省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

阪和線の救援車 元鶴見臨港モハ131のクエ9423 (蔵出し画像)

 本日ご紹介するのは阪和線の救援車だったクエ9423です。1形式1輛の車輛です。大概救援車は電車区の片隅に押し込められていて、なかなかきれいな写真を撮ることができません。とは言えこれも記録ということで...

クエ9423 (天オト) 1976.3 鳳電車区

 もともと電動車だった名残か、電源取得用のパンタグラフがあります。

クエ9423 (天オト) 1976.3 鳳電車区

 正面です。こちらは非貫通です。

クエ9423 (天オト) 1976.3 鳳電車区

 こちら側の運転台は貫通式となっています。

 S48年12 月に吹田工で全検を受けています。形式はクエ94と書かれていますが間違っています。 クエ9423が形式名兼車番です。

本車の車歴です。

1940.12 川崎車輛製造 (鶴見臨港鉄道 モハ131) → 1943.7.1 買収 東テシ → (移動時期不詳) 広ヨワ → 1951.4 岡フチ → 1953.6.1 改番 (モハ1510)  →  (1954.10.1 現在 岡フチ) → (1956.12.1 現在 広ヨワ) →  高シマ → 1960.6.6 改造 大井工 (クエ9423) 高シマ → (移動時期不詳) 高ミヤ → 1968.3.30 北ヤマ → 1968.6.25 天オト → 1978.10.1 天ヒネ → 1982.6.26 廃車 (天ヒネ)

 

 本車は元々は鶴見臨港鉄道モハ131として製造されました。この時からすでに1形式1輌という珍車でした。典型的な鶴見臨港スタイルだったようです。鶴見臨港の車輛は後に救援車になるケースが多かったのはなぜでしょうか。その後移動時期は不明ですが、戦後になって可部線に移ります。よく分かりませんが、東西で 63系大量増備に伴う車輛の大移動があった1950年頃ではないでしょうか。その後一旦福塩線に移りますが、再度可部線に戻ったようです。そしておそらく改造直前に名目上新前橋に移動しそこで救援車に改造されます。その後やはり移動時期は不明ですが宇都宮運転所に移ります。1968.3.25 にクモエ21005 が改造され新前橋に配属されますので、ひょっとするとその時に移動になったのかもしれません。その後宇都宮運転所の電車が小山電車区に移管されたことで、小山区に移ります。もしクモエ21 配備後の転属だとすると、小山に移る直前の転属だったことになります。しかし、小山区にはクモエ21001がいましたので、おそらく宇都宮運転所に常駐したまま名目だけ一時的に小山区に移ったのではないでしょうか。 ←誤りでした。小山電車区時代のクエ9423を写した写真を載せたサイトがありました。

 しかし移管後まもなくやはり余剰とされたのか、はるばる関西までやってきます。元々は川崎車輌製ですので、生まれ故郷に戻ったことになります。その後鳳区の所属車輛移管で日根野区に移り、そこで廃車となりました。東西を往復する生涯でした。