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杉並区障害者週間(6日目):障害者の「身の置き所」は、駅のホームのどこにある?
冬季の季節性うつに、地方自治体と国の障害者週間あわせて2週間が重なる、まことに憂鬱な時期。
今日は、「駅のホームで電車を待つ」というシーンについて書いてみます。
車椅子で電車を待つということ
車椅子に乗って電車を待つ時、健常者なら考えなくてよいことがらを考慮する必要があります。
具体的に挙げると、「寒さや暑さに一定の対策がされていること」「車椅子の向きが危険でないこと」「車椅子が他のお客さんの妨げにならないこと」、もちろん「車椅子に乗っている自分が危険でなく不快な扱いをされにくいこと」です。
今回は向きと位置、文字通りの「身の置き所」について書いてみます。
車椅子の向き
安全上の「これ以外は間違い」という常識は、障害者運動や人権運動の中では「全体主義的」として嫌われる場面が多いものですが、駅のホームにおける車椅子の向きに関しては、絶対的な正解があります。
駅のホームは、大げさにいえばカマボコのような形になっています。中央部分が盛り上がり、線路に近い部分は低くなっています。水はけをよくするための「水勾配」と呼ばれるもので、日本では道路にも採用されています(これは世界中で同様というわけではなく、たとえばフランスでは傾斜のある平面にしておくことで水はけを確保しています)。
このため、車椅子のタイヤを線路に対して垂直にしておくことは危険です。何かの拍子にブレーキが外れると、地球に引っ張られて線路ぎわに近づけられ、そのままホームに落ちてしまうことがあるからです。そこに電車が入ってきたら、何が起きるか。説明の必要はないでしょう。
実際に、この種の事故は時々起きています。2022年にも発生していますが、都市部で全国的にホームドアが大規模導入される契機となった2009年の事故の記事を紹介します。
ホームドアがあるからといって、過信するのは禁物だと思います。車椅子を止めるほどのパワーはない、ヤワなホームドアもあります。運行本数の少ない路線では、ホームドアを導入しても保守しきれないので導入を見送っていることが少なくありません。
「駅のホームで車椅子を停止させておくとき、車輪は線路と水平にする」という心がけは、「そういう考え方もあるかもしれないけど」と相対化すべきでも、「その場その場で話し合って合意することが大切」とすべきでもない、絶対の正解です。
車椅子は、他のお客さんの動線上にいなければよいのか?
ホームの上で車椅子を停める位置は、向きと比べて判断の難しい問題です。
まず、他のお客さんの動線を塞がないことは大前提です。しかし、狭いホームのどこか、それも自分の乗車位置(駅で乗車介助をお願いする場合は自分で決められるわけではない)の近くに、そんな都合のよい場所はあるのでしょうか?
乗車駅と降車駅の間で、どの電車のどこに私が乗るのか決定された後、乗車位置の近くで数分~十数分程度、電車1~3本分程度は待つことになります。ホームの上、その号車そのドアの近くにいるわけですから、電車が来て乗客が降りるたびに通行の妨げになることは必然です。というわけで、乗客の多い時間帯、他のお客さんの動線を塞ぐことは必然となってしまいます。
乗客が少ない時間帯なら、問題なく乗車を待てるのかというと、「他のお客さんも自由に動き回りやすい」という問題があります。
電車のドア、およびエレベータなど他のお客さんが出入りするドアから少なくとも数メートルの距離を確保できれば、邪魔にはならないと思います。下の写真でいえば、左側の白いタイルのあたり(このさらに左側にベンチがあります)。
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でも、ここには「エレベータを乗降する人の目に入ってしまう」という問題があります。スマホをいじったり本を読んだりしていても、通りすがる方に「エレベータにお乗りになる?」「何かお手伝いすることは」などと声を掛けられたり、邪魔だと蹴られたり荷物をぶつけられたり。スマホや本を持たずにいると、見知らぬ高齢女性が話し相手を求めて話しかけてきたりします。周囲には、何かをしているわけではない単独行動の老若男女がいたりします。「なぜ私に話しかけるのですか?」と問い返すと、相手は「話しかけちゃいけないんですかあああ」と言いながら早足で立ち去ったり、大きな落胆を示したりします。
おそらく、私が女性障害者だから「やりやすい」または「優しくしてもらえる」と判断されているわけです。私に期待されていることは、相手の心境や背景を慮って受容的であることでしょう。でも私は、自分に向けられる女性差別や障害者差別や女性障害者差別を許容しないことのモデルでありたいのです。この板挟み状況は辛いです。いっそ、透明人間になりたい。
では、次の写真はどうでしょう?
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左手に案内板があり、広告スペース(左上の白っぽいところ)には何も掲示されていません。その広告スペースの下、あるいは案内板と自動販売機の間なら、エレベータのドア付近よりは安全と思われます。
その次の写真は、案内板です。右側が広告スペース。その左側は、反射で分かりにくくなっていますが、駅近辺の案内です。
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広告スペースの前なら、他のお客さんの動線を防がないし、無用な接近や接触をいくらか避けやすいと思われます。しかし、すぐ隣に案内がありますから、何らかの意図をもって接近したり接触したりしようとする人を避けるのには役立ちません。よくあるパターンは、隣の案内を読むふりをして近寄ってきた人による凝視、さらに偶然を装ったボディタッチ。時には、私の頬をかすめる勢いで指や手のひらを案内板にぶつけるという暴力もあります。「よく見ようと思った」「あなたを狙おうとしたわけじゃない」とか言い訳できると思っている方が未だにいるようですが、暴力です。
では、本記事最後の写真です。案内板の支柱を背にしてみたところです。このポジションなら、偶然を装ったボディタッチや暴力は避けられると思いたいところです。
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ところが、私の目の前には自動販売機があります。自動販売機と私の間には3メートル以上の空きがあるのですが、自動販売機に近寄るふりをして私に接近して接触や暴力を……というモチベーションを持った人に対する抑止力にはならないんですよね。
私は、こんなスリルとサスペンスを味わうために駅のホームにいるわけではありません。ただ、電車に乗りたいだけです。
公共交通機関を利用しようとする障害者は、危険や不快に甘んじなくてはならないのか?
このような問題を回避する方法の一つは、駅に物理的に安全な障害者の待機スペースを設けることでしょう。東京駅には、新幹線を利用する障害者など要介助者を対象に、専用の待機スペースが用意されています。
しかしこれは、健常者を含む他のお客さんから障害者を隠すことに他なりません。安全性と快適性が確保されたとしても、隔離であり分離であるわけですから、「障害者差別が解消された」とは言えないのです。
他の乗客が障害者に対して脅威をもたらすという問題が解決されない限り、解決にはなりません。
「車椅子で乗車して他の乗客の迷惑になっているだから、ちょっとやそっとの不快や痛い目くらい我慢しろ」という感想を持つ方は、おそらく、若干はいることでしょう。でも、そういう方が日本にいるということは、日本が障害者差別を容認しているということに他なりません。
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