熊本旅行記(5日目 大阪・京都に寄り道)
旅の始まりはこちら↓
新幹線の席が右側だったので、左側の見える出入口にずっと立っていた。私は九州新幹線開業のCMが大好きで、あの風景を実際に見てみたかったのだ。
しかし熊本駅から博多駅の間に田園や運動場が何個もあって、
「ここはあのシーンの!……かも?」
と意外に特定出来なかった。考えてみると、私がCMで胸打たれたのは景色ではない。そこで暮らす「人々」だ。みな、私と同じように生きている。喜びや悲しみを感じる愛おしい毎日が、無数に存在している。
あれから七年経つ。CMの時ほどは人のいない農道を見つめながら、彼らの今を想像した。九州を離れた人もいるだろう。何も変わらず、トマトや米を作り続けている人もいるだろう。
九州新幹線は博多が終点かと思っていたが、新大阪まで乗り換えなしで行ける。今回の旅で知った。博多を過ぎたので席に戻り、陣太鼓を食べた。
思ったより甘過ぎないのは良かった。しかし、つぶあんなのがな~(こしあんの方が好き)熊本土産の定番らしく、行く先々で売っていた。
山口県を通るのは生まれて初めてだ。小さな山が連なっている。少しウトウトし、気付いたら広島! 大きなビルが立ち並び、都会じゃーん、と思った。
私は地方に住む人たちの、土地への屈折した思いが理解出来ない。地方都市の外観は、東京と大して変わらないように見えるから。
彼らが故郷を憎んだり愛したりする理由は、もっと精神的な何か、なのかもしれない。例えば濃密な人間関係や、親や周囲の古い価値観のようなもの。街をちらっと見ただけでは、そのあたたかさや面倒臭さを、自分の事としてとらえるのは難しい。
新大阪では駅の中にある「神座(かむくら)」という店でラーメンを食べた。
熊本でラーメンを食べずに何故大阪で、とは思ったけれど、関東では少なくなった醤油ベースの汁が嬉しい。白菜の味が優しい。
関東はいつの間にか豚骨ラーメンとつけ麺だらけになってしまった。こういう醤油ラーメンも食べたいんだけどな~
在来線で京都に移動し、伊勢丹で朽木旭屋の鯖ずしを購入。一昨年の京都旅行で食べて、そのまろやかな味を忘れられなかったのだ。
「私たち、熊本から東京に帰るところなんです。これを買うために京都で途中下車したんですよ!」
とお店の人に言ったら、二切入りパックをおまけでくれた。わーお!
阿闍梨餅も買いたかったが行列が長くて断念。いったいどんなお菓子なのだろう。いつか食べてみたいなぁ。
東京行きの新幹線に乗る。外が雪景色になった。窓は濡れ、空は暗い。熊本市内が暖かかったから、もう真冬は過ぎたかと思ったのに。
熊本は日が落ちるのも遅かった。関東より三十分ほど後だろうか。一日が長く感じた。新幹線で季節を遡るようだ。
「私、熊本に行って元気になった気がする」
「それは良かった」
「日常と旅行と、何が違うんだろう」
「普段の生活では、風景が足りないのかもしれないね」
遠くなってゆく熊本も、Dちゃんと眠る自宅のベッドも、同じくらい恋しかった。
(熊本旅行記 終わり)
(あとがきもあるよ↓)