「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。




さて、いよいよ展示を拝見して行こうかと思うのですが、まず目に留まったのは本題の「8000系」に掲出されていた、数々のヘッドマーク。

イラストの入った、イベントごとなどに掲出するこのようなヘッドマークを、京阪電車では「副標」と読んでいます。



ちなみに「副標」に対するものは「本標」。
かつて、車両の正面に行き先や種別の表示器がなかった時代に、それらを表記して掲出していたものを指します。先ほど入り口で見かけた「5000系」に取り付けられていた、これです。

「京阪線(京阪本線・鴨東線・交野線・宇治線)」では、最後まで板表示だった「2400系」の車体改修に伴う、正面の行先表示器の新設により1990(平成2)年に姿を消しました。


ところで、ヘッドマークにある「鴨東線(おうとうせん)」は、1989(平成元)年10月に「三条〜出町柳間(2.3km)」で開業した路線です。



長年、京阪電車の京都方の終着駅だった「三条駅(京都市東山区)」から鴨川東岸に沿って北伸したもので、八瀬・鞍馬・貴船方面といった洛北へ走る「叡山電車」に接続。大阪市内からの観光、通勤輸送は飛躍的に向上しました。

会場で放映されていた、鴨東線建設事業を記録したビデオより。



京阪電車で出町柳に到着し、叡山電車に乗り換える観光客の様子。シーズン時期でしょうね。

開業までは、三条から混雑する連絡バスに乗り換えないと辿り着けず、行き来に不便だったのが出町柳でした。いや、これはすごい。


くだんの「8000系」は、その「鴨東線」開業に合わせてデビューした特急専用車両でした。


それゆえに「鴨東線開業=8000系デビュー」というエポックメイキングな出来事の回顧は、以降の周年記念で度々登場します。それほど印象的なことなのでした。



その隣には「プレミアムカー 1周年記念」のそれ。2018(平成30)年に掲出。


貴重なものばかりですが、こちらは「京阪特急60周年」を記念して掲出されたもの。2010(平成22)年のことでした。もう14年も前のこと。


ヘッドマークに描かれているのは「8000系」、その左側には「1800系」。



京阪特急としては3代目に当たる車両で、そのシンボルとなった「テレビカー」を関西ではじめて走らせた高性能車両として知られています。1954(昭和29)年8月のことでした。出典①。


ちなみに日本初の「テレビカー」はというと…京阪電車ではありません。以下「フリー百科事典Wikipedia#テレビカー」より。


京成電鉄では、1954年春に日本テレビ放送網(日本テレビ)の協力により、RCA製白黒テレビ受像機を開運号専用車両であった1600形や、開運号の予備車および臨時特急用の車両であった1500形に設置し、これが日本で最初のテレビ付き車両であった。



1954年の設置当時は放送時間が短かったことから開運号との運転時間とは必ずしも合致せず、開運号ではテレビの放映を行わず、臨時の夏期納涼列車として千葉線で運行された際に評判を得ていたという。

この夏期納涼列車では当時人気の高かったプロレス中継を放映していたことから「プロレス電車」とも呼ばれた。


はじめてテレビを搭載した鉄道車両は京成電鉄だったのですね。流線型が美しい車両です。

しかし、テレビの普及率が著しく低かった時代のことでしたから、旅客誘致には抜群の効果があったに違いありません。京阪特急はまさにそうでした。出典②。


ヘッドマークから見てまいりましたが、おなじみの「京阪特急」が登場したのは、いまから70年以上前、1950(昭和25)年7月1日のこと。



「8000系」はその長い系譜を引く特急専用車両ですが、それに至るまでには、時代の経過ごとにさまざまな車両が登場してのことでした。


ここからは、京阪電車の歴史を紹介した常設展示にも触れながら進めることにいたします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「関西の鉄道 No.38 1999爽秋号 京阪電気鉄道特集 Part3」関西鉄道研究会編 1999年10月)

(出典②「カラーブックス日本の私鉄15 京成」早尾輿・諸河久共著 保育社刊 昭和57年5月)