
2024年10月18日(金) 22時00分00秒
D51-639の日 / 日本母親大会2024
テーマ:社寺・史跡・日本史・雑談被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
⭐⭐⭐ 郷土史 日本史 私撰集 ⭐⭐⭐ |
-D51-639の日とは-
D51-639号機は1941(昭和16)年5月21日 水曜日に、三菱重工業神戸造船所にてNo.330として誕生しました。
当初は小郡機関区へ新製配置となりましたが、1944(昭和19)年9月頃に岩国機関区へ転属となり、1945(昭和20)年8月14日に延べ500機による史上最大の空爆が岩国を襲い、その時の被災でD51-639号機は大破しました。
その後、長い間放置されていましたが、1947(昭和22)年6月25日付けで廃車登録されたと伝わっていましたが、近年、廃車は1946(昭和21)年10月18日だったと資料が発見されたようです。
当初は″終戦の日″と″終戦記念日″が違うように、″D51639の日″も6月25日のままで良いように思っていましたが、やはり公式記録の通り10月18日を″D51-639の日″とすることに改めました。
尚、公式記録とされている書類上では、享年が3年1ヶ月4日から2年4ヶ月28日へと若返りました。
廃車登録日によるD51639号機の生涯は上記の通りですが、稼働車としての1年2ヶ月24日の現役期間は、鉄道開業152年を通して日本で1番短命だった機関車に変わりはありません。
当初は山口線へD51-200号機が本線営業運転に復活したことから、1回ぽっきりの記事としてUPしたものでした。
これまでに何度か変更はしていますが、私のブログはパターン化しているので、6月25日と更新日が重なった折に、2回目の記事としてUPしました。
翌年も重なったために3回目の記事をUPしたために、日にちが重なるとUPするシリーズとして定着し、今年は都合により1日遅れとなりましたが、今回の4回目を迎えることとなりました。
6月25日をD51-639の日としていたこれまでは、アメブロのブログスタンプ″慰霊の日″が23日なので、抱き合わせとしましたが、今年からは″鉄道の日″からすぐになります。
また、1回目と2回目は岩国と他地方の8月14日の空襲を、日本が降伏の意思を示したにも関わらず、命令撤回が間に合わないことからそのまま敢行させ、大勢の犠牲者を出したことを記事にしました。、
3回目はもう少し歴史を追った内容とし、D51-639号機の生きた時の国際情勢を、簡略的ではありますが記事にしました。
日付が変わったことで、これからはどのようにこの私設記念日を育てて行くかは、まだ思案中です。
しかし、この記念日を無くす積もりは無いので、平和記念日・終戦記念日と併せて平和学習の日へと育てたいと考えています。
サブタイトルを新たに「史上最短命の機関車の平和への思い」としたので、話題は岩国空襲から離れる可能性もあるのですが、必ずこの由来は記そうと思います。
また、来年は昭和100年を迎えるにあたって、平和記念日及び終戦記念日の記事を括るリンクを再編し、新たに″被爆2世が語る 平和記念日と世界史″と言うタイトルに変更しました。
鉄道記事が多目のブログではありますが、このブログは日本史ブログでもあるので、それなりに記事数は多いのですが、その中から選別そして選り抜きを実施しました。
まずテーマにはどこにも属せない世界史の記事を括りに加え、日本史ではあるものの世界の中の日本を扱った記事をメインに据えました。
こうして世界史・核廃絶・教養知識に興味がある方は、記事を一覧して見ることができるようにしました。
特に国際的に大きな動きが無い限りは、今年からこの記事が1年の締めくくりとなるため、冒頭から長めとなりましたが、あらためて説明をさせて頂きました。
-史上最大の空爆-
さて、これまでも伝えてきました史上最大の空爆 ── 岩国の大空襲ですが、史上最悪の空爆と呼ばれる東京大空襲と双璧を為す、壮絶なる日本の経験です。
「民家や暮らしを焼き払うことで、日本の生産力を崩壊させ、反抗力を精神的に破壊する」という目的で実行されました。
「動くものは全て撃て」「焼夷弾の間隔を1mと開けるな」との命令が言い渡され、動く物は戦闘機で掃射し動く物が無ければ爆撃機で焼き払うといった、民間人を対象とした日本人殲滅戦。
アメリカ軍とその連合軍は今の国際連合ですが、「日本に住む動物から人間にいたるまで全ての命は生命と認めない」という作戦を、実行した事実を消し去らせてはなりません。
過去の平和記念日の記事では、機密期限の切れたアメリカの公文書から、原爆は一般市民を標的とするため、軍事関連施設の並ぶ宇品地域ではなく•••••••。
病院や小学校、本通り商店街などが密集する繁華街を目標とするため、相生橋のT形を目印とした ── その機密文書の内容物も記しました。
第二次世界大戦にアメリカが参戦して以降は、日本だけでなくイタリアやドイツにも、そういう殲滅戦を戦略とした連合軍。
第二次世界大戦終結後、朝鮮戦争では形の上では引き分けなものの、事実上はソビエト連邦に完敗しているアメリカ合衆国。
それ故に朝鮮半島は南北に分断されて国家が樹立されていますが、その結果としてアメリカ軍の非道は隠れて見えなくなっています。
が、ベトナム戦争ではベトコンと民間人の区別がつかないことから、枯れ葉剤や焼夷弾の他に無差別銃撃など「動くものは全て撃て」は実施されています。
対日戦闘では核攻撃を実施したことで戦争の早期終結へ結びついたことは認めますが、国際情勢や日本の国力などを考察し、天皇陛下の英断による終戦もあったであろう太平洋戦争。
核兵器を使用しなかった朝鮮戦争そしてベトナム戦争では、アメリカはソ連に敗北し続けていることも事実です。

-影響力世界一のU.S.A-
アフガニスタン紛争や湾岸戦争では、制圧し占領しておきながら支配下に置けなかった、統治能力の希薄さも露見し、核兵器使用ナシには何もできない国であることも露呈。
アフガニスタンに関してはソ連も途中で手に負えなくなって、何もかも丸投げにして撤収しているため、そもそもアフガン侵攻そのものが過ちだったのですけど。
日本の大東亜戦争そして太平洋戦争とも照らし合わせ見て、連合軍の中で日本が負けたのはアメリカに対してのみで、他の国に対しては降伏させています。
中国は戦闘継続中ではありましたが、ソ連は条約の一方的な破棄による侵攻なものの、これは撃破しています•••••••,「戦争は始めるよりも終わらせるのが難しい」とは、よく言ったものです。
日本は武士道精神と言う美徳によって戦況を悪化させ、アメリカは終わらせるために殲滅戦を実行した•••••••,とも、各国の軍事専門家や歴史家は批評する人もいます。
1945(昭和20)年3月以降、それまでの工場などへの精密爆撃から無差別爆撃へと変更した、アメリカ軍による日本全土への空爆戦略。
今、アメリカ合衆国を抑えて世界の覇権を握ろうとする中華人民共和国は、四国沖の太平洋へ未来に向けて楔を打っています。
戦争放棄をして平和国家の道を歩む日本に対して「それがどうした 。平和ボケするなよ日本」と煽り続けてくる中国。

人口減少による国力低下と、やがて追い抜くアメリカの国力を見越して、80年前から着々と準備を進めて来た中国。
尖閣諸島そして四国沖を手に入れてしまえば、太平洋の利権は独占できると信じて、第二次世界大戦終結100周年を目途に、虎視眈々としていればよい中国。
次の新しい世代に、再び迫り来る辛辣な生死の体験が、幸福とは何か知らずに育つ子どもたちの未来となりませんよう、祈るしかないのは今の日本と言う国の能力であることは、とても悲しくあり残念でもあります。
この日本の最大の問題点は、誰もが「未来は変えられる」と知っていながら、誰も変えようと動き出さないところにあるような気がしてなりません。
岩国駅前に佇む岩国大空襲の碑文は「昭和20年8月14日、第2次世界大戦において、岩国駅前地区空襲警報に依って受難された方々のご冥福を祈ると共に戦争の恐ろしさと、平和の尊さを祈念しここに碑を建立する」とあります。
こうして過去の日本の悲惨な経験に思いを馳せるのも、未来における凄惨な日常を回避するためでもあるのですが。
現在に意識を戻してちゃんと捉えると、ロシアによるウクライナ侵攻の戦争と、イスラエルのパレスチナ自治区との内戦が、周辺国への侵攻へと化しつつある現状が見えます。
カタールの首長 シェイク タミーム ビン ハマド アール = サーニー殿下は、イスラエルがどさくさに紛れたふりをして意図的に「侵略」を拡大したと、ヨルダン爆撃を非難しています。
サーニー殿下は「イスラエルはヨルダン川西岸地区とレバノンに対して、事前に計画立案された軍事作戦を実施することを選択した」と、危機感を顕わにして語っています。
国連総会においても、イスラエルのこの行為は非難されていて、即刻停戦の勧告を受けながらもイスラエルは応じる積もりはなく、武力供与している最大支援国 アメリカ合衆国も、大統領選の最中で手をこまねいている状態です。
国際情勢的には世界危機が目前に迫っているものの、現実的に日本への驚異が急迫している段階ではないので、恐怖や不安を煽らないために、日本では重大なこととして報道しませんが、このままではかなり大きな戦争に発展するかも分かりません。
アメリカは大統領選挙中とは言え、まだバイデン大統領は現職中で、さまざまなことを決定する機能を、合衆国政府として有しています。

が、任期切れ直前で国際方針の重要決定は、次期大統領の政策に多大な影響を負わせるばかりか、同盟国の存亡にまで影響を与えかねないため、事実上 何もできないのが現状です。
次の大統領がどちらになるにせよ、過去の大戦で戦争の早期終結を図るため、大量虐殺と殲滅戦を実行したアメリカは、今の戦争を終結させるにせよ、支援を拡大するにせよ、一旦はかなりの戦力を中東体制にシフトするでしょう。
韓国や日本を始めアジアエリアの兵器や兵士は、おのずと手薄になることは確実で、それを見越して北朝鮮や中国が最近、不穏な行動を起こしています。
-露中朝 核兵器保有3ヶ国連合-
北朝鮮では南北を繋ぐ鉄道 京義線と、付近の連絡道路を爆破して、金正恩首席は「大韓民国は外国であり、明らかに敵対国家だという厳然たる事実を、わが軍は改めて心に刻むべきだ」と宣言しました。

そして道路および鉄道の爆破について「物理的な断絶を意味するだけでなく、世紀を超えて執拗に続いてきたソウルとの悪縁を断ち切り、南北統一という不合理な考えを払拭するものだ」とも述べたと伝わります。
また中国は台湾 = 中華人民共和国は中華民国を取り巻いて海上封鎖擬きを強行し、大規模軍事演習を実施して、中国外務省の毛寧報道官は「演習は成功裏に終了した」「台湾独立と台湾海峡の平和は相いれないものだ。台湾独立勢力の挑発は必ず反撃に遭う」と発言しています。
今回の圧力を目的とした軍事演習は、これまでに比べて更に大規模な演習で、陸海空軍とロケット軍などが参加し、主要な港などの封鎖や、海上や地上の標的を攻撃するための訓練を実施しています。
軍の動きと連携する形で中国海警局も4つの編隊を組んで、台湾を取り囲むようにパトロールを行い、参加した軍用機は戦闘機やヘリコプター、無人機など、1日としてはこれまでで最も多いのべ125機にのぼっています。

さらに、海上戦力としては海軍や海警局の艦船は、初参加した空母 遼寧を含めて、その総数34隻が参加したということです。
中国と北朝鮮が今まさにこのタイミングで軍事的行動を起こしたのは、混迷拡大する中東情勢とアメリカ合衆国大統領選挙を勘案したもので、ロシアとの連携を睨んだ動きだと言えます。
日本原水爆被害者団体協議会 = 被団協がノーベル平和賞を受賞したタイミングは3ヶ国にとって″棚からぼた餅″で、ロシア + 中国 + 北朝鮮と言う核兵器保有連合軍による、世界に対しての威嚇の他 何物でもありません。
海を挟んだ隣国では、独裁者が60発を超える核兵器を保有し、超大国の2ヶ国が連合を築きましたが、世界の中の日本として将来の子供たちの安全を、今のままでは脅かすことになります。

-平和路線の岐路に立つ日本-
台湾にはTSMCと言う企業があって、そこは世界最大の半導体受託製造企業で中国はこれが喉から手が出るほど欲しいと思ってるのですが、本社は台北に在るものの、その大規模な主要工場は日本の熊本県にあります。
中国が実際に台湾を侵攻した際、中華民国政府はアメリカへ亡命する可能性はあるものの、日本国内へ工場がある限りは中華民国の再建が可能だとの戦略からですが。
中国が台湾を侵攻する時には、九州本土の前に沖縄県の尖閣諸島を占領して艦船の泊地とした上で、日本侵攻が開始されると考えるのが妥当です。
過去を根に持つロシアの北海道再侵略計画も、同時に発動するのですが、国民の″財産・身体・生命″を守る義務がある日本政府は、武力でこれを守ることができるのでしょうか。

自衛隊の戦闘能力は世界屈指ですが、しかしそれはあくまでも戦力としての数値で、迎撃や国民を守るための攻撃は、現行法では行動に移すことが難しくあります。
自衛隊法や関連法案もありますが、やはり最初の一撃は総理大臣の超法規的判断に委ねられることになるのですが、石破総理にそれだけの信任があるのか•••••••。
実際に戦争が始まる時には、次の総理大臣へ移行している可能性もあり、どの政党を選ぶのか、誰を総理大臣に据えるのかは、自分と家族の命を守ると言う、日本国民1人1人の責任が増しての選挙となります。
核兵器の使用は、中国は沖縄と九州、ロシアは北海道を占領したら、ムダな戦費を使いたくないので、占領地防衛だけの戦いとなる可能性は高いです。

が、後方支援と援護を主軸にした役割の北朝鮮は、独断で大阪もしくは東京へ核ミサイルを撃つ可能性は、必ずしも低くありません。
日本は南北2方面戦線を余儀なくさせられているところへ、防御の薄くなった首都へ核ミサイルを打ち込まれると、降伏どころか亡国となってしまう恐れもあります。
諸外国における先進国では、報道番組などでそう言った驚異について、テレビで解説をたまにするのですが、日本ではこういう報道はテレビはしません。
国民に知らせる必要がある脅威は日々きちんと伝えているからこそ、外交と友好の重要性を理解していて、近隣諸国の行動にも敏感になっているのですけど。

中国や韓国が日本の一挙手一投足に敏感なのは、反日教育が要因なのではなく、それが平和憲法と呼ばれる物を持たない、諸外国の常識だからです。
国際情勢というのは国内情勢以上に急激に進みます。
以前の「被爆2世が語る・平和記念日と世界史」のシリーズの1記事で、″侵略者に法律と正論は役に立たない″とのタイトルで書いたことがありますが。
地震や天災と同じように、突然、ミサイルが降って来る•••••••,外交交渉の決裂が国家間の戦闘へ移行するのと異なり、侵略目的の戦争は侵略者の都合だけで訪れます。

日本人ももう少し世の中の動きに敏感になり、世界という大きな流れに目をむけて生きて行けば、世界のちょっとした動きが自分自身にいずれ影響を及ぼすと、推測できるようになるのですけれど。
そう、未舗装の道や砂利道を歩いていて、誰もが″気をつけないと転ぶよね″と感じるのと同レベルに、万が一を悟る能力です。
災害が頻発する近年において、自分が今何をすべきかと準備する人が増えましたが、災害と同様に突然襲ってくるミサイルも、災害と違って外交は予測することが容易いものでもあります。
政治家の不祥事が発覚した時ばかりでなく、もっと世の中の動きや世界情勢に興味をもてば、政党や政治家に対して″今、自分がなにをすべきか″に気付くようになると思います。

中国の言う「平和ボケするなよ、日本人」とは、まさにそこを突いている核心で、日本が平和国家として約80年間存続してきた、その努力の積み重ねをもっと自負することが、大切なのだと思います。
現実と妄想の狭間で国際社会を歩んで来た時代の流れの中で、これからもその道を歩む日本国とその国民の1人として、今日の記事を読んで頂けた方々へ、私からお願いがあります。
岩国だけでなく日本全国の都市そして山間部・海岸線へ、人の命が再び蔑ろにされる時代が訪れませんよう、今日1日ぐらいは 真剣に真摯に 未来を考えてみる日にしてもらえないでしょうか。
▼本日限定!ブログスタンプ □あなたのおふくろの味は? |
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ブログスタンプの「あなたのおふくろの味は?」の質問には、いささかピント外れな感じもしますが、「核戦争の危機から子どもの生命を守る母親の心」と言う趣旨から鑑みれば。
その愛情を一身に受けた子どもの立場からの、母親への思い──そう言う意味に捉えれば、そうあながち間違いとは言えないようにも感じます。
と言うことで、今更の記事となるのですが2024(令和6)年6月7日の該当文章を、今一度転載して″被爆2世が語る・平和記念日と世界史″の一覧に相応しくなるようにしたいと思います。
第二次世界大戦下においてドイツ・日本・アメリカ合衆国・イギリス連邦・ソビエト連邦などで実用化開発が行われた核兵器。
ドイツは敗戦によって実用化に至らず、世界に先駆けて開発成功させたアメリカは1945(昭和20)年7月16日に核実験を成功(トリニティ実験)させ、同年8月6日に広島市、8月9日に長崎市へ実戦使用されました。
第二次世界大戦終結後も核開発はアメリカ・ソ連・フランス・イギリスによって続けられ、原子爆弾は大砲(戦艦・戦車含む)から発射できる核砲弾や核無反動砲の他、地雷や小型時限爆弾などにも応用できるよう進化します。
しかしその進化の途中で、アメリカは原子爆弾を凌駕する新しい核兵器 水素爆弾の開発に成功し、1954(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁で水爆実験が実施され世界に衝撃が起こりました。
原爆は核分裂反応の性質上、ウランやプルトニウムの量をどんなに増やしても、最大で広島・長崎級の約10倍程度の威力にしかならないのに対して。
水爆は核融合反応で爆発エネルギーは無限に増大させることが可能で、二重水素・三重水素の熱核反応(D-T反応、D-D反応)を利用することで、水素爆弾の威力の上限に限界は存在しないと理論上では推測されています。
機動戦士ガンダムではコロニー落しなど大がかりな作戦で人類の半数を死に至らされましたが、アニメではなく現実の世界ではたった1発の水爆で、世界人口の半分以上を死に至らせることができます。
水爆の完成は人類存続の危機として受け止められ、世界中で核兵器を拒絶する声が上り、世界唯一の被爆国 日本では平塚らいてう氏ほか5名が全世界(国際民婦連と各国の団体)に向けて「原水爆禁止のための訴え」を送りました。
この訴えがきっかけとなって「核戦争の危機から子どもの生命を守る母親の大会を」との機運が高まり、1955(昭和30)年6月1日に日本母親大会が誕生し、同年7月に世界68ヶ国が参加した世界母親大会が永世中立国 スイス連邦で開催されました。
母親大会における母親の定義は「母性を持つすべての女性を対象にした呼び名」とされ既婚者・独身者に拘わらず、女性ならでわの平和な世界の未来作りを目標に活動を継続しています。
現在では性同一性障害やトランスジェンダーのマイノリティも、母親大会参加資格を有すると考える傾向が強くなりつつあり、世界的な人権問題として正面から取り組んでいる最中となっています。
第1回日本母親大会は世界大会直前の1955(昭和30)年6月7~9日に東京・豊島公会堂で行われ、開催に向けては以下の呼びかけが行われました。
母親大会のよびかけ(一部抜粋)
「戦争の恐怖を忘れさることのできないお母さん、家や財産も失ったお母さん。息子を戦争の犠牲にしたお母さん。子どもを学校に出せないお母さん、病院も食事も満足に与えられない子どもたちのお母さん、失業している若者のお母さん、働く職場をもてないお母さん、そして自分は幸福だが他の多くの母たちの幸福をねがっている母親、そういうすべての母親が集まるのです。
原子兵器の製造とか水爆の実験とか、また戦争になるのではないかとの不安が私たちをおそいます。
すべての子どもの幸福を守るために世界のお母さんと話しあいましょう。婦人の権利をかちとるために、みんなで話しあいましょう。
母と子どもが安心して住める世の中をつくるために、お母さんの力を結集しましょう。日本母親大会に集まりましょう」
1955(昭和30)年と言えば航空機や新幹線どころか20系電車 特急こだまや20系客車 特急あさかぜも存在せず、全国的には幹線でもまだ蒸気機関車牽引による列車が数多く存在する交通インフラの時代でしたが、それでも鹿児島から北海道まで2000人余が参加したようです。
立ち上げの頃、日本母親大会は「生命を生み出す母親は生命を育て生命を守ることをのぞみます」のスローガンを掲げました。
女性団体・社会運動団体・労働組合・教育問題を取り扱う市民団体などで構成される実行委員会の主催、開催地教育委員会やマスメディアなどの後援により日本母親大会は今も毎年開催されています。
しかし近年、日本共産党など特定の政党との距離が近くなりつつあり、本来は中立性を保たなければならない組織でありながら、その発言や思想などを始め政治活動との癒着が懸念されています。
しかし母親大会はそもそも、日本婦人団体連合会 = 婦団連が、平和を願う全国の女性の力をあわせることを目標に、1953年4月に結成されたところからはじまります。
結成と同時に多くの女性団体と協力・連帯して再軍備反対婦人大会、日本婦人大会などを開催し、ビキニ諸島における水爆実験に対しては「原水爆禁止の訴え」を国際民主婦人連盟に送り、そこから世界母親大会開催のきっかけを作りました。
こうして婦団連は、日本の民主的女性運動の結集と日本母親運動の発展などに歴史的な役割を果たして、1957年には国際民主婦人連盟に加盟し、現在に至ります。
そして婦団連は被団協よりも先に、ICANの活動へ参加しています。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
-日本母親大会公式ページ-
-NHKアーカイブス-
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