1985年2月にオホーツク沿岸で鉄チャンしたのを最後に長い間冬に鉄チャンで北海道を訪れることはなかった。次に冬の北海道に撮影で鉄チャン遠征したのは2020年の2月である。1985年までの冬の旅では車で鉄チャンする者は僕の周囲にほとんどといってよいほどいなかった。それに僕自身若かったこともあり、ひたすら歩いて撮影をしていた。それで不都合を感じたことはあまりなかった。
しかし、2020年に『冬のSL湿原号』を撮りに行く際にダイヤを調べてみると、釧網本線にはほとんど列車がないことを知った。こんなスカスカのダイヤでは移動もろくにできないと悟ったのである。そこで車の利用を真剣に考えざるを得なくなった。
それまで雪道の運転をしたことがなかったわけではない。1990年代には1月末から2月頭にかけて磐越西線電化区間(郡山〜会津若松)で運転されたD51を撮りに毎年のようにマイカーで出かけていた。現地ではノーマルタイヤにスノーチェーンを履いて運転していたわけだが、それでもスリップして肝を冷やしたことが何度かあった。だから、僕は雪道恐怖症に陥っていた。それが北海道ともなると、単なる雪道ではなく、アイスバーンである。もう怖い以外のなにものでもない。
しかし、ここで冷静になって考えてみると、北海道では冬道を運転する高齢のドライバーもたくさんいるということに思い当たった。要は急発進とか急ブレーキといった「急」のつく運転を避け、注意深くハンドルを握れば無闇に恐れることはないのではないかと気がついたのである。そうなると気分的にだいぶ楽になり、躊躇なくレンタカーを手配した。それでも念のためAWDをオーダーした。
↓2021年2月。往路のC11を撮影後に釧網本線塘路駅前で小休止中。
↓2022年2月は“DL冬の湿原号”だった。釧路滞在中にオホーツクまで足を伸ばした。斜里岳とのツーショット。この冬は少雪で、北海道東部の道路にはほとんど雪がなかった。車に関して正直に言えば、D社のトールはテンションが下がる。雪道での信頼性が今一つのような気がする。そう思っているのは僕だけではないようで、レンタカーオフィスでトールとわかると失望の声を上げる人をよく見かける。(清里町の斜里岳を望む撮影ポイントにて)
そんな心構えで臨んだ釧網本線沿線。心配はなかば杞憂に終わった。釧路空港から運転を始め、釧路市内に着く頃にはほぼ慣れた。日陰の凍結路や市街地の凍った路地では滑ることもあったが、それにもすぐ慣れた。あの、ブレーキを踏んでもガリガリッと滑る感触である。しかし、そうはいっても運転中にいつエゾシカが飛び出してくるとも限らず、常に注意しっぱなしである。夜ホテルに帰り着くと精神的な疲労はかなりのものであった。
↓2023年2月の訪問時にも釧路からオホーツクを日帰りで往復した。同じD社でもロッキーをあてがわれると得をした気分になる。ナンバーは札幌。この時期釧路のレンタカーオフィスには道内各地から応援の車が集結する。(釧網本線知床斜里〜中斜里間の猿間川付近にて)
↓2023年12月の根室西線では天候に恵まれなかった。はじめは期待していなかったが、ハスラーにはかなりの好印象を持った。(根室本線山部〜下金山間の踏切にて)
今年も根雪の時期を迎えた。積雪の初期には交通事故が多発するようで、北海道からは交通事故のニュースが頻繁に聞かれるようになった。今では職場などで「冬の北海道で車を運転されるのですかっ!」と感嘆と尊敬!?の入り混じった眼差しで言われることもある。そんなときは「あっちでは爺さんや婆さんも運転してますから」と応えることにしている。しかし、運転に慣れたとはいえ、いっときたりとも注意を怠ってはならないと肝に銘じている。
↓2024年2月の“SL冬の湿原号”の際は軽自動車を予約していたが、あてがわれたのはカローラフィールダーでラッキーだった。(石北本線緋牛内〜美幌間にて)
↓2024年3月、当地のキハ40に別れを告げる旅。レンタカーの予約に際し、前回気に入ったハスラーを指名した。一人で鉄チャンするには十分すぎる走行性能とスペースだと思う。(根室本線布部〜山部間にて)