大村線特急「シーボルト」乗車の思い出
テーマ:鉄活動日記 思い出編先日、1999年の夏に九州への鉄道旅に出かけた帰りに乗車したブルートレイン「あかつき」乗車の思い出を書きましたが、今回はその「あかつき」の始発駅長崎へ向かう際に乗車した特急「シーボルト」の思い出です。
特急「シーボルト」は、長崎県の2大都市である長崎と佐世保の間を大村線経由で結ぶ特急列車で、1999年3月のダイヤ改正で登場しました。この長崎ー佐世保間にはそれ以前から(そして現在も)快速「シーサイドライナー」が運転されており、「シーボルト」はその「シーサイドライナー」のうち2往復を特急に格上げする形で誕生しました。
「シーボルト」の列車名の由来はもちろん江戸時代に長崎出島で活躍したドイツ人の学者・医師であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト氏で、実在の人物の名が由来の列車名は日本初だったようです。
この列車に使用された気動車キハ183系1000番台は、もともとは1988年から1992年まで門司港ー佐世保間で運転されていた特急「オランダ村特急」で使用されていた車両で、「オランダ村特急」が電車特急「ハウステンボス」として発展的解消したため久大本線の特急「ゆふいんの森Ⅱ世」に転用され、さらに1999年に「ゆふいんの森」にキハ72系による「Ⅲ世」が登場したことから再び長崎方面の特急列車で活躍することになったものです。
私は「オランダ村特急」「ゆふいんの森Ⅲ世」時代にキハ183系1000番台に乗る機会はありませんでしたが、九州鉄道旅から関東への戻りに「あかつき」を利用することにしたことから同じ年の春に運転開始したばかりの「シーボルト」にも乗ってみようと行程に組み込んだわけです。
1999年8月のある日、宿泊先の博多駅近くのビジネスホテルを出発し、博多→佐賀→伊万里と乗り継いだ後、第三セクター鉄道の松浦鉄道に乗車して昼前に佐世保駅に到着しました。
ここから乗車するのが長崎行の「シーボルト1号」です。
ホームに停車しているキハ183系1000番台は、細かな塗分けの違いや英文字の列車名ロゴの有無を除けばかつての「オランダ村特急」時代に近い塗装になっていて、この時の「シーボルト」乗車は私にとっては一度乗ってみたいと思いながら乗るチャンスのなかった「オランダ村特急」のリベンジ乗車ともいえるものになります。
駅構内の売店で駅弁を買い、折り返しの整備が終わった「シーボルト1号」に乗り込みました。
この当時の「シーボルト」は、4両編成のうち長崎寄り先頭の1号車が指定席で、そのほかは自由席になっていました。(のちに指定席者は4号車に変更)
この九州鉄道旅で利用した周遊きっぷ「九州ゾーン」では山陽新幹線や寝台特急を除く九州内の特急列車の普通車自由席に乗り放題なので、この時も自由席の2号車か3号車に乗車したと思われます。
キハ1831000番台は編成両端の車両の先頭部が展望室になっているのが最大の売りで、私ももちろんその展望室に当たる座席に座りたかったのですが、長崎行の先頭が指定席者の1号車ということで展望室も指定席なのだと思い、展望室乗車はあきらめてしまいました。
旅から帰って調べてみると、「シーボルト」では展望室は1・4号車のいずれも自由席扱いとなっていたことを知り、何とも悔しい気分になったのを思い出します。
正確な時刻は忘れてしまいましたが、確か12時杉に「シーボルト1号」は佐世保駅を発車。
乗車した車両の佐世保駅発車時点での乗客数は私を含めて6~7人ぐらいだったと思います。この日は夏休み中とはいえ平日で、ハウステンボスへの観光にも時間帯が微妙なので、まあこんなものかという印象でした。
近年の観光列車と異なり、「シーボルト」はハウステンボスへの観光客だけでなく長崎ー佐世保間の都市間移動や大村線沿線から長崎・佐世保へのビジネス客もターゲットになっているからか、キハ183系1000番台の車内には先ほど触れた展望室以外には特にこれといった特徴的な設備はなく、展望室も含めてリクライニングシートの並ぶ一般的な特急型車両と同じ社内レイアウトになっていました。
先ほど佐世保駅で買った駅弁を食べながら気動車特急の乗り心地を味わいます。大村線内は単線とあってさすがに幹線を走るような高速ではないものの走りは快適で、駅弁を食べたせいもあってついつい眠気を覚えてしまうほどゆったりした旅が楽しめました。
そして大きな側窓から眺める有明海の景観は素晴らしく、さらに車両前方のモニターテレビでは列車先頭部に設置されたカメラで撮影した前面展望が生中継されていて、これもまた私が「シーボルト」に好感を持ったポイントでした。
車内の方は途中の早岐駅と大村駅で少し乗降があったものの全体的にはガラガラな状態が続きました。
大村線を全線走破して長崎本線や島原鉄道船との接続駅である諫早駅に着くと車内の乗客も多少入れ替わり、ここからは4割ぐらいの乗車率で終点長崎駅を目指します。
諫早ー長崎間はほかの特急列車などと同じく現川駅経由の新線を経由するので、「シーボルト」も大村線内とはうって変わってかなりの高速で飛ばし、佐世保から1時間半ほどで終着長崎駅に到着しました。
この「シーボルト」、運転開始からわずか4年の2003年3月のダイヤ改正で2往復とも元の快速「シーサイドライナー」に戻される形で廃止されてしまいました。
特急格上げにあたって停車駅を「シーサイドライナー」より絞り込んだことで所要時間と車内の快適性で「シーサイドライナー」と差別化することはできましたが、逆にそのためにそれまで「シーサイドライナー」を利用していた地元の利用客からすればわずかな距離でも特急料金(特定料金が適用されて通常より割安だったそうですが)が必要な特急のために乗車券だけで乗れる快速が減らされるのはやはり不便で、その意味で地元からはあまり歓迎されない存在だったようです。
幸いキハ183系1000番台は車内設備も短距離の特急としては十分なものだし、先にも述べたように大村線内は車窓からの眺望も最高なので、もし仮に「シーボルト」を設定するにあたって「シーサイドライナー」や普通列車の利便性は維持しつつ、もっとビジネスや観光に使いやすいダイヤで運転していたらあるいはもっと違った展開になったかもしれませんが、結局のところ「シーボルト」は大村線に特急運転の需要があって設定されたというよりも、「ゆふいんの森」からの撤退で行き場を失ってしまったキハ183系1000番台の再就職先を作るための列車だったというのが真相だったのかもしれません。
「シーボルト」廃止でまたしても職を失うことになってしまったキハ183系1000番台はその後、再び内外装の改装を受けて「ゆふDX」の列車名で久大本線に戻り、さらに2011年6月からは豊肥本線の特急「あそぼーい!」に転用されて活躍中で、現在までのところ同車の36年にわたるキャリアの中で最長の運転実績を持つ列車になっています。
「流浪の車両」とも呼ばれるキハ183系1000番台も登場からすでに36年。
果たして現在運用されている「あそぼーい!」がその流転の歴史の終着点になるのか、はたまた再び新たな路線・列車に姿を変える日が来るのか、「シーボルト」乗車で同車を一層好きになった私としては今後の動向が気になるところです。