函館・谷地頭(やちがしら) ('03.5.11)

 


終点・谷地頭下車。
(ゲーム路銀 -\10,050-\220=-\10,270

 

 

函館山のふもとまで歩き、回り込むように左に折れる。
墓地の中のゆるやかな上り坂。
それが急な上り坂に変わる。
昨日さんざん歩いた脚にはこたえるが、上るにつれて景色は良くなる。
そしてその坂を上りきる直前に、


石川啄木一族の墓があった。

 

墓碑に刻まれた、
東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」の歌。
この歌も含めて、啄木の作品には寂しさの漂うものが多い。
私もかつて、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」を、『マイコンBASICマガジン』の記事で引用させていただいたことがあるが、いまだにこの歌に共感せざるを得ない自分の境遇は何とかならないものか。

※↑これを書いてから21年半。
2024年時点で、いまだにこの歌に共感せざるを得ない自分の境遇は何とかならないものかと。
そもそも啄木、妻いるし。


坂の上には、函館で啄木を援助した宮崎郁雨(みやざき・いくう)と、啄木に傾倒した砂山影二の歌碑も。
砂山は大正10年、20歳のときに連絡船から身を投げて亡くなったという。

 


ここから一気に坂を下り、

 


立待岬にたどりつく。

 

 

遊歩道が整備されている。
かすかに下北半島と津軽半島が見える。
岬には、啄木の歌
「潮かをる北の浜辺の/砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ/今年も咲けるや」
(啄木小公園の碑にあった歌である)
にちなんで、ハマナスが植えられている。

 


与謝野晶子、寛(鉄幹)の歌碑もある。
ビッグネームの割に、ガイドブックであまり大きく取り上げられていないのは、すごく個人的なことを詠んでいるからか。
ただ、ここから見える函館の景色は素晴らしい。

 

※鉄幹の歌は「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」
晶子の歌は「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」
晶子の歌に出てくる「岡田先生」というのは、函館に耐火構造の図書館を造り、貴重な書物や資料を数多く保存することに成功した岡田健蔵のこと。

岡田はまた、石川啄木の死後、その資料収集に努め、宮崎郁雨とともに啄木の業績を後世に遺すことに貢献した人物でもあるので、与謝野晶子の歌は当時私が思っていたような“すごく個人的なこと”とも言い切れません。
この歌碑は岡田健蔵を顕彰するため1956年(昭和31年)に建てられたもので、歌は晶子と鉄幹が1931年(昭和6年)に函館を訪れた際に詠んだものです。

 

※歌といえば、1982年(昭和57年)に森昌子さんが歌った『立待岬』という曲がヒットし、立待岬の名前が全国的に有名になりました。

 


帰路はさらに坂を上がって、山側の道を行くことにした。
キラキラとかっこいいサイドカーつきバイクが3台、この道を走り抜けていった。
うち1台のサイドカーには、小さなお子さんが乗っていた。

 

 

 

「碧血碑の碑文を読んで共感した理由(函館)」に続く)

 

はこぶら(函館市公式観光サイト) JR北海道 函館市企業局交通部

 



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