今回は下りおおとりの大沼通過から。少し雲がかかるが駒ケ岳は拝むことが出来た。
所定の9両編成に1両増結で10両、北見までの後ろ2両の附属編成に、さらにもう1両の
キハ82が増結に見える。夏の北海道は繁盛期。特急・急行・普通とも増結が見られた。
それにしても、後ろの4両は1両を除いてキハ82ばかりでアンバランス。予備の車両を
フルに使用しての多客期対応の苦労がうかがえる編成であった。
ちなみに当時の北海道の国鉄の場合、1両増結で1~10号車、というわけではない。
号車番号は1号車から9号車までで同じ、そして増結*号車という名称で対応していた。
例えば2号車と増結2号車は別の車両です、というアナウンスを何回も行なっていた。
素人的には1~10号車の方がわかりやすいと思うが、そんな単純な話ではないらしい。
指定券発券後に緊急増結の可能性?しかし繁盛期の増結は、十分に計画できるはず。
記憶が間違っていなければ、似た設備?設定?の車両の増結、という観点で一応理解。
ただし間違っていたら申し訳ございません。
さらに増結が1両とは限らず、繁盛期のピーク時は増結車が複数連結の場合もあり。
こうなると、*号車と言われても乗車車両は前から何両目か瞬間的にわからなくなる。
大昔の旧のマルス指定券の裏に、「ゾ」記載は増結車で注意、との記載を見た記憶。
実際に増結*号車を特急や急行で頻繁に確認したのは、北海道内がとにかく多かった。
東京では横須賀線の附属編成が、増1~増4号車であるが、表示としては少し珍しい。
もっとも、実はもう少し頻発にあって、単に自分の注意力不足かもしれない。
なお、青森/札幌間の急行はまなすは何回も利用したが、増結表示は無かった記憶。
所定は客車7両との案内でも、繁盛期に乗車の時は何と5両も増結で12号車まであり。
本州にも顔をだす列車のため、増結表示をあえて行なわなかった可能性?真相は不明。
ちなみに、札幌発の時点で立客もいる中、次の千歳空港では大量の乗車で超満員。
積み残しを出さないためか駅員が多数で誘導、発車時間をかなり過ぎても発車せず。
3両の指定席車も通路開放の放送あり(当時寝台なし)、しばらくしてようやく発車。
「午前中からキャンセル待ちしたが、飛行機の空きは最終まで全くダメだったな」
通路に立つ客から聞こえる会話。気のせいか、DD51の発車時の加速はとにかく鈍い。
それでも途中の停車駅は少なく、また夜行で多少の時間の余裕があったためなのか、
結局青森到着は定時であった。1989/05/06土曜夜発の上りはまなすの乗車になる。
少々、おおとりから話がずれてしまったが、連絡船の接続を受けて、北海道の入口の
函館から、その端に位置する網走までの長距離走行する姿は、それこそ往年の国鉄時代
の特急のイメージそのものであった。
道内時刻表、1989/05(P42の編成表から)