かつて撮影した場所が今どうなっているか、Googleストリートビューで確かめるシリーズの第2弾は肥薩おれんじ鉄道(かつての鹿児島本線)。


その昔のいつだったか、僕は鉄道ピクトリアル誌に掲載された一枚の写真に釘付けになった。それは海をバックに走るブルートレインをかなり高い位置から俯瞰して撮ったものだった。調べてみると、鹿児島本線上田浦ー肥後田浦間の不知火海を見下ろす農道から撮られたようであった。あまりの写真の素晴らしさに感動し、僕も同じ場所で撮影したいと思ったのは自然な感情であった。

そんな思いを胸に秘めつつ、1980年の夏に訪れた九州旅行の際に実行に移した。肥後田浦駅で下車し、炎天下を山の斜面に拓かれた蜜柑園を縫う坂道を登ること3キロあまり。辿り着いた場所の眼下には絶景が広がっていた。

しかし、しかし、である。愛機ニコンが突然のシャッタートラブルに見舞われた。「痛恨の極み」とはこういうことをいうのだろう。結局1枚も撮ることなく駅に引き返さざるを得なかった。修理のため熊本にあるニコンのサービスセンターに持ち込もうにも夏期休業中。結局そこで写真を撮ることは叶わなかったのみならず、以後写真を撮ることができなくなった。不貞腐れた僕は熊本から『おおよど』で宮崎、宮崎から『にちりん』で小倉と、いずれもキハ82系特急に乗って憂さを晴らそうとした。晴らせなかったけど。

この借りは必ず返すと誓ってから数ヶ月後の10月。僕は再び同じ場所に立った。農道の両側の段々畑には蜜柑が色づいていた。これが市場評価の高い田浦みかん(マル田みかん)かと思った。このときは僕にしては珍しく同じ場所に長時間腰を据えて撮影した。そりゃそうだ、因縁の撮影地なのだから。その中の1点を拙著『Excellent Railways ー追憶の鉄路ー』に収めた。それが下の写真である。

↓拙著に収録した写真。55.10改正で一部が583系で運用されるようになった特急有明。鹿児島本線上田浦ー肥後田浦にて(1980.10.2)

↓プロットしたところが立ち位置。当時はまだたのうら御立岬公園駅はなく、肥後田浦駅で下車。そこから徒歩で延々と坂道を登るなどということは今では想像すらできない。

ここはよほど気に入ったとみえて、1989年の夏休みに妻と九州を旅行した際にも訪れている。JRになって走る車両は変わったが、美しい風景は相変わらずであった。このときは不知火海対岸の島原の山々が見えていたので、縦構図で撮影した。

↓日奈久温泉の老舗旅館『金波楼』に泊まった翌日にここを訪れた。鹿児島本線上田浦ー肥後田浦(1989.8.3)

その後、2000年代初めに公務出張で当地を訪れた。柑橘を生産する旧知のT有機農園を訪れ、家にあげてもらった。忙しく全国を走り回るご主人に代わって農園を切り盛りする奥様から経営状況をうかがう中で、このあたりは廃園が相次いでいると聞かされ、ショックを受けた。お宅を辞した後に、公務中ではあるが、レンタカーで移動していたこともあり、件の鉄チャンポイントに寄り道してみた。果たして、前回訪れてから10年とちょっとしか経っていないというのに、蜜柑園だったところに果樹はなく、雑木が生い茂っていた。線路を俯瞰できる立ち位置もだいぶ限られてしまっていた。なにより空気感が全く違った。喩えるならば、有人駅と無人駅の違いである。一言で言うと、饐えた匂いというか侘しい雰囲気を漂わせていたということである。

そこから線路を見下ろすと、線路脇の草地だったところには雑木が繁茂しており、車窓から海を眺めることはできなさそうだった。もうここで撮ることはないだろうなと思いながら、現場をあとにした。寂しいことである。

↓現在の様子。左の写真の中央付近に辛うじて線路が見えるが、上の2点の写真の立ち位置からは線路を望むことはできないようだ。しかし、SNSではここで撮られた写真を今でも時折見かけるので、撮影地としては存続しているのだろう。