30年以上利用してきたJRの青春18きっぷが今冬から大幅に改悪される。期間中に分けて利用したり、複数人で使いまわしたり、自由度の高さが利点だったのに、5日連続利用のみに限るとした時点で、これはもう青春18きっぷとはまったく別物の切符である。
休日に細かい予定を立てずにふらりと出かけたり、所用で東京への往復に利用したり、友人の使い残しを買い取ったり、またその逆のパターンもあったり、青春18きっぷは様々な使い方をしてきた。おそらく大多数の人が私と同じような経験をお持ちのはずである。それが今後できなくなるのだから、とてもじゃないが買う気になれない。青春18きっぷは実質的に廃止されたと受け止めている。個人的には旅行の選択肢が減るとともにJRの利用も激減するだろう。
民営化して最初の5年くらいのJRは、国鉄時代の全国ネットワークの利点を維持してきたが、地域ごとに分割されたため自社の利益にならない切符(周遊券)などは順次廃止された。次第に自社のみ有効の切符やネット割り引きに重点が置かれ、利益の出る新幹線や特急、あるいは豪華列車に注力するようになった。JRは安い切符を利用する人より、富裕層とか株主に目が向いている。
JRに対する不満や愚痴を言い出したらキリがないが、これを機会に青春18きっぷの思い出を振り返ってみたい。
私が初めて青春18きっぷを使ったのは1986年頃と記憶している。当時は国鉄時代の末期で民営化を翌年に控えていた。私は中学2年生だった。
↑ おそらくこれが初めて利用した青春18きっぷ。
昭和61年(1986年)4月2日。この時、同級生と急行「能登」の寝台で金沢へ行き、その帰りに青春18きっぷを利用した。北陸線、信越線、上越線経由で普通列車を乗り継いだ。
当時は5枚一組1万円。一枚あたり2000円。もちろん消費税はない。5枚のうち、残りを友人とどう使い分けたか記憶が定かではない。
この年の3月限りで国鉄は終わり、4月1日からJRとして再出発した。有効期間内に国鉄とJRを跨ぐわけだが、JRになってもそのまま利用できた。
この記事を書くため久しぶりに昔の青春18きっぷを眺めてみたが、懐かしさがこみあげてくる。
当時は5枚一組の冊子として販売されていた。「青春18」のロゴもいいデザインだと思う。カードやスマホ決済全盛の現代から見ると、手作りの切符の温かさを感じる。
↑ 「62.3.29」。駅によって大きい書体の日付スタンプを押してくれた。
国鉄最後の日まであと3日。鉄道少年だった私にとって、国鉄からJRへの移行は、昭和から平成に変わるくらいの大きな出来事だと思っていた。
↑ JRがスタートしてほどない昭和62年(1987年)4月5日、甲信地方へ日帰りで出かけた。
高崎から信越線、篠ノ井線経由で松本へ。松本から中央線を小淵沢、甲府、八王子と進み、八高線で高崎に戻った。
(次回はJR初期の青春18きっぷ)