此方を出向こうとした動機は、御朱印を集め出した初期の頃、地元大坂城に鎮座して居ます豊国(ほうこく&とよくに、どちらとも呼称が変わります)神社へ参拝し、其れから数年経ち、京阪七条駅から東山を探索した時に秀吉を祀った豊国神社へ訪れました。
其処で調べたら秀吉を祀った豊国神社が未だ幾つかが在る事を知り、3年前に三箇所目の長浜を散策する機会を得て参詣に訪れました。
其れから最後の場所で在る豊臣秀吉出生の地を訪れる事を決心しました。
其れが、藤井八冠が名古屋でタイトル防衛戦を名古屋で行なう事を知り尋ねる気に成りました。
本当は7月の防衛対局に訪れる事にしたかったのですが、日柄と天気に見放されて8月に変更と成りました。
太閤秀吉の出生地を訪れると、暑い日と言う理由も有りましたが、夏の暑い外気温抜きでも中村公園近隣では人気が少なく、辺りは閑散として居ました。
中村公園の外周と公園内部の光景です。外周と公園内部を散策を終えたら、拝殿に向かいました。
太閤秀吉の馬印で有る千成瓢箪に擬えて、神社で瓢箪が栽培されて居ました。
拝礼を終えたら、社務所にて中村公園に鎮座する豊国神社の御朱印を拝受しました。
此の御朱印で、豊臣秀吉の赴任地と居を構えた大坂・京都、出生地に創建された神社の御朱印全て揃える事が出来ました。
因みに、他の神社の御朱印を揃えて比較出来ます様に投稿致します。
大坂城内に鎮座する豊国神社御朱印です。
此方は、「国家安康 君臣豊楽」の文言が刻まれた鐘が有る方広寺の近所に創建された豊国神社の御朱印です。
最後に、木下藤吉郎と名乗って居た頃の初めて城持ち大名として取り立てられた赴任地長浜に在る豊国神社の御朱印です。
次回の投稿は、乗車して来た名古屋市営地下鉄中村公園前駅近くに在る「なか卯」で少し遅い昼食の食レポを紹介致します。