今回は、10月19(土)・20(日)の両日に宗谷本線旭川~稚内を往復運転したキハ40形使用の団体臨時列車に乗車した時の記事を紹介します。
いよいよJR北海道のキハ40形(一般タイプ)の終焉も近づいてきた事から、鉄道愛好家有志らが主催する同車(旭アサ)を使用したツアー団臨が頻繁に運転されるようになりました。当ブログの乗り鉄記事に頻繁に(?)登場する旭川在住のらんちゃん女史は愛好家諸氏と幅広く交流を持つ方で、「旭川~遠軽」などで運転された団臨ツアーに参加しています。それらは比較的運転区間が短いため食指が動かなかった私でしたが、今回「旭川~稚内」と宗谷本線を全線走破、なおかつ往復運転というツアーのお話を頂き、参加料は決して安いモノではありませんでしたが、同線でキハ40形一般車に乗れる機会も最後だと思い、「コレこそは!」という事で2人1組で参加する事となりました。
そして迎えたツアー当日の10月19日。
出発駅となる旭川へ向かうため、私は札幌駅を7:13に発車する3003Mライラック3号に乗車。
受付場所となる旭川駅東口コンコース付近では、既に多くのツアー参加者が集まっていました。
私は受付を済ませて行程表を受領。封筒には座席番号が記載されていました。
お声掛けしてくださったらんちゃん女史とも後に合流。
(※特記がない限り、各駅の発着時刻はコチラ↓の画像でご確認ください)
受付場所にあった「記念サボ」。実際に装着されたサボと同じモノです。私は結局買いませんでしたが…。
今回の団臨『宗谷本線秘境駅巡り号』(宗谷秘境駅号。下り列車9441D)は9:45に発車。その15分弱前に皆で改札口を抜け、5番線ホームに上がります。
9:37に、今回の団臨となるキハ40形2連が入線してきました。編成表は下記の通り。
稚内←①キハ40 1735+②キハ40 1725→旭川
私たち2人は先頭①号車に乗車。
キハ40 1735は元々キハ40 153として1980年に新潟鐵工所で製造された個体で、落成当初は函館運転区(現・運輸所)に配置され道南各地のローカル列車として活躍、民営化後の1991年に函館でワンマン化改造を受けて735に改番されたのを機に旭川へ転出、2009年に釧路運輸車両所にて機関などの更新工事を施し1735に改番、現在に至ります。
デッキ扉上には号車札と、「稚内行(幌延経由)」の行先札が!
今回の団臨使用にあたり、BOX席には特別にテーブルが備え付けられました。
(写真は実際に乗車した座席とは異なります)
9:45、旭川駅を発車。
私たちは天塩川と利尻山が見える進行左側のBOX席で、2人利用だったためゆったり座る事ができました。尚、参加者は2両合わせてだいたい60名程だったそうです。
最初の停車駅・永山では2本の列車と交換するため17分停車。
写真からもお判りかと思いますが、残念ながらこの日はあいにくの雨模様。やっぱり宗谷本線にイベント列車が走る時に天気が崩れるというジンクスは避けられませんでした…(涙)。
停車中に撮影した①号車右側の行先サボ。
コチラ4点は②号車のサボ。キハ40 1725は『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』第1ランナーの先頭を務めた車両でした(但しその時乗車したのは2両目の1712)。
当駅始発の1322Dが9:58に1番線から発車。
キハ40形とH100形DECMOの並びも、今後は貴重な記録となりそうです…。
さらにもう1本、稚内からの6062Dサロベツ2号と交換するためまだしばらくの間停車中。
そして、サロベツ2号が1番線を高速で通過していきます。
この日はキハ261系5000番台『はまなす編成』による代走。
永山駅発車後、スタッフによるワゴンサービスが車内を巡回。何故か?セイコーマートの店内BGMが流れていましたが、コレは一部セコマブランド商品の取り扱いがあるため。
お菓子から缶ビール、そして鉄道グッズなど様々な商品が売られていました。
私はちょっとしたオヤツと、乗車した①号車に掲げられているヘッドマークをあしらった缶バッヂを購入。
比布と蘭留の各駅で運転停車の後、色づく秋の塩狩峠を越えるのですが、窓ガラスが曇って満足に写真が撮れなかったのでオミット。2度目の停車駅となる士別駅2番線に停車。ここでは名寄発旭川行普通324Dと交換するため22分停車。
士別駅では道内でも貴重となった駅そば店が営業中。さっそく行列ができていました。
この後お弁当が配られる予定なのですが、せっかくなので私も1杯のかけそばを頂く事に。停車時間中に駅そばを食べ終えられるか心配でしたが、何とかセーフ!
士別駅発車後、この後車窓の友となる天塩川を渡りますが、相変わらずの雨模様で増水中…。
次に停車する名寄駅では駅弁の立売実演が行われるため、スタッフが乗客1人1人に駅弁引換券を配布。
11:46、名寄駅1番線に到着。
同駅から「本来の」駅弁が消えて久しいですが、ここではホームでの模擬立売実演が行われており、先述の引換券と交換する事になっています。
停車中、お遊びで往年の急行『宗谷』の愛称札が差し込まれていました。
駅舎にも一応入ってみましたが、改札口のLED発車標にはしっかりと『団体』の表示が。
名寄駅から先が、いよいよ本格的な宗谷本線の旅の始まりともいえます。
ぢょうどお昼時と重なったので、駅弁(たまさぶろう謹製)を頂く事に。中身は普通の幕の内弁当でした。掛け紙のデザインは1985年頃の名寄駅構内ですが、まだ名寄本線や深名線のあった頃なので賑わいがありました。
日進駅(※次の智恵文と共に運転停車)を出ると天塩川が車窓から見えてきます。
旭川駅から100㎞弱北上した美深駅では4分停車。
跨線橋から『美幸の鐘』がある駅舎を絡めて撮影。
往路の旅も後半に差し掛かり、かつての天北線起点だった音威子府駅2番線には12:55に到着。ここでは名寄行4326Dと交換するため14分停車。
音威子府駅停車中の一大イベントとして、懐かしのサボの撮影会が行われました。
写真1枚目に写っているのはかつて天北線で使われていたモノらしく、左側に小さく「浜屯別至由」の文字が…。2枚目と3枚目は深名線で使われていたモノ。晩年はキハ53形500番台のイメージが強い同線ですが、キハ40形の700番台が使用されていた時期もありました。
稚内駅を10:28に出た4326Dが1番線に到着。車両はかつて急行『礼文』で使用されていたキハ54形500番台のラストナンバー529。
音威子府駅を出ると本格的に天塩川沿いの車窓を望める区間に入ります。
残念ながら(?)広葉樹は前夜の嵐で多くが落葉してしまったらしく、紅葉(黄葉)見物というワケにはいきませんでした。
筬島駅を通過後、天塩川の岸辺に『北海道命名之地』碑が見えるため、そこからお手振りや撮影のファンが多数いると思われたのか「窓を開けて手を振りましょう!!」の声が掛かり、進行左側の乗客は皆一斉に開けますが…そこには滑り込みで来たクルマが1台だけ…。少しシラケた気分?
筬島~佐久の天塩川。
特急列車が停車する天塩中川駅は通過、宗谷管内(幌延町)に入り次の「停車駅」である問寒別では1分停車のためドアは開かず。そして宗谷本線秘境駅の代表格ともいえる糠南駅でも1分停車しますが、やはりドアは締切扱い。仮乗降場と開業したためホームは板張りの「朝礼台」といわれる造りが特徴で、長さは1両の半分にしかすぎません。
糠南駅を出ると、天塩川沿い車窓のハイライトともいえる『問平陸橋』を渡り、その後天塩川とお別れします。
来年3月ダイヤ改正での廃止が予定されている雄信内駅には14:03に到着、6064D特急サロベツ4号と交換するため15分間停車します。
私自身、列車で同駅を訪問するのは最初で最後になるかと…。
雄信内駅停車中、駅助役に扮したスタッフがタブレット授受の光景を再現(?)。
一旦駅舎に入ります。かつての切符売場跡には歓迎のメッセージボードが置かれていました。
1953年建設といわれる現在の雄信内駅舎。国鉄旭川鉄道管理局様式のホーロー駅名板、それを照らす裸電球が郷愁を誘います。
2番線をキハ261系基本番台によるサロベツ4号が通過。
2021年に廃止となった安牛駅跡を通過、同時に廃止されるのを免れるも、結局来年3月ダイヤ改正での廃止が予定されている南幌延駅に停車。1分停車のためドアは開きません。
次の幌延駅には14:36に到着。ドア扱いする駅としては最後になります。
ここから終着稚内までは列車番号が9443Dに変わります。
幌延駅停車中でも、道内各地で使われていたサボの撮影会がありました。その全てを紹介するとキリがないので一部だけ…。そもそも、JR北海道で行先サボを使用する路線がほとんどなくなっただけに、この撮影会は貴重な機会でした。
車内に戻ってみると、デッキ仕切り戸の札差しにはJR北海道のマスコットキャラクターだった『モジャくん』をあしらった「指定席」が!
幌延駅を出発すると、左手に旧羽幌線の線路跡が分かれていきます。奥に見える針葉樹はかつての鉄道防雪林で、同線の一部の廃線跡は国道40号バイパスとして防雪林とともに活用されています。
そして広大なサロベツの牧草地を進みます。
ここでアイスクリームの車販が廻ってきて、森永乳業の『MOW』を購入。私はバニラ、同行のらんちゃん女史はいちご。種類別「アイスクリーム」のバニラは口どけが滑らかで絶品ですね~😋
さあ…いよいよ車窓を彩る利尻山(利尻富士)が見えて参りました!
北上するに従って雨は止み、雲は多いものの山頂以外その麗姿を望む事ができたのは幸いです。
旅も終盤に差し掛かり、スタッフの手によって特製の乗車証明書が配布されました。
左が表で右が裏ですが、キハ40に因み券番の0040は全て共通。表面はキハ400形お座敷列車を組み込んだ堂々7両編成の急行『宗谷』。お座敷車両の改造に伴い、急行時代の『宗谷』・『サロベツ』の末期はキハ182形を組み込んだ凸凹編成となっていました。
兜沼駅付近で見られる兜沼(そのまんまやんけ!)。
ついに日本最北のマチ・稚内市内に入り、勇知駅を通過後、お隣の抜海駅で運転停車。ここで停車時間を設けずドア扱いがないのが残念ではありますが…。
当駅も来年3月ダイヤ改正での廃止がほぼ決まってしまいましたが、最北の『秘境駅』を観光資源として何とか存続できないモノでしょうか?今年めでたく開業100周年を迎えた当駅ですが、地元有志による『抜海駅100周年事業実行委員会』は存続を目指し、1万人を目標としたオンライン署名活動を実施しております。私もそれに賛同し、微力ながら署名を行いました。
リンクを貼り付けたので、ご賛同頂ける方は是非とも抜海駅の存続のためにお力添えしてくださいませ。
オンライン署名 · 日本最北端の木造無人駅舎、JR宗谷本線抜海駅の存続を求めます - 日本 · Change.org
抜海駅は廃駅への布石として、元々あった交換設備を佐久駅と同様に9月24日以降使用が停止されてしまいました。出発・場内信号機は撤去され、柱だけが残されているのが哀しい…。
抜海駅を出て、日本海に注ぐクトネベツ川を渡り、抜海の丘を上ります。
丘を越えるあたりで一瞬見えてきたのは日本海、その向こうには礼文島が!
そして列車は徐行運転となり、宗谷本線の車窓のハイライトである日本海に浮かぶ利尻山(利尻富士)の麗姿が見えてきました!雲が多く山頂が見えないのが少々残念ですが、ここまで見られるだけでもラッキーというべきでしょうか。
利尻山とお別れした処で、丘の上に立つ撮り鉄らが手を振ってくれました。
寒い中ご苦労さん!
抜海の丘を下り、運転停車の南稚内を経て、ついに!終着駅・稚内に到着!
普段は味わえない、キハ40形一般車で宗谷本線を完乗する事ができました。
ちなみに…私が初めて稚内に来た際に乗ったのは朱色のキハ40形だったんですけどね😅
乗客を降ろしたキハ40は、翌日の旅に備えて車庫のある南稚内へ回送されていきました。
回送列車を見送ったツアー一行は改札口を抜け、駅舎内へ集合。
参加者には『宗谷本線走破証明書』(裏面は稚内駅への到着証明書)が配布されました。
それから、駅舎前のモニュメントに集まって記念撮影を済ませ、一旦解散します。
気温は7℃。寒さが身に沁みました…😖この日は夜になってからみぞれが降り出し、今年の初雪となったのでした。
解散後は皆それぞれの宿などへ向かいます。
この日私が泊まったのは駅から徒歩5分程度の距離にある『ホテル美雪』。『風っこそうや』の旅以来5年振りの宿泊です。ちなみに同行のらんちゃん女史は近くの別の宿でした。
宿で一旦休憩後、私とらんちゃん女史は近くの小料理屋(?)で夕食兼プチ飲み会。
私が食べたのはカツカレー。当ブログに割と頻繁に(?)登場するカツカレーですが、「迷ったらこのメニュー」という事で😅
食べ飲み終わった後は再びそれぞれの宿に戻り、ゆっくり休んで翌日の旅に備えます。
以降はまた次回という事で…。
つづく