういう人、大好き。私もかくありたいと思い、墓地を後にした。

 

 

どっく前まで下りてきたところで、旧ロシア領事館の建物を見ていなかったことに気づき、また坂を上る。

 


急勾配の途中にある、旧ロシア領事館。

※旧ロシア領事館の建物は、1908年(明治41年)竣工。老朽化のため2023年(令和5年)から改修工事が行なわれています。改修後はホテル・レストランなどとして活用されるそうです。2025年3月開業予定でしたが、延期された様子。

 


坂を下るとき、「函館どつく」(ドック)の様子がよく見えた。

 

「啄木の墓がある街から、啄木の歌碑がある駅へ(函館)」に続く)

 

はこぶら(函館市公式観光サイト) JR北海道 函館市企業局交通部

 



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