その男神社の元宮である摂社浜宮までやってきました
日向から瀬戸内海を東征してきたイツセとイワレ(後の神武天皇)の兄弟は、河内の湖(現在の大阪湾)に入り、白肩津(現在の東大阪市日下町付近)に上陸し大和を目指していました。
しかしそこでナガスネビコの反撃にあい、イツセは敵が放った矢で深手を負ってしまいます
イツセは「日の御子である我々が日が昇る東に向かって戦ったのがよくなかった。南に回り、火を背にして戦おう」といい、紀伊の国に向かいました。
しかしその途中イツセは「ああ、自分はあんな卑しい奴の手傷を受けて死ぬのか!!」と雄たけびして薨去されました
ここ浜宮が、イツセが雄たけびをして亡くなった地とされています
イツセが雄たけびをしてなくなった地は「男水門」(おのみなと)といわれるようになりました
なお、男水門の伝承地はこの男神社のほかに、和歌山市の水門吹上神社 も男水門として伝わっています
参道を真新しい狛犬が守っています
西暦2001年・平成13年に建立された狛犬
しかしここは、西暦ではなく「皇紀二六六一年」と記してやれよ・・・
浜宮本殿
ステンレス製の鳥居の奥に拝所があり、
拝所の奥には小さな祠が覆屋に囲われて建ってました
手を合わせてから、本殿を離れていきます
広い境内に建つ大きな石碑
後期2600年、すなわち昭和15年の建立です
裏の碑文
神武天皇戌午年五月皇軍ヲ率ヰテ茅渟山城水門ニ至リ給ヘリ時ニ皇兄五瀬命矢瘡ノ痛甚シク劔ヲ撫シテ雄誥遊バサレシニ因リ時人其ノ處ヲ雄水門ト稱セリ
正積ハ此ノ地附近ナリト傳ヘラル
「神武天皇は戌午年(つちのえうまのとし/紀元前663年)5月、皇軍を率いて茅渟山城水門まで来た。その時皇兄の五瀬命は矢傷の痛みがはなはだしく、剣をたたいて雄たけびを上げたので時の人はそこを雄水門と呼んだ。
その聖跡はこの地の付近であると伝えられている」
広い境内を歩いていくと、
ここで浜宮の境内は終わるみたいです
振り返ってみます
酒屋さんの奥のほうが境内になっています
そして南海電気鉄道の樽井駅まで戻ってきました
そこに入ってきた15時25分発の難波行き鈍行列車に乗り込みます
施設名 | 浜宮 |
所在地 | 大阪府泉南市男里7丁目35-1 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | 南海電気鉄道樽井駅より徒歩15分 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 無 |
令和6年10月現在
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