違和感を感じるかもしれませんが、DD51です。
違和感は “顔” 。
見慣れたDD51は白いラインが前面部分で一段高くなってナンバープレートに被さっていますけど、画像は白いラインが並行でナンバープレートには被さっていません。初期ロット特有の出で立ちで、1~19号機が該当します(一部で後期ロットに倣ってナンバープレート取り付け部分だけ白く塗った車もある)。
また、言われないと気づきませんが、ナンバープレートの取り付け位置も初期ロットと後期ロットでは若干違います。いわゆる0番代の多くは非重連仕様なので、連結器周りもシンプルです。
確か、ナンバープレートの部分を白くしたのは視認性だと言われています。
DD51は段階的に試作機を製造し、その結果を以て量産に踏み切ります。
1号機が第一次試作機、2~4号機が第二次量産試作機として製造されましたが、試作車両特有の900番台(この場合は “番台” ね)の数字は用いず、1~の通し番号が振られていきます。
1号機と2~4号機は顔も違いますが、量産機は第二次量産試作機の意匠を採り入れています。主な変更点は中間台車を空気バネにした他、燃料タンクを増量した関係で元空気ダメ引き通し管を移設しました。この空気バネ中間台車が功を奏し、亜幹線への入線も可能にしました。
顔貌が特徴的なDD51の初期ロットは東北と関西に多く見られ、東北地方は東新潟機関区に配置された車が磐越西線で活躍していました。
画像はおそらく国鉄末期の頃だと思われます。
101系を牽引していますが、廃車回送でしょうね。
10号機は新製から廃車まで吹田第一機関区を離れませんでしたので、101系も片町線か大阪環状線(桜島線)で活躍した車両と思われます。撮影場所は山陰本線か福知山線か・・といったところでしょうね。昔、山陰本線の二条駅で廃車前提の “疎開” をしていた車両がいたと聞いたことがありますので、この101系もそれなのかなって思ったりします。10号機はJRには引き継がれず、昭和60年7月に廃車されています。10号機のみならず、DD51の0番代は全機、JRには継承されませんでしたが、1号機だけ保存前提で解体を免れ、今も群馬県の碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。
JR貨物のDD51は既に全機鬼籍に入り、残るのはJR東日本とJR西日本が保有しています。でも、JR東日本は自社が持っている機関車を全機追放する旨のプレスリリースを出しているので、遅かれ早かれ関東周辺ででDD51は見られなくなります。JR西日本がどういう使い方をしているかは知らんけど、今後、DD51はさらに希少価値が高くなっていくんでしょうね。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアルNo.972 (電気車研究会社 刊)