※E217系編は、今日を含めてまだまだ記録蓄積中。
踏切での撮影を終えて、大月駅へ戻る。
「富士登山電車」は、普通車自由席扱いで運転。
ホームに入ると、鉄道好き以外ほど「富士登山電車」に乗車していく傾向が顕著。
特にインバウンド客には、受けが良い様子。
所謂“水戸岡デザイン”は一部の鉄道趣味者からは酷評する向きがあるが、観光インパクトの点では
平成時代のローカル線には良いテコ入れとなったのではないかと思う。
さて、自分の目的は1001号編成。
元々がそうだったのだから当たり前なんだけど、やはりオリジナルカラーは格別。
細かく言えばドアの半自動ボタンもあるが、違和感なく仕上がっている。
中でも富士急行線のこだわりは、京王帝都電鉄時代の車両番号が再現されていること。
車号フォントも京王時代のものが忠実に再現。
このこだわりぶりは、登場当時に鉄道雑誌でもページを割いて解説されたほどだ。
ふと、多摩動物公園や高尾山口に居るような錯覚に囚われる。
※京王帝都電鉄時代には、高尾山口まで5000系を利用したことはない
車内に目を移すと、KTRスピーカーも(若干歪ではあるが)健在。
富士急行線入線後は上からカバーを被せていたが、それを外している。
車内はシートモケットがピンク地に張り替えた以外は、京王時代を彷彿とさせる。
入線当初は、このオールロングシートの1000番台編成が多数配置される予定だったらしいが…
一部転換クロスシートとなった1200番台の好評により、配置数が逆転した。
しかし、1200番台は富士登山電車を除き、足が遠のいていた隙に姿を消してしまっている。
先日の三連休は、引退の報を聞きつけたファンがそれとなく乗車していた。
だが、まだ引退まで2ヶ月あるせいか、その雰囲気はとても穏やかである。
富士山へ続く道。
9:16に大月を発車し、上大月を過ぎると富士山に向けて登り勾配が始まる。
ある意味京王帝都電鉄時代よりも過酷な路線を、30年以上走り続けてきた。
いつの間にか、京王時代と同じくらいの車歴をこの山梨で過ごしてきたことになる。
まぁ、この時は鉄道趣味者とそれ以外、の棲み分けがよくできていたなぁw
三連休の最終日の下り、ということもあったのだろう。
他の日はまだそれなりに混んでいたらしいが。
運転台はほとんど京王時代と変わらない。
時々京王時代の頃を思い起こしながら、走りを堪能…
していたいところだったが、この日のスケジュールはそれは許されないことであった。