同年(2018年)9月のシルバーウィークには、マイカーで北海道を巡る旅を企画した。夫婦で北海道を旅行するのは25年ぶりである。妻も楽しみにしているようだった。工程は新潟からフェリーで小樽に入り、苫小牧から大洗に戻ってくるというもの。ところが、その月の6日未明に北海道胆振東部地震が発生した。最大震度7、道内ほぼ全域で停電が発生したあの地震である。これは呑気に旅行などしている場合ではないな、旅行は取り止めかなと思いつつも、被害や復旧の状況をウォッチしていると、10日頃にはライフラインはほぼ復旧したようだった。地震のために旅行のキャンセルが相次いだのに対し、現地からはキャンセルせずに旅行に来てくれという声も出てくるようになった。どうしようか迷ったが、マイカーで行くのだから、出来秋の収穫物をたくさん買い込んで少しでも貢献しようとの思いから、北海道行きを決行することにした。

 

実際の旅程は以下のとおりである。

9/14(金) 東京の自宅を発ち、新潟・燕三条のビジネスホテルに前乗り。

9/15(土) 新潟港から新日本海フェリーに乗船。

9/16(日) 未明に小樽フェリーターミナルに着き、早朝の小樽運河をぶらついた後に、一気に丸瀬布を経由して、旧湧網線に沿って網走まで。網走泊。

↓初めて訪れた丸瀬布いこいの森では勝手がわからず、撮影場所の選定に戸惑った。短時間ではあったが雨宮の煙を堪能することができた。この後、遠軽のトリトンで昼食をとった。妻は北海道の回転寿司のレベルの高さに驚いていた。

↓遠軽からは湧別を経て、旧湧網線に沿って車を走らせた。途中、北海道タイプのC58が保存されている計呂地交通公園に立ち寄った。その後はサンゴ草の群生地を見学して網走に向かった。

9/17(月) 網走から北浜駅、知床(ウトロ→羅臼)、塘路駅、釧路湿原などを経由して釧路へ。釧路泊。

↓数十年ぶりに訪れた釧網本線北浜駅の待合室には昔と同じように名刺がびっしりと貼られていた。大学生のときに僕が貼り付けた名刺はないかと探したが、天井を見つめ続けて首が痛くなるばかりで見つけることはできなかった。ホームには展望台が設けられていて、時の流れを感じさせられた。

9/18(火) 根室本線の音別や尺別で鉄チャンの後、花畑牧場に立ち寄り、乳製品を購入してから帯広泊。

↓ここ尺別の丘も数十年ぶりに訪れたが、全くと言ってよいほど何も変わっていなかった。鉄道に興味のない妻は丘に咲くハマナスの花などの写真を撮って時間をつぶしていた。

↓初対面のキハ283系は振り子式らしく車体を傾けているシーンを撮ろうと目論んで、音別海岸のカーブで待ち構えた。

9/19(水) 旧幸福駅を訪問、さらに道の駅中札内で農産物を大人買いしてから狩勝峠を越え、千歳線島松〜北広島で撮影。夕刻に苫小牧西港で商船三井フェリーに乗船。

↓旧幸福駅にはなぜか2両のキハ22が保存展示されていた。広尾線廃止からだいぶ時が経つというのに保存状態は良好であった。切り取った構図で撮影すると、往時さながらの絵が得られた。

↓北海道胆振東部地震をきっかけに厚真や長沼などの一帯がジンギスカンで評判が高いことを知り、ぜひ立ち寄りたいと思った。長沼ジンギスカンの食べ比べができる長沼温泉のレストランに向かう途上で夕張鉄道のキューロクを見つけた。この25号機には1975年3月に鹿ノ谷機関区で会っている。模型の参考になるかもしれないと思い、圧縮空気で作動する開放テコも撮影した。

↓苫小牧に向かう途中、千歳線で撮るにはどこがよいかネットで調べると、島松〜北広島がヒットした。ここでは次から次へと列車がやってきて、鉄チャン再開に向けたリハビリにはもってこいだと思った。ただ、上り貨物がやってこないのが残念といえば残念だった。

9/20(木) 大洗から自宅に帰着。

 

6月のドイツ、9月の北海道、いずれも決して鉄分の多い旅ではなかったが、復活蒸機ではない現役の鉄道車両を中心に撮影したのは実に久方ぶりで、やはり鉄チャンはいいなと実感した。

それまでは仕事優先でフィールドに立てない憂さを鉄道模型(1/80)のレイアウト製作で晴らしていたが、この旅以降徐々に鉄チャンにシフトしていくこととなった。(終わり)