(前日の記事とともにデジカメ画像を大量追加しました)
12月8日(日)
大人の休日倶楽部バス(JR東日本)の旅、最終日
ラグビータウン、🏉釜石で目覚めた、外は氷点下。
駅に隣接したホテルは「鉄道」ビューを期待したら「製鉄」ビューでした
ホテル上層階には展望露天風呂
いやいやいやいや、
急激な温度差での入浴は危険、回避した。
(6時に先客がいたため撮影は控えました)
夜明け前、散歩していたら、盛行きの始発、いや、2番列車が通過
釜石の赤い鉄橋を渡って(ほとんど逆光)
それでは、駅へ
三陸鉄道をさらに北上、宮古方面へ進めよう
明るくなったので、655発に乗ろう
三陸鉄道のうち、旧山田線区間はJR時代に1度乗ったきり。
乗り場はJRと同じホームだった。
宮古行きに乗車、やはり1両だけ
日曜日の6時台なので、無人かと思ったが、
案外利用者はいて5~6人、宮古まで行く女子高校生もいた。
鵜住居駅隣には、ラグビーのスタジアム(釜石鵜住居復興スタジアム)が見えて、脳内に、スクール☆ウォーズのテーマ♪「ヒーロー」が流れはじめた
実際に鵜住居で麻倉未稀が生歌を披露したことがある。
大槌で5~6人乗車、予想外の賑わいだ。
陸中山田まで貸し切りかと思っといただけに
吉里吉里では、脳内にザ・タイガースの「色つきの女でいてくれよ」が、
♪キリキリ舞いの美少女よ~
浪板海岸
そして、本州最東端駅の岩手船越駅を出てから、地図と照らし合わせながら…
本州の鉄道最東端地点の景色を激写!
防潮堤が見える場所
その先、駅に停まらずに、織笠駅の先にあるはずのトンネルに入ったぞ!?
織笠駅を誤通過!?
かと思ったら、約1キロも先に移転していた、知らなかった。
新たな山田高校の最寄り駅にもなった。(持参の地図は震災前の98年版)
陸中山田では、わずか2人だけ、宮古市の通学圏に入ったから、平日、この便にはは30~40人は乗るであろう。
豊間根駅までの間はちょっとした山越え区間だが、自治体は山田町
地図を見る限り豊間根地区は宮古市に編入したほうが自然体なのだが。
三陸鉄道としての開業だったら、長いトンネルで抜けたであろう。
古くから開業し、国鉄線だった釜石~宮古間はカーブが目立つが、トンネルが少なくて有り難い。
津軽石では、オリジナルの36形と行き違う
三鉄と言えば、これだ!
新設された、八木沢・宮古短大は降車無し
磯鶏駅前には保存蒸気機関車が見えた
そして、8時22分宮古に到着
宮古で、1時間ほどの時間調整

貨物ヤードは跡には市役所が移転していた
「能登の1日も早い復興を」のスローガンが印象的だった。
駅を跨ぐ通路が新設されていた
鉄道のヤード跡が駐車場に
しばし、宮古の街を散策
津波の被害が少なかったかのように見えるが、1mも冠水したとのこと
ここだったのか、宮古の場外馬券
今日は金沢と佐賀を発売、但し、11時からなので残念
長嶋さんのメッセージ
ほぼ1周して、駅へ
駅の主役は列車ではなくて、盛岡への106急行バスだ、
現在、山田線の上米内~宮古は災害のため運休中だが、全く混乱が無いのは皮肉だ。

宮古からは、旧・北リアス線区間へ進む
車両は釜石からやって来て、そのまま直通で北上するダイヤ

朝6時に起きられなければ、釜石からこれに乗ってきたはず。
テーブルには地図を広げて、地図と本物のリアス海岸を照合する
個人的には至福の時間
秘境駅・一の渡で最初の交換
昨日の夕方のNHK(東北ローカルかも)で特集していたけど、乗降客数は、1日4人とか
田老までは旧国鉄宮古線として開通した区間だが、高規格になった昭和47年製なので、山間部をトンネルばかりで貫く
田老は、「津波太郎」と呼ばれた高い防潮堤が破られてしまい、さらに立派になったが、まるで刑務所の中みたいだ、
新田老は、役場裏に新設された。田老駅との距離はわずか

その後もトンネルと防潮堤ばかりで、なかなか海は見えない
景勝地で徐行や停車のサービスも
水門の上にディーゼルカー!?
この遊び心が好き
しかし、田野畑村あたりからは、隆起海岸なので、集落も鉄道も高い場所にある。
ここから先は断続的に絶景が楽しめそう


時々、絶景スポットでサービス停車
(白井海岸~堀内間)

安家川河口
安家と言えば、上流部に大規模な鍾乳洞あり
野田玉川から急に雪が降りだした
陸中野田で最後の交換
雪は止む気配なし
11時7分頃、久慈に到着