日中は1時間に2往復しか電車が来ない道明寺線ですが朝は倍の4往復、そんなに待たなくても来るのでその後も新大和橋で電車が通るのを待っていました。
柏原行き普通、6432系6422FのMi22編成、
さっきの道明寺行き編成の折り返し、
ここから先の鉄道橋は約9キロ先の近鉄南大阪線まで無く、距離があるだけでなく曲がりくねっているためここからは視認できません。
この間にある道路橋は、
河内橋-旧国道170号線
新大井橋-国道170号大阪外環状線
大正橋-旧府道2号線
※かつての地下鉄谷町線富田林延伸構想が実現していた場合おおよそこの位置。
新明治橋-近畿自動車道&府道2号大阪中央環状線
※将来大阪モノレール線堺延伸計画が実現した場合おおよそこの位置。
明治橋-府道186号線
高野大橋-府道179号線
瓜破大橋-阪神高速14号松原線&国道309号線
の7本が架かっています、今いる新大和橋のような歩行者自転車専用橋ではなくいずれも自動車が通行可能な道路です。
こういうのはいつも調べて書くところなのですが、いずれも普段使いの道ばかりなのでそらで言えるエリアです。
ただし呼び方は外環(そとかん⤴)、中環(ちゅうかん⤴)、近畿道(きんきどーまたはきんどー⤵)、阪高松原線(はんこーまつばらせん⤵)、309号線(さんまるきゅー⤵)といった具合ですが。(⤵⤴は関西訛り)
前回にも少し触れましたが、500キロ超の国内私鉄最長を誇る近畿日本鉄道全営業路線中で最古の路線がここ道明寺線の柏原から南大阪線の古市に至る区間になります、よってここの大和川橋梁も近鉄の鉄道橋中でも最古の鉄橋。
厳密には大阪鉄道(開通時は河陽鉄道)だった路線で近鉄直系の創業路線の上本町-奈良間よりも16年も前に開通しています。
(近畿日本鉄道HPより引用)
明治に開業した路線はここ河陽鉄道(のちに河南鉄道、その後南大阪線の前身2代目大阪鉄道に吸収)と宮川電気(もともと電力会社で鉄道事業を展開のちに伊勢電気鉄道に改称)、大和川最上流の鉄道橋の時に紹介した長谷寺への初瀬詣でのための長谷軌道のみであとはすべて大正以降に開業しています。
橋についても橋脚部分は昭和に入ってコンクリートで補強されたものの橋桁は建造当時のまま、
多くの鉄道橋がのちに強度に勝るアメリカ方式に取って代わられたなか、明治期のイギリス方式のまま残った橋梁は貴重なもので周囲の道路を跨ぐレンガ積みの溝橋とともに「近鉄道明寺線鉄道構造物群」として土木学会の選奨土木遺産にも認定されています。
それには本線から切り離され、運用上も線内完結のローカル支線扱いとなったことで複線化・高速化・長編成化を免れ、橋はその後も作り直されることなく当時のままの姿をとどめることができたという幸運?な条件が重なったこともありました。
ここで道明寺行きの普通、6422+6522とこれまでと同じ編成、
ここで橋を引き返して護岸の踏切の近くまで移動、
堤から見た柏原南口駅ホームへと昇る階段、
今度は斜め前からのアングルで待ちます。
ここを走るのはワンマン型の6432系と6419系の2型式なのですが、来たのはすべて6422+6522、6432系Mi22編成でした。
同じ編成が続いたので最後に柏原南口のホームに吸い込まれていくところを写真に収めて、ここでこの場は撤収しました。