徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

琴電に譲渡された宮電クハ300形はいつまで原型車体だったのか

宮城電気鉄道の車両の一部は他の中小私鉄に譲渡されていますがその中でも特に長命を誇ったのが高松琴平電鉄に譲渡された元宮電クハ300形でした。このクハ300形のうちの2両は後に鋼体化され宮電時代とは異なる姿をしていました。ではこのクハ300形はいつまで宮電時代の車体を維持していたのでしょうか。

クハ300形の琴電譲渡の時期

宮城電気鉄道クハ300形は1926年に日本車輌で製造された木造3扉通勤型車両で当初はサハ300を名乗っていましたが後にクハ300と改称されます。同車は宮電が国有化され仙石線になった後の1952年に除籍されその後に高松琴平電鉄に譲渡されました。この1952年という時期は宮電の譲渡車両の中でもかなり早い部類に入り,モハ100形の101に次ぐ2番目の物でした。琴電に入線したクハ300形達は形式を2000形と称し301が210,302が220,303が230と琴電スタイルの車番に改められ四国の地で第二の車生を歩む事になります。

車体更新後の220(67号)。

画像出典 Wikimedia commons Spaceaero2様

車体更新されたのはいつなのか

では,クハ300形の改め2000形が原型のスタイルを維持していたのはいつまでだったのでしょうか。1953年より運用を開始した琴電2000形でしたが当初は3両とも車体は宮電時代の面影そのままで宮電車両の特徴の一つと言える前面中央窓の天地寸法が左右の窓より大きな物となっているのもそのままでした。事が動くのは1957年の事でした。クハ303を譲渡したクハ230が車体更新を行い,鋼体化して運用に復帰したのです。その車体は宮電時代とは全く異なり,前面には貫通扉が設置され車体側面もそれまでの3扉から2扉に変更,側面窓も上段をHゴムで固定,下段を開閉可能とした所謂バス窓に変えられたデザインに変わったのです。しかし屋根周りや台枠はクハ303時代の物がそのまま流用された為トラス棒がそのまま残るアンバランスな外観になっています。230号の更新から少し経った1965年,今度は220号にも更新が行われ鋼体化されましたがこちらは扉や窓寸法をそのまま流用した為に側面窓が230号よりも小さく,宮電時代の面影を比較的残していました。同時に電動車化が行われると共に60形に編入され60形の67号となります。一方のクハ210は宮電時代の車体のまま1969年に廃車となっておりこの段階で宮電時代の車体を残す車両は全て消滅した事になります。

終わりに

琴電における宮電時代の車体を残す車両が消滅したのは1969年でありおよそ16年間,クハ300形の製造から37年目の事でした。その後鋼体化された2両は両者とも平成まで生き残り67号については21世紀を迎えた2003年に廃車となり77年という激動の歴史に幕を下ろしています。