今回は鉄道とかほぼ関係ないのですが、個人的にちょうど10年前にあった出来事の備忘録について勝手に書いていこうと思います。
本当に個人的なやつなので期待しないでください。
鉄道以外求めてない人は即ブラウザバック推奨です。
さて、私自身中学以来大学頃まで謎に肺に穴が開きまくり定期的に入院した経験があるのですが、その中でも1回だけ肺以外に異常をきたして入院したことがあります。
それが10年前の話です。自分の中では史上最悪の年末年始となる話です。
〈目次〉
- 謎の耳ツンからの頭痛→救急車乗車(2014年12月26日未明)
- CT検査からの強制鎮静タイム
- 病名『クモ膜下出血』
- 自分は大したことがないと思いながら過ごすSCU
- ようやく一般病棟へ(2015年1月10日)
- そして退院へ(2015年1月23日)
- 個人的な影響
- 学び・まとめ
謎の耳ツンからの頭痛→救急車乗車(2014年12月26日未明)
ヤバイ頭痛死ぬ救急搬送かも
— Shuttle (@otori205shuttle) 2014年12月25日
んなツイートをしたのが12月26日深夜のお話。
翌朝北陸にトワイライトエクスプレスを撮りに行く計画を立てていたので段取りを立て終わって寝る…というかゴニョゴニョしようとしたところいきなり謎の耳ツン。
なんかよく分からないけど、水でも飲めば治るだろうととりあえず自室からリビングへ移動。
水を飲んでも治らない。いや寧ろ頭痛が酷くなっていく。
リビングに居た親が血相を変えて救急車を呼ぶことになりました。
多分あのまま気にせず寝てたらそのまま人生終了です。恐ろしい分岐点です。
CT検査からの強制鎮静タイム
病院に到着するととりあえずCT撮影。
頭痛症状のある10代で、病院到着時点で意識は一応ある状態の誰がどう見ても大した案件に見えないのですが、頭痛患者でとりあえずCT撮影するのは一般的な流れなのでしょう。
この時に多分ERでクリスマスケーキ全部吐いた。
んでCT結果後の先生
「脳出血起こしてるんでちょっと眠ってもらいますねー(多分こんな感じ)」
そして
うわぁぁぁぁぁ寝坊したぁぁぁぁトワイライトぉぉぉぉ待ち合わせぇぇぇぇぇ…!
と起きるとなんと
全身にあれこれ取り付けられて2日程経過していました。
なんか手術してたらしいです。しかも頭開いて。
は…?
よく言うじゃないですか。走馬灯を見るとかどうこうとかってやつ。
自分の場合駅センに向かって走ってるところで起きましたからね。普通家族とか友達思い出してとかだと思うんですけど…我ながら人間的に終わってるなと今でも思う事があります。
病名『クモ膜下出血』
とりあえず目が覚めたとはいえ意識朦朧で何が何だかよく分からない状態。そもそも26日の始発に乗るつもりでいたのでもう遅刻ってレベルじゃない。えぇ…と思いながら生活。
当日B快速で待ち合わせてた方、ホンマごめんなさい...。
そして机に1枚の紙が置いてありました。多分治療方針とか書いてた紙だったんだと思います。
クモ膜下出血とか書いてるんですよね。
あぁ前の人のやつ忘れてんのかなwと思ってよく見たら自分の名前が書いてありました。
え…なんで生きてるの…?
そりゃ集中治療室(この先SCUと表現します。)でしかもナースステーションの前(ほぼ中だろ)で、本当に命がけの人と並んで寝てるわけだ。皆重傷で大変そうだなぁじゃなくて自分もその中の一員でした。
自分は大したことがないと思いながら過ごすSCU
とまぁそんな感じでしたが、自分はそれでも大したことが無い。明日にでも一般病棟に戻って1月末には修学旅行にも行ける。そう思って生活しておりました。
が、まぁ現実は周りにとんでもなく心配を掛けてるわ点滴は外れんわの大惨事。
だってこの時点で1ヶ月以内の死亡確率50%とかネットに書いてんだもん(後日確認)
そして電子機器が一切使えない環境。
時刻表をひたすら読む以外にやる事がありませんでした。
もしかしたらこの時間にひたすら勉強していたらもっと良い人生を歩んでいたかもしれませんが、入院中って勉強する意欲起きないですよマジで。普段から意欲が無いのにパワーのない状態でやるわけ無いじゃないですか笑
実際元気かというとそれは薬が効いているときに限った話で、実際には38度以上の熱がいつまでも収まらないという地獄のような生活でした。そしてほぼナースステーションで機械音と共に生活なのでまともに寝れるわけもなく…。
新コロでもない時代に面会も大きく制限されており本当に隔絶された生活です。
そして無情にもテレビもねぇネットもねぇという状況で2014年を終え2015年を迎えることとなりました。
そして点滴がキツい。
どうやらそれなりに太い針じゃないといけなかったらしく、針の入りにくい血管である事も相まって一発で入るのがそもそも珍しかった...10回近くやり直したことも...。針交換の日は普通に嫌でしたね。
ようやく一般病棟へ(2015年1月10日)
そして正月も終わった頃にようやくSCUから脱することになりました。要は生命の危機からは脱したとドクターが判断したという事でしょう。
点滴も終了です。晴れて自由です。
もうここまで来るとネットも使えるしテレビも見れます。そして何より嬉しかったのはシャワーを浴びれた事とちゃんと普通のトイレがあるということ。
これまではシャワーはなく濡れタオルで体を拭くような生活。そしてトイレは申告制(機器の取り外しとかあるので)で一応仕切られてはいるもののポータブルという状態。そらそうです。周りに自力でトイレに行ける状態の方はほぼ見当たりませんでしたから...
ようやくここで少し外界を感じる事が出来ました。
後は約2週間経過観察とかカテーテル検査をして退院の許可が下りました。
そして退院へ(2015年1月23日)
正月どころか節分が近づいている頃にようやく退院となりました。
その足で通学する事を想定していましたが、親から全力で止められたので数日家でニートしてました。
リハビリとか適当な口実を付けて電車を撮りに行っていたのは言うまでもありませんが、本当に短時間で阪和線くらいしか撮れてません。
そしてようやく通学再開
どうやら学校ではちょっとした騒ぎになっていたと聞き、えらいことになってるなぁ...と思った次第。教室入った瞬間のざわつきっぷりを味わう事はもうないでしょう。一応存在感あったんですね私も苦笑
本当にご心配をお掛けしたという気持ちです。
個人的な影響
でまぁ今回奇跡的に後遺症が出なく(恐らく?)、何の影響も無かったのかというとそうでもありませんので、いくつかご紹介。
18きっぷ4回分失効
冬の18きっぷ1回で紙くずになりました。一応入院中に売却しておいてほしいと依頼はしていたのですが、結局売却しなかったようです。死んでたら形見になってたかもですね。
航空券(関空⇔千歳)失効
春に企画していたのですが、全力で全方向から怒られました。LCCなのでほぼ運賃は返ってきませんでした。札幌近郊でトワイライトを撮影する企画も幻です。
修学旅行欠席
1月末頃にあったので勿論行くつもりでした。が冗談のつもりでドクターに、「1月の修学旅行どうなんですか???」と聞いてみたら「難しい」というアンサーが返ってきました。
色々な出来る予定の思い出、もしかしたらスペシャル青春イベントがあったかーーーーもしれませんが全て消えました。
今でも高校の友人と会う時にネタには出来てるのでまぁ笑って昇華しましょう。
武道や衝突系の球技の禁止
頭に衝撃を与えるのは生涯恐らく禁止です。ちなみに私はドッジボールが人生で最も嫌いなので、堂々とサボれてラッキー位のスタンスでした。ちなみにバッティングセンターにはたまに行きますが、頭はちゃんとガードしておきます。
低気圧頭痛
天候不良時、その直前の頭痛が頻発するようになりました。正直ロキソニンは一応持っておきたい身体ですが、原因が明らかに分かっているので放置することも多いです。
別に命に関わらんがな。
ちなみにおかげでゲリラ豪雨の気配を感じ取れることがたまにある。
学び・まとめ
最後に締めくくりでここに学んだ事をお知らせします。
学び1
1回死んだようなものなので後はボーナスステージです。好きに生きましょう。
学び2
命懸けで話のネタを作ったようなものなので、使い倒しましょう。
学び3
体は暖めましょう。冬が駄目な体質なのが分かった以上は相応の対策をしましょう。
学び4
普通に全方向に迷惑を掛け過ぎました。私は今日も元気です。これ以上迷惑かけないように楽しく過ごしましょう。
以上こんな感じです。
今年で10年ということで、そろそろ自分自身でも正確な記憶が怪しくなってきたのできちんと書き残すことにします。
次なったら恐らくただでは済みません。ちゃんと定期検査を受けてるので大丈夫だとは思いますが、実際無傷で仕事しているというありがたい状態ではありますので、残りのボーナスステージも大切に生きていこうと思います。
意外としぶといかもしれないですよ?
では以上です。