少し話題に乗り遅れてしまいましたが、私もノロッコ号には思い出があるので少しそれを振り返りたいと思います。
まず最初にノロッコ号に出会ったのは北海道に何度か訪れたのですが、恐らく3回目くらいの時だと思います。この時は車で釧網本線沿いを訪ねていたのですが、たまたま釧路湿原駅を訪れた時に偶然出会ったのが初めてでした。
慌てて撮った1枚。当時はまだフィルムカメラだったので1枚が貴重でした。
初めて出会っていつかは乗りたいと思い、その後に飛行機で行くパックツアーで北海道へ、往路羽田→釧路の飛行機で到着後すぐにレンタカーで釧路駅に行ってノロッコ号に乗る予定でした。そのときのきっぷが未使用でまだ保存してあります。
平成11年ですね。もう25年も前のことです。で未使用といいましたが、これ、実は出発便が羽田空港で強風のため離陸できず、1時間遅れの出発になってしまい、釧路空港に着いた段階でもうノロッコ号に間に合わない~😭というアクシデントに見舞われてしまい、結局2度目も乗れませんでして。
そして3度目のリベンジです。この時はたぶん北斗星で札幌まで行って、翌日のオホーツク流氷号で網走に向かいました。そこで見かけたのが流氷ノロッコ号。
確かこのまま乗り継ぎになっていたと記憶しているのですが、実は乗り継ぎで乗ること無く、そのまま港へ行って砕氷船に乗ったんです。が、しかしこんなに雪が降っているのに流氷が接岸しておらず、砕氷船に乗っても流氷を砕く何ていうことも見られませんでした。
後ろ側を撮ったときは降雪がMAXでした。
翌日はレンタカーを借りてノロッコを追いまして、これもレンタカーを借りた理由がアイスバーンを経験するためでした。免許を取ってまだ2~3年だったと思います。
普通は北浜駅で撮るのが一般的でしょうが、人だらけなのでお隣の藻琴駅で撮ったのが下の写真。
次の写真は恐らく北浜駅で撮ったもの。ノロッコ号は北浜駅から乗車しました。乗ったのはこの1回だけでした。
1回の利用で終わってしまった理由、それは知床が世界遺産になったことが理由です。
この時に乗ったノロッコ号が満員御礼状態の大混雑で、風情も無い状態で正直ガッカリしました。世界遺産になったばかりの頃だったので観光客がうじゃうじゃいる状態で、都会の喧噪を忘れるために訪れた北海道の楽しみが半減してしまいました。その後、ひなびた良い感じだった知床斜里駅もきれいになってしまったり、ホテルが乱立したりで私にとっての北海道は終わりを告げました。
上にある写真を我が家の模型で再現。
解体されたノースレインボー。これも乗れたので思い出はありますが、今みたいにデジカメではないのでフィルムが貴重であり、車内の写真とかを撮っていないんですよね。残念です。36枚撮りを10本持っていっても足りなかったですから。今や、64GBのSDカードで1000枚以上撮れちゃいますので。
こうやって私が北海道にハマっていた頃の車両がどんどん無くなっていくのは寂しいですね。そして代わりに登場する列車がキハ141の改造車ですか、正直ちょっと・・・ね。
北海道の鉄道はちょっと尻すぼみ状態になっているように感じています、私自身も訪れなくなってしまいましたが、新幹線のことばかり考えていないでもう少しローカル線の再生も考えて欲しいなと思いつつ、記事を終えたいと思います。