瀕死の経営状況から"ぬれ煎餅"を販売して廃線の危機どころか黒字計上を成し遂げ、映画にもなってしまった銚子電気鉄道。
しかし、銚子電気鉄道の廃線危機が話題となったのはここ数年の話ではありません。
浜松市中央図書館の蔵書にある鉄道ピクトリアル19653月号の銚子電気鉄道の記事を見つけ、驚きました。
鉄道ピクトリアル 1965年3月号より
銚子電気鉄道は1965年1月6日、仲ノ町変電所の機材が故障、全線での運転が出来なくなりました。予期せぬ故障により笠上黒生駅にデハ101、海鹿島駅にデハ301が取り残されてしまいました。
銚子駅のホームには
『変電所故障のため電車は運休いたしております。現在銚子電鉄線の定期乗車券をお持ちの方は千葉交通バスに(最寄り停留場にて)乗車できます。尚運休中は電鉄線の定期券は発売を中止しております 現在復旧へ努力中ですのでご了承ください
一月八日 銚子電鉄株式会社』
と看板が掲出されています。この文面に“ 尚運休中は電鉄線の定期券は発売を中止しております"と記されています。変電所故障当初は相当の日時と多額の費用を要する事が想定されたことからこのまま廃止となる事も鑑みて定期券の販売を中止したものと思います。
電車代行バスは当時親会社の千葉交通が担当、写真には方向幕窓の小さい1955年頃の日野ブルーリボンBDが写っています。"電車の来ない錆びた線路と大繁盛のバス"とはこの一件の悲哀を見事に云い表しています。
変電所故障の原因となった仲ノ町変電所の変流機は1946年に蒲原鉄道よりお輿入れた中古品(125kw × 2基)。しかし銚子電鉄は1963年の役員会で路線廃止の方針を示しており、いよいよ万事休すかと思われましたが京成電鉄が復旧工事に手をあげ、1965年2月6日に運行を再開しました。
仲ノ町を出発するモハ1001
2005年1月3日
その後、何度も存続の危機に遭いながらも生きながらえた銚子電鉄。1990ねん1月、永らく親会社が千葉交通だったのが千葉県東金市の内野屋工務店に移り、同社社長の内山健治郎氏が就任しました。しかし同社は計画したゴルフ場『八街カントリークラブ(仮称)』の開発が行き詰まり1998年6月に781億円の負債を抱えて破産。
同社社長の内山氏は倒産後も銚子電鉄の社長を続投しますがその最中、2003年5月〜7月に借入金の横領した事が発覚、翌年2月に社長が解任されて取締役も辞任。6月には特別背任容疑で銚子電鉄が告訴状を提出しています。
2005年、竹本勝紀氏へ銚子電鉄の顧問税理士を依頼。同社の顧問税理士となりました。
仲ノ町車庫のデキ3
2005年1月3日
自分が銚子電鉄に乗りに行ったのはまだ一連の混乱の最中に仲ノ町ー外川間へ乗りに行きました。
冷房装置が付いているのはデハ1001・デハ1002のみで車輌の塗装は内野屋工務店時代のままでした。
一連の倒産騒ぎはこの1年後の話でした。
この訪問時にはまだぬれ煎餅は大ヒットしていませんでしたが販売はしていました。
友人が銚子電鉄を2011年へ訪問した際には他社線の引退車輌で記念乗車券を販売していました。