9月に開業60年を迎えた東京モノレール。
今も昔も羽田空港へのアクセスを重要使命としている路線ですが、私にとって東京モノレールといえばこれ。
実質的に2代目の車両となる500形です。
今でこそ、東京モノレールはJR東日本の傘下に入り、JR東日本グループの一員となっていますが、開業当初は日立製作所の子会社で、正式な社名は「日立運輸東京モノレール」でした。これは、アルウエーグ式と呼ばれるコンクリート製の軌道上をゴムタイヤの台車を用いて走行するシステムを採用したことに端を発し、日本では日立製作所が開発に携わっていました。それが関係して子会社の日立運輸に経営を一任したのが社名の由来。また、一足先にアルウエーグ式を採用した名古屋鉄道からも乗務員の習熟等を目的として社員を出向させ、1965年まで経営にも参画しました。
1981年に社名から「日立運輸」が外されましたが、日立製作所が株式の大部分を持っていたことから、日立色は変わりませんでした。その状況に変化が生じるのが2002年。
日立物流が保有する株式の70%を東日本旅客鉄道(JR東日本)に譲渡し、JR東日本が筆頭株主になります。日立グループはさらに日本航空や全日本空輸(全日空)に株式の一部を譲渡し、日立色が次第に薄れていきます。
東京オリンピック開会前の1964年9月17日に浜松町-羽田間が開業しましたが、その当時の羽田駅は現在の天空橋駅です。その当時の羽田は空港を抱える漁村で、空港から一歩離れると、かつての漁師町を偲ばせる素朴な風景が点在します。羽田空港へはもう1本、京浜急行空港線があり、1956年には羽田空港駅が開業していますが、「羽田空港駅」とは名ばかりで実際にはアクセス機能は殆ど無く、京浜急行の小型バスが羽田空港駅から空港ターミナル(旧)までピストン輸送していました。京浜急行も1998年に天空橋駅へと改称しています。
開業当初の東京モノレールは浜松町-羽田間に駅が1個も設置されていなかったそうですね。
天王洲アイル駅 1992年 6月開業
大井競馬場前駅 1967年 6月開業(1965年に臨時駅として開業)
流通センター駅 1969年12月開業(開業当初は新平和島駅)
昭和島駅 1985年 2月開業(それまでは昭和島信号所)
整備場駅 1967年 3月開業(開業当初は羽田整備場駅)
あくまでも羽田空港へのアクセスを最優先にしていたのと、当時は沿線に何もなかったことなどから、駅は不要と考えたのでしょうね。
小学生の時に初めて乗りましたけど、当時は天王洲アイル駅は無かったので、浜松町と大井競馬場前がすんごい長く感じたのを思い出します。
一時は経営危機に陥りますが、モータリゼーションの発展で道路網が発達すると、それが逆に渋滞を引き起こす要因になり、渋滞知らずのモノレールは次第に支持されるようになります。ただ、前述の京浜急行が空港ターミナルに乗り入れるようになり、さらにそれまで実施されていなかった京浜急行本線との直通運転が開始されて、都営地下鉄浅草線を介して都心から羽田空港まで行けるようになると、再び立ち位置が怪しくなります。そこに目を付けたのがJR東日本で、筆頭株主になると抜本的なテコ入れを実施します。JRの浜松町駅からダイレクトにモノレールの浜松町駅に行けるようにして、京浜東北線の快速を浜松町に停車させ、2004年からはモノレールの快速運転も実施しました。
前置きが長過ぎましたが、イメージ的に今でも東京モノレールの主役と勝手に思っている500形は、開業時の100形、200形、300形、350形を置き換える目的で1969年に登場しました。
この4形式は1978年までに全廃されていますが、1両当たりの車長は10mで、当時から6両運転は実施されていたものの、年々増える利用客を捌くだけの収容能力はありませんでした。しかも台車は二軸で乗り心地に難があることから、これを改善して大型化したのが500形です。
500形は2両固定でこれを3組くっつけて運行に就いていましたが、1両当たりの車長が15mとそれまでの4形式よりも5m延び、乗り心地改善のためにボギー台車にするなどして輸送力増強に大きく貢献した車両です。また、赤白のボディカラーを最初に採用したのも500形で、従来の4形式も同様の色に塗り替えられた他、近年では2014年に開業50周年を記念して、1000形に赤白の復刻ラッピング車がお目見えしたことなどから、今でも馴染みはあると思います。
その1000形に置き換わる形で1991年までに全車が “卒業” しています。
JR東日本の子会社になったのは良いけど、そのJR東日本も遊休化している貨物線(大汐線)を再活用して、羽田空港アクセス線として現在、整備が行われていますが、同時に東京臨海高速鉄道りんかい線も車両基地への入出区線を介して羽田空港へのアクセス機能を持たせようとしています。そうなると、東京モノレールの立ち位置はどうなるのか、注目はそっちに集まることも。一時期「東京モノレールを新橋駅や東京駅に乗り入れる」構想もあり、天王洲アイルに代表される湾岸部の再開発なんかも手伝って、羽田空港へのアクセスからそこへの通勤客輸送へと使命を変えるのでは? という話も聞こえたりしています。芝浦とか海岸とか、港区の海沿いもマンション建ちまくりですもんね。そことの線引きも今後の課題になりそうですね。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
ウィキペディア(東京モノレール、同羽田空港線、アルウエーグ式、名古屋鉄道犬山モンキーパーク線など)