前回の続きとして、『宗谷秘境駅号』の復路・旭川行に乗車した時の事を紹介します。
一夜明けて10月20日(日)。宿をチェックアウトし、同行のらんちゃん女史と合流して稚内駅に向かいます。雨や雪こそ降ってはいませんでしたが、相変わらず雲が多い…。気温は5.9℃、北風が身に染みる…😖
稚内駅コンコースは、ツアー参加者らで大賑わい。
前日の折返しとなるキハ40形2連は8:23頃に入線。参加者はまだホームに出る事を許されていなかったため、ガラス越しの撮影となりました。
入線後、参加者一同は改札口を抜けてホームへ。
往路と復路は席割が一緒なので、私たち2人は昨日と同じ1号車に乗車します。
そういえば、①号車と②号車の種別幕がそれぞれ「臨時」「団体」と異なっている事に執筆中気付きました…。
①号車デッキ扉上の行先札は「旭川行(浜屯別経由)」。天北線経由の上り普通列車に旭川直通はなかったと記憶しますが、下り列車には1985年3月ダイヤ改正まで旭川から天北線経由で稚内へ至る列車が存在していました。
旭川行団臨9442Dは8:37、稚内駅を出発。
稚内市開基100年目を記念して1978年に建てられた稚内百年記念塔を見ながら、次の南稚内駅へ向かいます。
運転停車の南稚内駅は、定期列車が停車しない2番線ホームに到着。ここで大幅に遅れている音威子府からの4321D(本来ならば稚内駅8:06着)と交換するため、しばし停車します。
南稚内駅停車中に車販が廻ってきて、セコマのとよとみ生乳95%ヨーグルトを購入。まろやかな口あたりで乳本来の味わいが楽しめます。
ちなみに、上り列車も豊富駅には停車しません。
4321D到着後の9:04に南稚内駅を発車、抜海の丘を上ります。既に当列車も20分以上の遅れ。
抜海の丘のてっぺん付近では、前日同様に撮り鉄数名がベストショットを狙ってスタンバイ!
遅れているにも関わらず列車は徐行し、日本海と利尻山(利尻富士)が見える絶景ポイントへ差し掛かります。残念ながらこの日も雲が多く頂上付近が隠れてしまっていましたが、これだけ見られるだけでもラッキーというべきか?
そして抜海駅へ。今回も運転停車扱いで、車外に出る事はできませんでした。
ホームには数名の撮り鉄らがお見送り。
やがて列車はサロベツの牧草地の中を走ります。
最初の停車駅扱いとなる幌延駅は5分停車の予定でしたが、所定の9:43発より既に20分程遅れていたため到着後すぐに発車。
幌延駅の次は、所定の9:51から15分程遅れて南幌延駅に停車(ドア扱いはナシ)。
秘境駅キャラの「ミナミほろりんさん」と共に、来春の廃駅後待合室はどうなるんだろう?
遅れを引きずったまま、雄信内駅に到着(所定では10:00着)。ここで旭川駅を6:03に出発した道内最長普通列車である321D~4323Dと交換します。
ここで初めてドア扱いが行われます。そういえば、前回の記事で「列車で雄信内駅を訪れるのは最初で最後」と記述してしまいましたが、復路も立ち寄るんでしたね(汗)。しかし…コレが本当に最後の訪問となりそうです。
今年で開業99周年を迎える雄信内駅(11月3日にはその記念式典が盛大に行われた)。その記念として、紅白餅(餡入り)の立売が行われました。餅好きの私は勿論(決してダジャレではない)購入。掛け紙には「雄信内駅待合所謹製」と書かれていますが、実際に製造したのは稚内の菓子店。時間が経過していたためか、ちょっとカタくなっていたのが残念でしたが…。
雄信内駅では所定の25分停車時間を短縮したため、遅れはほぼ回復。
宗谷本線唯一の下平トンネルを抜けた後、列車は天塩川沿いの区間に入ります。
10:32、ヨド物置の待合室で知られる糠南駅に停車。1分停車のためドア扱いはナシ。
幌延町の「秘境駅でマチおこし」も手詰まり感は否めず、結局住民の理解を得られない事から南幌延と雄信内駅は廃止される事が決まってしまい、残る「秘境駅」は下沼と糠南の2駅だけに…。
列車はお隣の問寒別駅にも停車しますが、コチラもドア扱いはナシ。同駅周辺には比較的まとまった集落があるのですが、1日の乗車人員は3名以下と、予断を許さない状況となっています。
列車は宗谷管内から上川管内に入り、10:51、天塩中川駅2番線に到着。ここで51D特急宗谷と交換するため23分間停車します。
1953年建築当時の姿にリニューアルされた天塩中川駅舎。国鉄時代から残る旧来の木造駅舎としては日本最北になってしまうのでしょうか…。
停車中に、②号車の種別表示の幕回しイベントが行われました。現在見られるのはほとんど「ワンマン」ばかりなので、その他の表示が見られる貴重な機会でした。
急行札差しに「なよろ」の愛称板が…。現在の快速なよろの前身で、かつて札幌と名寄を結んでいた急行列車です。
1番線に特急宗谷が発着(所定の11:13より約2分遅れ)。交換後当列車もすぐに発車。
天塩中川→旭川は列車番号が9444Dと変わります。
天塩中川駅発車後、今度はアイスの車内販売。前日とは異なり、明治エッセルスーパーカップしか選択肢がありませんでした。
佐久~筬島~音威子府の天塩川。
筬島駅近くの「北海道命名之地」碑付近では、数名の撮り鉄らがお見送り。
かつて天北線が分岐していた音威子府駅。上り列車は運転停車で、ドア扱いはナシ。
復路の旅も後半に差し掛かります。次の停車駅である美深(12:17着)では約14分停車。
かつて「日本一の赤字ローカル線」として有名だった美幸線が発着していた3番線は、今はただの草っぱらに…。
ちょうどお昼時のため、お弁当の立売実演が行われました。前日と同じく事前配布の引換券と交換するスタイルです。
お弁当の掛け紙は国鉄時代の美深駅構内の写真で、1番線に停車している長大編成のキハは1985年9月16日の『美幸線さよなら列車』に使用された編成と思われます。
中身は勿論前日とは異なり、白飯と炊き込みご飯の組み合わせ、焼き魚、鶏の唐揚げ、野菜サラダ、肉団子、カボチャの煮付けetc…。美味しく頂きました。ごちそうさま😋
12:55、名寄駅2番線に到着。約15分停車します。
ここでは①号車の幕回しイベントが行われ、1725にはなかった「修学旅行」の表示を見る事ができました。
まだ時間があったので駅舎内に立ち寄ります。
発車標には駅員さん特製のLEDアートが!!粋な演出、ありがとうございます!
名寄駅発車後、進行方向左手に見える『キマロキ編成』から汽笛の吹鳴というサプライズが行われたのですが、逆側の席だったためその時の写真は撮れず。
(※画像はイメージです)
その後、車内を盛り上げるためのビンゴゲーム大会が行われました。
当たった順に良い景品(勿論鉄道グッズ。空クジナシ)が貰えます。同行のらんちゃん女史は比較的早くビンゴ成立したのですが、私はなかなか揃わず…😔2人とも何が当たったかは伏せておきます。
士別、剣淵と運転停車の後、13:50、和寒駅2番線に到着。
14分停車の間に6061D特急サロベツ1号と交換するのですが、その時の写真は撮れませんでした。悪しからずm(__)m
和寒から先は塩狩峠を進み、14:17、最後の停車駅である塩狩駅2番線に到着。
ここで2本の列車を退避するため、31分程停車します。
ここで①号車デッキ扉上の行先札が、興浜南線(1985年廃線)の雄武(おむ)行に!
思えば…キハ40形も同線の末期に使用されていました。特定地方交通線の生き証人だった北のヨンマルも、今や風前の灯に…。
②号車の行先札は、留萌本線の増毛行(留萌~増毛は2016年廃線)となっていました。
思えば…私が増毛まで初めて行った時に乗ったのも朱色のヨンマルだったなぁ(しみじみ)。
塩狩駅停車中は撮影など皆思い思いに過ごします。
同行のらんちゃん女史は三浦綾子(小説・『塩狩峠』の著者)の旧宅を移設保存した『塩狩峠記念館』を見物したとの事。
ここで1本目の列車である3324D旭川行快速なよろ6号が通過していきます。単線である宗谷本線で列車の追い抜きは珍しいシーンともいえましょう。
もう1本は名寄行普通327Dと交換。その後14:48に当列車も発車します。
旅も終盤となり、前日とは異なるデザインの乗車証明書がスタッフの手によって配布されました。表面の写真は今はなき下中川駅(2001年廃駅)に到着するキハ54形。
塩狩峠を越えて上川盆地に入り、比布駅を通過後北海道一の大河・石狩川を渡ります。
旭川市に入って永山駅では運転停車し、3323D快速なよろ3号と交換します。
稚内から7時間弱の旅を終え、15:26、終着・旭川駅5番線に到着!2日間、皆様お疲れ様でした!
到着して約10分後、乗客を降ろしたキハ40は旭川運転所へ回送されていきました。
2日間お世話になりました!ありがとうヨンマル!
回送列車を見送った乗客一同は、東改札口前に一旦集合。その時見せて頂いた団体乗車券ですが…金額は7ケタ!!実は私も団臨ツアーを主催するのが夢なのですが、カネとコネがないと難しいという事を思い知らされたのであります…。
その後南口駅前広場で解散式が行われ、企画者と主催者それぞれのご挨拶の後、解散となりました。
多くのメンバーは南口にとどまっていましたが、私は16:00発の2032Mカムイ32号の指定席(えきねっとトクだ値)を予約していたため、サッサと退散…。らんちゃん女史に見送られ、旭川を後にしたのでした。
…というワケで、2日間にわたる宗谷本線キハ40の旅の旅程を紹介させて頂きました。最後になりますが、団臨ツアーの企画・立案にあたった方々をはじめ、車内外のおもてなしに関わったスタッフ、運行に携わったJR社員の皆様、そして…本ツアーにお誘いくださったらんちゃん女史には深く御礼を申し上げます🙇
おわり