番外 現在はその姿は見られません、キハ58系気動車にて運行されていた、「あそ1962」車種別解説 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)


 かつて豊肥線熊本~宮地間には、平成28年に発生しました「熊本地震」以前には、地震直前まで同区間で運行されておりました観光特急であります、画像1のキハ183系気動車そぼーい!現在は熊本~大分・別府間以前にも観光列車が運行されておりました。
 
 その先駆けとなりましたのが画像2にあります、令和2年の「熊本豪雨」で肥薩線が寸断されている事から運行区間を変えまして、熊本~鳥栖間SL人吉の愛称で運行されておりました、8620形58654号蒸気機関車+50系700番台客車の編成であそBOYが運行されておりまして、大変好評を得ておりました。
 
 しかし、当時「あそBOY」を運行していた頃は、平成17年の運行末期時には車両自体に老朽化が進んでおりまして、現在新製されております台枠などに痛みが発生するなどしていたため、当初の運行予定を前倒して運行を終了するなど、非常に残念な所も見られておりました。
 
 さらに、運行を終了すると言いましてもSLとしての運行を終了したのみでありまして、この年の残りの運行日は運休せず、DE10形ディーゼル機関車が代走しまして、「ディーゼルあそBOY」としてこの年の「あそBOY」としての運行は終了へと至っておりました。こちらの組み合わせは、現在も各地で臨時で運行されておりますが、この当時は正直ここまで注目される事もなく、利用者はそう多くはなかったようであります。
 
 
 そんなSL「あそBOY」に代わります、熊本~宮地間の観光列車として運行されるようになりましたのが、その翌年の平成18年から平成22年まで運行されておりましたキハ58系気動車あそ1962でありまして、運行終了後も長らく保留車状態でありましたが、残念ながら平成30年に廃車解体されております。この「あそ1962」に関しましては、当ブログでもこれまでもご紹介しておりましたが、今回はこの2両それぞれの詳細に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 
 (「あそ1962」のマーク)
 
 (「DC58」)
 
 
 「あそ1962」は、先述のように「あそBOY」に代わります観光列車として運行されておりまして、平成18年より運行を開始しました。車両は、以下画像にもありますキハ58系気動車のキハ58-139・キハ28-2401の2両から改造されたものでありまして、キハ58-139が1962年(昭和37年)製造であった事から「あそ1962」の愛称が生まれておりました。
 
 (キハ58-139)
 
 (キハ28-2401)
 
 
 この「あそ1962」の運行区間は、前身のSL「あそBOY」、その後運行される事になりますます「あそぼーい」と同様、熊本~宮地間で運行されておりまして、この列車の停車地が・・・

 熊本~新水前寺~水前寺~武蔵塚~光の森~肥後大津~立野~赤水~内牧~阿蘇~いこいの村~宮地
 
となっておりました。
 
 先述のように、この「あそ1962」の「1962」とは、キハ58-139の製造年を意味しておりまして、1962年と言う事で以下の銘板にもありますように昭和37年日本車輌において製造された気動車でもありました。ちなみに、相方のキハ28-2401は昭和40年新潟鐵工所(現・新潟トランシス)製でありました。
 
 
 この2両の遍歴をご紹介しますと、まずキハ58-139の新製配置は大分運転所(当時)、以来鹿児島→長崎→熊本→大分などを渡り歩きまして、平成18年に直方運輸センター(当時)に所属していた際に改造、その際に熊本車両センターに転属しております。
 
 一方のキハ28-2401に関しましては、新製配置は東北の秋田機関区(当時)でありまして、五能線を中心に運行されておりました。しかし、昭和42年に関西の奈良気動車区(当時)に転属、関西線などで活躍後、昭和48年に和歌山機関区(当時)に転属しまして、紀勢線などで活躍しておりました。そして、昭和60年に亀山機関区に移っていた際に、今度は九州に移りまして直方気動車区(当時)に転属、以来竹下(当時)→長崎と渡り歩きまして、平成18年熊本運輸センター(当時)所属時に改造されておりまして、所属遍歴も特にキハ28-2401は全国各地で転属していた事も伺えておりました。
 
 
 この車の車内は画像のようになっておりまして、座席のモケットスタイルも時代を感じさせるような形となっていたのが特徴でありました。尚、この車のデザインもこれまでのJR九州の車両デザインを行っております水戸岡鋭冶氏によるデザインとなっておりました。
 
 (キハ28-2401)
 
 (キハ58-139)
 
 
 車内には、様々な写真なども飾っておりまして、中には画像のようなものも見られておりました。このシーンは、おそらく昔の結婚式のシーンではなかったかと思いますが、現在の結婚式の姿とは違っているだけに、こういう姿も懐かしいと思われた方もいらっしゃったようであります。
 
 また、モニターも設置されておりまして、ここには昔のCMなども流れておりまして、文明堂のカステラなどのCMなどがこのモニターから流れておりました。
 
 さらに、これら車両の先頭部寄りには、画像のようにサイクリングスペースも備えられておりまして、車内に自転車を積む事が可能でありました。やはり、下車駅まで自転車を持って行って、ここからサイクリングを楽しめられる方にとってはありがたいものではなかったかとも思います。
 
 
 こちらの画像は、平成22年12月の運行終了直前の「あそ1962」でありまして、熊本県南阿蘇村のスイッチバック駅でもあります立野駅で撮影していたものであります。この時までは、画像のように元気な姿を見せておりまして、堂々としている事も伺えていたのが印象的でありました。
 
 
 さらに立野駅から移動しまして、先にありますスイッチバック線へ向かう姿であります。画像からもわかりますように坂を上っている姿はまだまだいけるのではないかとさえも伺えておりましたし、キハ40系気動車よりも高馬力でもありましたので、まさに急行型として生まれただけあるなとさえも思ったほどでした。
 
 
 この運行終了後、しばらくは鹿児島へも足を運んだりもしていたようでありましたが、その後は熊本車両センター内において長らく留置されていたものの、先述のように平成30年に廃車回送で小倉総合車両センターへ、そして廃車解体されておりまして、残念ながら画像でしか伺う事ができなくなっております。画像が、平成28年に車内で撮影しておりました、その熊本車両センターに留置されていた姿でありましたが、この時点でも痛みが見られておりましたので、復帰はどうなのか?と言う域であった時でもありました。
 
 
 今回は、「あそ1962」の車種別詳細をご紹介しましたが、これらも九州では最後に残ったキハ58系気動車でもありましたので、この2両の貴重さも最終的にはより伺わせる所ではなかったでしょうか。しかし、運行終了しますと営業に就くと言う事は末期にはありませんでしたので、その分この気動車は痛みが激しくなってしまった事も残念ではなかったかと思う所ではあります。先述のように、現在は解体されていますこのキハ58系気動車「あそ1962」ではありますが、「あそ1962」としての稼働期間もそんなに長くはなかった訳ではありましたが、これからも記憶にはとがめていただきたい列車である事には間違いないでしょうか。