32日目 急がば回れ・凍てつく琵琶湖へ
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徒歩旅行日:2021年12月19日(日)草津宿からゴールの京都・三条大橋までは残り30キロ弱。あと1回、1泊2日で歩ける距離なのだが、ゴールした日に帰るのは余韻に浸れず惜しいので、歩きに行く回数を一回増やすことにした。今回は日帰りで京都の一つ手前、大津宿まで歩く。
徒歩旅行の回数を増やすことは、それだけ出費がかさむということ。だから今回の移動手段は夜行バスにして安く抑えた。土曜の夜、バスタ新宿から名古屋行きの高速バスに乗り込む。長時間労働で疲労が溜まっていたこともあり、夜行バスでは熟睡することができた。目が覚めて、周りを気にしながら少しだけカーテンを開けると、明るくなり始めた栄の街並みとテレビ塔が見えた。
人気のない、朝6時の名古屋駅。ここから滋賀・草津までは在来線の旅。岐阜の大垣を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなり、関ヶ原まで来ると雪が降り始めた。
雪景色に不安を覚える。雪降る中の歩き旅は雨以上に試練だろう。
しかし、雪の心配は杞憂に終わった。草津に着く頃には青空が広がっていたのだ。これがよく新幹線を運休させる関ヶ原の雪かと身をもって知れたのは面白かった。
草津宿本陣
草津宿をスタートしたのは11時前。ただ、歩き始めてすぐに寄り道したい場所があった。それは「草津宿本陣」だ。本陣とは、大名などの身分の高い人が泊まった宿泊所のことで、草津には今でも現存している。
門構えはそこまで大きくないものの立派だ。お屋敷の中は、庭園や蔵があったりと奥行きがあるつくりになっている。
襖や壁にあしらわれた葉っぱのデザインと緑が上品な感じがしてカッコいい。
二川宿(豊橋市)に本陣があったこと、完全に見逃していた。なぜ気が付かなかったのだろうか。勿体無いことをしてしまった。
再び宿場町を歩き始める。街並みも見ごたえがあるし、このあとも面白そうな資料館を見つけて、なかなか先に進まない。付け替えられた後の現・草津川を渡る。
その近くに「清酒 天井川」というのぼりがはためいていて、草津らしさが詰まっていた。
「急がばまわれ」
次の大津宿まで約15キロと結構距離がある。その途中には矢倉立場というかつて茶店が並んでいたという場所があった。矢倉立場からは「矢橋道 (やばせみち)」という琵琶湖まで行く道が分岐していて、そのまま船で大津まで渡るルートが確立されていたそうだ。地図で見てみると、確かにそのルートは大津までの最短距離だった。ただ、琵琶湖は時折荒れることもあるらしく、足止めをくらうことも少なくなかったそう。
「武士の やばせの舟は 早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」
当時の状況から、このような句が詠まれ「急がば回れ」という言葉ができたそう。 旧東海道は大きな道路に合流することなく、狭い道のまま進む。
住宅街の中にある弁天池、中にある島には神社があった。
矢倉立場から1時間程、近くを通りかかったので「建部大社」を参拝してみる。ここ建部大社は千円札に描かれたこともあるらしい。ただ、その千円札は「幻の千円札」と呼ばれていて、戦後のごく僅かな期間(1945/8/17〜1946/3/2)しか流通していないらしい。どおりで知らない訳だ。
建部大社を過ぎるた辺りから、一気に賑やかな町になった。そして金色の欄干が鮮やかな「瀬田の唐橋」を渡る。さっきの”急がば回れの句”にも登場してきた場所。
川幅は広く、歩くのには時間がかかった。その間、川の上を吹き荒ぶ強風に煽られ、顔が赤くなるほど痛い。ただそんな風に吹かれながらも、橋の上から琵琶湖が見えた時、しばらくの間佇んでしまった。滋賀に入ればすぐ見えると思っていた琵琶湖。しかし、鈴鹿峠を越えてからここまで随分道のりが長かった。
橋を渡り終えると、旅館やお店が並んでいる。紫式部にゆかりのある石山寺が近いようで、観光地なのだろう。旧東海道を横切る線路は京阪電車で、この緑の電車を目にすると、いよいよ京都が間近になってきたなと思う。
琵琶湖
旧東海道は進路を変えて、一気に琵琶湖へ近づく。少し寄り道して琵琶湖を眺められればと思っていたのに、気づけばずいぶんトイレに行きたくなっていた。コンビニか公園でトイレを見つけたいが、旧東海道は古い家並みが続き、憎らしいほど風情が良い。つまるところコンビニがありそうな雰囲気は皆無なのだ。琵琶湖沿いに行けばきっとトイレもあるだろうと見当をつけ、早歩きで琵琶湖を目指した。歩いている場所の地名は「御殿浜」というようで、まるで海沿いのようだな…と琵琶湖のスケールの大きさを実感する。
そのあと、琵琶湖沿岸にどうにか辿り着いたものの、トイレを見つられない。もはや尿意と寒さで痺れている。琵琶湖を湛える水を眺めているのがしんどい。本来、ようやく目にした琵琶湖の景色に息を呑むタイミングであろうに。
とりあえずトイレを…。近くの幹線道路まで戻ると100メートルほど先にコンビニの看板が見えた。トイレを貸し出していないタイプだったら、先に使っている人がいたら、まだリスクはあるからギリギリまで気持ちは緩めない。コンビニに入り、トイレの扉を開け、鍵を閉めて―。
コンビニを出た後、琵琶湖はさっきまでとは打って変わりとても美しく映った。湖沿いの膳所(ぜぜ)という古い町並みを抜ける。
湖にせり出す形で膳所城の城跡があった。徳川家康が藤堂高虎に造らせた要衝のよう。
その先には 「義仲寺」というお寺があり、案内板によると、松尾芭蕉のお墓があるようだった。残念ながら時間が遅く、境内には入れなかったが、心の中で静かに手を合わせることにした。前回伊賀上野で故郷塚を訪れていたことと、何より歩いて旅をした先駆者として、松尾芭蕉に対して一気に親しみが湧くようになった。
最後の宿場町・大津宿
この後、一気に日が暮れて、大津駅に着いた17時半はもう真っ暗。義仲寺以降、裏路地のような場所が続き、あまり雰囲気は味わえなかったが、五十三番目の宿場町、つまり最後の宿場町・大津へ到着したのであった。駅名標の右下に書かれた次駅は「山科」。もう京都市内の地名が書いてある。
ゴールの京都・三条大橋は目前だ。目頭が熱くなるのはまだ早いぞと、自分に言い聞かせ、平静を保ちながら京都方面と反対方向の列車へ乗って帰路に着いたのであった。
つづく↓