NO.3114 「小倉総合車両センター工場まつり」訪問記録(その1・前回平成27年訪問時模様編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 去る10月20日、私は9年ぶりにある所に足を運んでおりました。

 

 それが福岡県北九州市にありますJR九州の在来線向けの車両工場でもあります「小倉総合車両センター」でありまして、JR九州の在来線車両全車を対象に検査・修理などを行う場所でもあります。

 

 小倉総合車両センターは、旧国鉄時代からJR化後平成23年までは「小倉工場」とも称されておりましたが、この年より「小倉総合車両センター」となりまして、現在に至っております。尚、この年までは鹿児島県鹿児島市にも「鹿児島総合車両所(←鹿児島工場)が存在しておりましたが、現在は在来線向けは小倉総合車両センターの1箇所のみでありますが、新幹線向けに「熊本総合車両所」も存在しております。

 

 そんな小倉総合車両センターは、将来は東小倉駅(現在貨物では信号場扱い)がある所に工場機能を移転する事にもなっております。ですからこの地での工場機能の姿もいつまでか?と言う所でもあります。

 

 

 さて、今回の小倉総合車両センターの訪問は、「小倉総合車両センター工場まつり」のイベントが開催されていた事に伴いまして、私は9年ぶりにその地に足を運んでおりましたが、久々の訪問となりました今回の姿を見ましても、新たな車両の姿は見られていたものの、それ以外にも引退した車両なども拝見する事ができておりまして、正直よかったとは思っております。しかも、今回は9年前にはなかった有料エリアも設定されておりまして、これまでとは違った所も見られていたようでした。

 

 

 ここまで、今回の模様を簡単にご紹介しましたが、今年の「小倉総合車両センター工場まつり」の話題は次回から3回に分けましてご紹介させていただきますが、今回ご紹介しますのは、9年前の平成27年に行われました「小倉総合車両センター工場まつり」の模様を、当時の画像より皆様にご紹介してまいります。

 

 

 平成27年に開催されました「小倉総合車両センター工場まつり」では、今回は立ち入りができなくなりました工場西側の部分にも足を運ぶ事ができておりまして、展示車両以外にも廃車予定の車両や検査入場車両なども今回以上に見られておりましたし、この年で引退となりました485系電車の引退式の模様も拝見する事ができておりまして、現在以上に様々な姿を拝見する事ができておりました。

 

 

 まずご紹介しますのは、103系1500番台電車の3両化に伴いまして生まれておりましたが、残念ながら廃車となりましたE16編成の先頭車化改造車のクモハ103-1516であります。

 

 103系1500番台電車と言いますと、この平成27年より運行を開始しました305系電車に代わりまして、6両固定編成5編成が廃車となりまして、後述のように1編成(6両)も拝見する事ができておりましたが、実は現在も筑肥線の西唐津・唐津~筑前前原間で活躍する3両固定編成にも廃車が発生しておりまして、画像のE16編成、相方のE15編成、そしてのちにE11編成も廃車に至っておりまして、現在稼働しておりますのは3両編成5編成のみとなっております。

 

 この時には、画像のように落書き電車として子供さんを中心に落書きする姿が見られておりましたが、中には「ありがとう」など言った文字も見られておりまして、30年間活躍してきました同車に対する感謝の意も見られておりました。尚、この編成は「工場まつり」終了後に後述の場所にて解体されております。

 

 

 こちらは、今年もイベントの一つとして見られておりましたミニSLコーナーであります。このミニSLは、元々は12系客車の改造車でありました、現在の「D&S列車」に相当します「ジョイフルトレイン」の「サザンクロス」をモチーフにしました客車でありましたが、その後現在は熊本~大分・別府間でキハ183系1000番台気動車で運行されております「あそぼーい!」のカラーに改められております。

 

 そんなこの客車には「増結車」が見られておりまして、青地に白ラインの12系客車のカラーも連結されておりました。今回の「工場まつり」では、12系客車のカラーは連結されておらず「あそぼーい!」カラーのみ3両に減車されておりまして、前回のような4両の姿は見られておりませんでした。

 

 

 ここからの画像は、今回は有料エリアとなっておりました北側の検修庫での画像です。以下画像は、885系電車SM7編成でありますが、この時には「特別な姿」で小倉総合車両センターに入場しておりました。

 

 それが「福!列車かもめ」と称しておりまして、当時デビューから25年になっておりました、長崎出身の福山雅治さんに関しましたラッピング列車が運行されておりまして、車体には福山さんの写真や、サインの姿も見られておりました。私自身も、当時走行シーンも拝見しておりましたが、真近では拝見していなかっただけに、この姿に興奮するほどであった事を覚えております。

 

(「福!列車かもめ」の下に、福山さん手書きのアルファベット文字が見られます)

 

 (福山さんの写真など)

 

 (福山さんのサインも見られました)

 

 尚、現在はそのサインも消されておりまして、車両自体も「リレーかもめ」や「ソニック」などで運行されておりますが、かつてそのような姿が見られていた事は記憶にとどめていただきたいものであります。

 

 

 こちらは、885系電車SM7編成の横に展示されておりました787系電車BM14編成であります。この編成は6両編成でありましたが、現在も6両編成は維持しておりまして、日豊線の「にちりん」系統や、「ひゅうが」などで活躍を行っております。

 

 

 場所は変わりまして、今回の「工場まつり」では立ち入りができなくなっておりました工場西側であります。当時は、駐車場も西側に設定してあった事もありまして、西側へも立ち入る事が可能でもありました(今年は駐車場の設定はなし)。画像は、コンテナ車の2両でありますが、このJR九州小倉総合車両センターとともに、JR貨物小倉車両所も併設しておりますので、貨車の姿も見る事ができておりました。

 

 (コキ104-129)~その下の画像は検査証

 

 (コキ106-847)~前回は川崎車両所で全般検査を受けていましたが、この時は小倉車両所での検査であったようです

 

 

 こちらは、103系1500番台電車E05編成であります。この編成は、相方E06編成とともに、この年の2月に唐津車両センターから門司駅に疎開のために回送されておりましたが、10月に小倉総合車両センターに廃車回送されておりまして、この「工場まつり」時にはE05編成とE06編成は分割されておりました。

 

 こちらが、相方のE06編成であります。この時、モハ103-1506と他2両とは画像のように別々に留置されておりました。それにしても、この中間車の分割された姿は見る事がなかったですので、まさにその時ならではな姿が見られていたのかなとも思う所でしょうか。

 

 (モハ103-1506)

 

 (モハ102-1506+クハ103-1506)

 

 尚、その後この編成は先にE06編成が後述の場所で解体、そしてE05編成が解体されておりましたが、E05編成のうちのクハ103-1505は踏切事故訓練に使われまして、踏切事故訓練が終了しましてから解体へと至っておりまして、この解体によりまして、103系1500番台電車の6両固定編成は全車解体と言う事にもなりました。

 

 

 こちらは、工場内の訓練等に使用するために「安全伝車」として使用されておりました、415系電車Fj8編成のうちの2両であります。既に車籍は除籍されておりましたがこのような形で青一色白一色に塗り替えられて使用されておりましたが、九州では見ないスタイルでもありましたので、違和感ありの印象でもありましたでしょうか。

 

 (103系1500番台電車E05編成と)

 

 

 さらに、こちらは入場しておりましたキハ47 131であります。この車は昭和55年に製造された車でありましたが、国鉄時代は早岐客貨車区(現・佐世保車両センター)→唐津運転区(現・唐津車両センター)と経まして、筑肥線や唐津線・松浦線(現・松浦鉄道)などで活躍した車でしたが、その後直方気動車区→鹿児島総合車両所→鹿児島車両センターと末期には南九州で活躍しておりました。この車は機関改造(エンジン換装)を受けないまま、令和3年に廃車となった車でもありましたが、そんな車をこの時収めておりました。

 

 

 こちらは、キハ66・67系気動車で初の廃車となりました4番ユニットであります。この時にはヘッドライトなども取られておりまして、もう出る事がない事をも伺わせておりましたが、それでも、この車でもこの時点で40年を経過していた訳ですので、経年に匹敵していた事には間違いない訳ではありましたが、当時それ以外の他のユニットが元気に稼働している中での唯一の廃車はやはり残念ではなかったかと思う所でもありましたでしょうか。

 

 

 そして、こちらは解体場であります。この「工場まつり」時には駐車場として開放されておりましたが、いわゆる「最期の場所」を収める事ができていたのは印象深い所でもありました。やはり、その後も上の画像の車両を含めまして様々な車両がこの地で解体されている訳でもありますので、よりそう思う部分でもあります・・・。

 

 (この線路を通って解体場所へ)

 

 (解体に使うショベルカー)

 

 

 そして、この時の「工場まつり」の目玉が、485系電車の引退式でありまして、最後まで残されておりましたDo32編成が工場内に入りまして、退役式を行う事にもなりました。私自身も、最後に電気を落とすまでの間までその模様を見守っておりました。

 

 485系電車DO32編成は、この日大分車両センターから大分駅で団体客を乗せまして、門司港駅経由で小倉総合車両センターにやってきておりました。その際は、ゆっくりとした速度で入って来ておりまして、その際に私を含めまして多くの方々がカメラを構えまして収める姿が見られておりました。

 

 (停車位置に到着)

 

 

 画像は愛称幕のアップであります。この行程中、長く停車しておりました門司駅では愛称幕回しの姿も見られておりましたが、この小倉総合車両センター入線時には赤白で「さようなら JNR485系電車」と表示されておりまして、まさにこの電車の最後である事を伺わせておりました。

 

 この485系電車では、側面行先では様々な表示を出しておりまして、全8種類が見られておりました。今回はこのうちの1種類をご紹介しますが、表示の仕方も国鉄時代を伺わせるような表示の仕方をしている場合もあるなど、まさにラストランにふさわしいような感じになっていたのではないかとも思う所でもありましたでしょうか。

 

 

 しばらくしますと、485系電車の退役式が始まりました。画像にもありますように、この周囲には多くの方々がいらっしゃっているのが見ていてわかりますが、私も以下画像の位置におきまして、この485系電車の最期の姿を見ておりました。

 

 この後、係員の指示によりましてヘッドライトが消されまして、その後は、上部にあります前照灯へと至る事になりまして、結果以下画像のようにライト類は全てが消されました。

 

 さらに、パンタグラフが下ろされました。これにより、架線からの電気は外れる事になりまして、もう2度と(!?)パンタグラフが上げられる事もないと思うと寂しいものでもありました。その後、バッテリー電源も切られておりまして、もう自走もする事もない事も伺わせておりました。

 

 

 この後、大分車両センター・大分駅から乗務してこられました運転士・車掌の方が出てこられました。この時に着用されておりました運転士・車掌の制服は国鉄時代の制服となっておりまして、まさにこのイベントにふさわしいような姿なのではないかと思う所でもありました。

 

 運転士は、ブレーキを係員に渡しまして、渡しましたら客室乗務員役の女性社員より運転士・車掌に対しまして花束贈呈を行いまして、今回務め上げました大役の労をねぎらっておりました。

 

 花束贈呈が終わりますと記念撮影です。この記念撮影が終わりますと485系電車の退役式も終了となりまして、この日をもちまして九州内での運行はなくなる事にもなりました。

 

 

 その後、クモハ485-5+モハ484-206+モハ485-196+モハ484-298の4両は、上の画像にもあります解体場におきまして解体されましたが、クハ481-256に関しましては以下最後の画像にもありますように現在もこの小倉総合車両センターにおきまして保存されておりまして、今回9年ぶりの再会を果たす事にもなりました。

 

 

 今回は、9年前平成27年の「小倉総合車両センター工場まつり」の模様を過去の画像よりご紹介しましたが、画像を見ましても懐かしさが伺える所でもあります。やはり、小倉総合車両センターに関しましては現在は有料エリア・立ち入る事ができない場所にまで入る事ができていた事、そしてその年まで485系電車も動いていた訳でもありますのでより懐かしく思う所ではあります。それにしても、前回が9年前であった事がそれだけ足を運ぶ事ができなかった訳でもありますので時の流れを感じさせられる所ではありますが、次回より今回の「工場まつり」の模様をご紹介してまいりますので、次回以降もご覧になっていただきたいと思います。